deeply
 よれたシーツに細い髪が落ちている。  手元の灯りをおぼろげに反射するブロンドはどこか寒々しい。最中、彼女の髪に指をすべらせる時はあんなにも高揚しているのに、こうなってみるとなんとも味気ない、とミツヒデは埒のないことを考える。  木々は寝台に腰掛けて衣服を整えている。後ろに払った髪がさらりと揺れて妙になまめかしい。髪を残すくらいならその髪に指を通す時間をもう少し残してくれても、と愛着なんだか煩悩なんだかよくわからぬ本音を持て余しながら、ミツヒデはぼんやりと彼女の背を眺める。  ふいに木々が振り向いた。  唐突に目が合ったことでいささか動揺しながら、ミツヒデはサイドテーブルから彼女の身分証を手に取る。 「……つけてやろうか?」 「それ寝言?」 「眠いだけだ」 「おやすみ」  声が冷たい。ミツヒデは大人しく身分証を差し出した。木々はそれを首にかけながら、あんたって、と会話を続ける。 「女買ったりするの」 「え」  危うくサイドテーブルの水をひっくり返すところだった。 「なんで――」 「手馴れてる。今のとか」 「いや、あれは、ほんの冗談というか」  実際のところは冗談が三割と下心が七割だ。少なくとも経験則は一欠片もない。  うろたえるミツヒデをよそに、ふうん、と木々は無頓着である。やましいことがひとつもないのに動揺する自分も自分だが、やましいことがある体で話を振ってくる彼女も彼女だ。 「だいたい無縁だろ、そういう話。誰の入れ知恵だ」 「入れ知恵っていうか、兵たちの無駄話って嫌でも聞こえてくる」  訓練中とか、と彼女は涼しげである。ミツヒデはひどく気が滅入った。 「せめて不愉快がるとかな……」 「男ってそういうものなんでしょ」 「その割り切り方も不本意だ」 「でも現にあんただってこうしてる」  え、とミツヒデは木々の顔を見た。その発言に何かしらの含みを持たせた様子はなく、むしろ驚くミツヒデを怪訝がるというよくわからぬ構図である。彼女が得意とする無表情でたちの悪い冗談を言ったという風でもない。 「……本気で言ってるのか」 「何が」 「俺がそういうつもりで」  彼女を抱くだなんて。  確かに彼女から確かな言葉を聞いたことはなかった。けれど本意の相手でなければ突き放すどころか剣先を突き付けるような女性なので、ミツヒデは一方的にそういうつもりでいた。彼女も自分と同じ気持ちで、だからこそ応えてくれているのだと。  けれどどうやら噛み合っていなかった。  どうりで何かがむなしいと思ったのだ。 「……あんたは立場があるから軽率な真似はできないし、私なら手近で関係性上怪しまれにくい」 「それに口も堅いしな。おまえの性格だってカモフラージュになる。他には?」 「何怒ってるわけ」  今さら、と木々が寝台から立ち上がる。身なりはきっちり整えられ、まるで何もかもをなかったことにされている気分だった。  細腕を掴む。少し乱暴な力だった。引き留められた木々はいささか面倒臭そうでもある。 「離して。戻らないと」 「話終わってないだろ」 「何の話。兵たちの雑談と同じ扱いにしたのがそんなに気に入らないわけ?」 「おまえがそれを怒らないから怒ってるんだ」 「何言っ……ッ」  彼女の体を寝台に引き倒した。その上に伸し掛かるようにして抵抗を封じる。勢いに乗じて唇をふさぐと腕に爪を立てられた。 「ミツヒデ!」 「他の男が相手でも同じことをする?」 「飛躍しすぎ――」 「そういうことだろ」  まだ何か反論するつもりらしい彼女の口をふさいだ。下唇を食んで舌を触れさせ、先よりも一方的で息苦しいキスをする。もがく体を寝台に押さえつけながら、今さら抵抗する彼女の真意がわからず妙に苦しかった。 ***  彼女はいつだって縋るところをシーツに求める。  思えばこれまで、快楽に耐える指先がミツヒデの手や背中に伸ばされることはなかった。  酸素を求める彼女の唇を執拗に追い、乱れた吐息を乱暴にふさぐ。苦しげな声が喉の奥で潰れ、木々は逃げるように身を捩った。 「っ、ふ……ッ」  シーツを握りしめる手を無理に引き剥がし、開かせた手のひらに自身の手を絡めさせる。びくと震えた指先から躊躇が伝わってきたけれど、ミツヒデは構わず華奢な手を握りしめた。 「――ッ、待っ、て、ミツヒデ」 「いやだ」 「ミツヒデ」  呼ばう声がぎゅうと胸を締め付ける。