太与
夜更けと夜明け、夢とうつつ、ひどく曖昧な刻にぽつりと名を呼ばれた。与謝野は寝ていた。重たい意識に太宰の神妙な声が滲む。嗚呼、神妙だなんて。だぶん夢だ。 「もしも、私が望んだら」 共に生きてくれますか。与謝野は薄らと瞼を持ち上げて、また閉じた。どうせ望みやしない、うつつの夢だった。乱与
乱歩さん、微笑む彼女の瞳はいつだって優しい。無邪気な子供をあやすよう、口達者な弟を見守るよう、滅多に見せぬ柔らかい眼差しはきっと全て乱歩のものだった。 「ちがう」 けれど違う。違うのだ。 「これじゃあない」 腕を伸ばす。何だってよかった。めいっぱいに自分だけを映す瞳がほしかった。ナオ与
何故と自問する。女に生まれたこと、何年もあとに生まれたこと、何故それだけで叶わぬのだと、いつだって彼女の隣に立つ彼の人を思う。彼のことだって好きだ。憧れた。けれど。 「何故あの方なの」 ナオミだって、とすべらかな頬に触れる。瞠られた菫色のうつくしいこと、自分だって彼女がほしい。相ジョ
何で俺に構う、うんざり突き放したところで彼女は冷てえと笑うばかりでまるで応える様子がない。個性の相性を指摘するとだからだよと何故か得意げである。 「お前が笑ったら私が笑わせたってことだろ」 笑え笑えと絡む彼女のほうが余程楽しげで、酷い口説き文句だとあしらうと彼女はけらけら笑った。相ジョ
柄にもなく溜息が零れてさらにげんなりして、ぐいとジョッキを仰いだところで目下最も絡みたくない声が耳を劈いた。 「よーうイレイザー、湿気てんな!」 煩い。今日は構うなと呻くと水臭えなと彼女も退かない。 「私の役目だからな」 笑え。彼女が言う。追い払う気も起きない、厄介な正義である。乱与
乱歩さんは優しいね、軽やかに発された言葉の深くを彼女はどうせわかっていない。 「君ってそういうところあるよね」 鈍い、一言つきつけると彼女は無防備に首を傾ける。そういうところだ。 「僕がほしいのはそれじゃない」 見返りを求めずに優しさを振りまく、そんな筈がないでしょうと乱歩は笑った。相ジョ
視界が赤い。ぬめる額を拭って何だこれはとおどけてみたが誰も笑わなかった。頭からの出血では確かに一見悲惨だろうな、と目元を擦るとその手を徐に掴まれる。 「擦るな、目閉じてろ」 「うわ、何その物騒な顔」 ふらつく体を支えられて心置きなく目を閉じる。心配かけたかと茶化すが返事はなかった。乱与
鍵のかかる音を聞いた。逃げ道はないと言外の警告。部屋に上がった与謝野を引き寄せて、莫迦だね、と彼は諦めたように言った。 「嫌だって云うなら帰してあげたのに」 空々しい優しさ、それも策の内だろう。 「知っているさ」 与謝野は笑う。そちらこそ莫迦だと、彼に言うことはさすがに気が引けた。相ジョ
餓鬼臭い、と相澤は辛辣で、聞き飽きたとまで言うが福門も同感であった。確かに飽きた。 「冗談やめてみる?」 「やめてどうなる」 どうもこうもない。福門は笑いながら、鈍くないくせに、と彼の瞳を覗き込む。 「なあ、相澤?」 答えを知る双眸が細められる。一歩分の距離を縮めたのは彼だった。相ジョ
喧しい口から繰り出されるのは子供じみた戯言ばかりで、そんな口先ばかりの関係が続くと思っているのか、と相澤は呆れてさえいた。 「なあ福門」 いい加減に大人のやり方といこう。覗き込んだ瞳が揺れて、え、と動揺の声が零れた。そういう顔もできるではないか。相澤は満足がって彼女に手を伸ばす。