デイドリーム・バーグラー
人の動く気配で意識が浮上し、ミツヒデはぼんやりと瞼を持ち上げた。
大きめの窓から差し込む陽射しは柔らかく、ほどよい室温も相まってまどろみの残滓が心地よい。二度三度と緩慢に瞬いてから、ミツヒデはようやく起床の方向へと舵を取った。くあ、と欠伸をして、傾いていた首をゆるく持ち上げる。
「――おはよう」
「うおっ!」
温度の低い声が脳の覚醒を促した。ここへきてようやくこの場が執務室であることを思い出す。半端な体勢で寝入っていたせいか首が痛い。
「……あれ? 俺だいぶ寝てたか?」
「一時間くらいかな」
「ほんとか……」
午後は休みである。おそらく主人のほうは、今ごろ自室の寝台でミツヒデ同様昼寝を堪能している。
「すまんな、つい気持ちよくて」
「別に。休みだしいいんじゃない」
「起きるまで待っててくれたのか」
「これ片付くまでに起きなかったら置いてくつもりだった」
木々は相変わらず平坦な声で平坦な言葉を突き付ける。彼女がそう言うのだから下手をすると本当に置いていかれていたかもしれない。起きたら無人の執務室だったなんて侘しいにもほどがある。
「あとあんた隙だらけだったよ」
「……いや、まあ、かなり寝入ってた自覚はあるが」
おまえだって寝てるときは無防備だぞ、と喉まで出かかり、賢明なミツヒデはすんでのところで言葉を飲み込んだ。うっかり口にした後の室温など想像するだに恐ろしい。赤くなるという可能性が一割でもあれば口にしてもよかったが、三割睨まれて七割無視されるという相手なのだからただの地雷だ。
「まあ、木々はこういうとこで寝ないもんな。人目につく場所というか」
「こういう場所で熟睡できるほどの神経を持ち合わせてない」
「棘がある、棘が」
人目につくと言っても室内である。そういう皮肉は木の上や主人の寝台でも平気で寝ていられる男に向けるべきだ。
「うたた寝の気持ち良さを知らないなんてなあ、損してるぞ、木々」
「興味ない。寝るなら部屋で寝る」
「いやいや、一度くらいやってみるもんだって」
本を書棚に戻した木々が、一瞬妙な沈黙を置いてから振り向いた。彼女の表情はいまいち感情の読み取れないもので、しまった機嫌を損ねたか、とミツヒデは思わず身構える。
「……失言だったか?」
「別に」
声に棘はないが好意的な色もない。それはそれで空恐しいミツヒデである。
コツ、と硬い足音を響かせた木々が、そのままミツヒデの眼前まで迫った。相変わらず感情の読めぬ目元である。ミツヒデは心持ち姿勢を正して彼女を見上げる。
「……木々?」
「たとえば」
ぐいと胸ぐらを掴まれてソファに引き倒された。
え、と動揺が声になりきる前にさらに体重がかけられる。腹のあたりに彼女の体重を感じながら、それ以上に木々の顔が近く、もはやミツヒデは息苦しいどころの話ではない。
「ちょ」
「起きてこうなってたらどうする」
彼女の髪が耳からこぼれて頬を掠める。首元を圧迫する木々の左腕のみが物騒なだけで、あとは迫られていると表現して差し支えない。せいぜい取り巻く空気に色気がないことくらいである。当然彼女の表情にもそんな気は一切見られない。
ミツヒデは少し間を空けてから、どうもこうも、と平静を手繰り寄せる。
「状況によるだろ。女か?」
「……どっちでもいいけど。そういう趣味?」
「いや、ないって。ないから引くな」
見下ろす視線が痛い。
ミツヒデは軽く咳払いをして仕切り直す。
「……まあ、大前提に、ここまで近付かれて起きないってことを考えたくないが、相手によっては腕を捻り上げるとか、普通に距離を取るとか」
こう、と彼女の肩を押し返す。もともとそういうつもりがなかったこともあるだろうが、木々の体は案外あっけなくミツヒデから離れた。これはこれで勿体ない、とミツヒデは不埒なことを考える。
「で、どういう話なんだ、これ」
「そういう話」
起き上がったついでにさっさと立ち上がった木々は、よくわからぬ実演をも一方的に切り上げてしまう。
腹の重みは消えたが消化不良もいいところである。いまいち釈然としないまま、ミツヒデはひとまずソファの上で体を起こした。木々は見向きもせずに書棚に戻っていく。
「こら、木々」
「あんたはそれで済むでしょっていう話。私は力で勝てない相手があんたより多いの」
ああそういう、とミツヒデはようやく合点がいった。
彼女のことだ。その警戒心に根差すものといえば、剣士として隙を晒したくないといったえらくストイックなものであろう。別にそれでもいいのだが、いまひとつ、わかっているようでわかっていない。
たしかに無頓着な彼女にしては殊勝な心掛けだ。
だがその警戒心の、肝心のフィールドが数センチほど甘い。
あんなことをされて何とも思わぬ人種と認識されているのなら甚だ心外だ。
隙をついて距離を詰めるくらいの下心はこちらだって常備している。
「寝る時の警戒心はともかく」
「何?」
腰を上げて彼女の背中にゆっくり迫る。
警戒線を誤っている彼女は振り向きもしない。
「起きてる時の話をだな」
軽い言動ひとつでスイッチなど簡単に入ってしまうのだ。そのあたりをもう少し自覚したほうがいい。
声に潜んだ色を察知した木々がようやく振り返る。本能的に身を引かせた彼女に、それだと遅いんだって、とミツヒデは苦笑しながら手を伸ばした。
(2014/10/11)
メートル法なのかヤードポンド法なのか迷ってピンとくるほうはメートルか、となってセンチにした気がする。めちゃくちゃ余談。