彼女に名を呼ばれることが好きだった。そうして、そのたびにミツヒデは勘違いを重ねた。彼女がその声で呼ぶのは自分の名だけだと。その声を聞くことができるのは自分だけなのだと。愚かにもそう信じて、彼女の心をそこに見出そうとした。 「な、んで……、そんなに」 「何が」 「あんたは、どうなりたかったわけ」  ミツヒデは顔を伏せる。彼女こそどういうつもりでこの関係を許したのだろう。  思えばミツヒデは、これまでの距離に自惚れてそんなことに目を向けようともしなかった。こういう事態を恐れて本能的に目を背けていた。今になってようやく自身の身勝手を自覚して、あまりの情けなさに反吐が出そうだった。 「……俺は、たとえば」 「……」 「たとえば、俺がよそで女を買ってるとしたら、おまえが一週間口をきいてくれなくなるとか、そういう」  そういう、人間らしい関係を望んだ。  木々が何かを言おうとしたが聞きたくなくて唇を塞いだ。ふ、と呼気がこぼれ、彼女がキスを拒むように顔を背ける。拒まれる理由も彼女の本音も知りたくなくて、ミツヒデは強引に彼女の膝を押さえた。 「っ、待」 「木々」  捌け口のつもりなんてなかった。彼女だから求めたのだ。けれどその想いは届いておらず、その上で木々がミツヒデを受け入れた事実がぐずぐずと心臓を抉る。いっそ拒絶してくれたらよかった。捌け口なんてお断りだといつもの涼やかな声で撥ねつけてくれたらよかったのだ。  だって、それはつまり、他の男であっても同じように受け入れるということだ。 「――ぁ、……ッ!」  持て余した感情を押し付けるように無理矢理彼女の中に押し入った。先よりも窮屈に感じるのは手荒い行為に体か強張っているためだろうが、そうとわかっていながらミツヒデは歯止めがきかない。  渦巻く感情の正体すらよくわからなかった。苛立ちか、手の届かぬ切なさかもどかしさか。あるいは誰とも知れぬ男への嫉妬か。  いつもはもっと聞きたいと焦がれる彼女の声も、今はその感情を助長させるだけでしかない。 「……っ、ん、ン」 「木々……」 「あ、……ッく、嫌……っ」  拒絶の言葉に脳が焼ける。どうして今になって拒むのだろう。  縫い止めた指先がすがるようにミツヒデの手を握り、深いところを抉るとその手により力がこもる。ミツヒデは彼女の反応を求めて執拗に穿った。縋るてのひらにミツヒデのほうが縋りついているかのようだった。  木々が荒い吐息と湿った声の合間に何かを訴えようとして、そのたびにミツヒデはしつこくキスで遮る。ひどく息苦しい。ひとりよがりな感情がむなしくて情痕をつける気すら起きなかった。 「……ッ、聞、いて、ミツヒデ」 「聞きたくない」 「ッん、ぁ、――私……」 「やめろって……!」  吐露される感情を受け止める勇気もなく、そのくせ自分の感情は吐露するどころか力任せにぶつけている。ひどい話だ、と頭の冷静なところがミツヒデをなじる。  手に追えぬほどの衝動に思考が焼けつきそうだ。いつもは彼女が嫌がる奥のほうを無遠慮に抉り、そうやって言葉の続きを奪った。悲鳴のような声。引け腰になる細い腰を押さえる。 「ッあ、ぁ! ミツ……ッ、だめ……!」 「は……、俺だって、聞きたくない」 「違、――っ」  ミツヒデは聞こえないと首を振り、呼ばう声すら聞きたくなくて彼女のからだをゆさぶった。苦痛を訴える言葉も無視して乱暴に奥を突きくずす。苦しげに喘ぎ、呼びかけすらままならぬ木々が、体を震わせた拍子にミツヒデの背にすがりついた。ぐ、と爪の食い込む感覚。  その痛みも、声も吐息も熱も、手元から逃したくなくて荒々しいまでの欲をぶつけた。頭がくらくらする。ぶれる思考が熱に溶け、彼女の表情はとうに熱に浮かされ、それにまた煽られ、もうどうにもならなかった。 「――あ……ッ、ぅ、あァ……っ!」 「……ッ、木々……!」  すがりついた木々がミツヒデの耳元に口を寄せた。掠れた声が発する言葉を、けれど熱にやられた頭では理解する余裕もなく、目の前に現れた白いうなじに食らいつく。  最奥をえぐる。木々がひときわ高い声をあげ、からだをしならせた。絶頂に震える彼女の表情と締め付ける快楽に負け、ミツヒデもひとりよがりな欲望を彼女の中に吐き出した。 ***  吐精後のうわついた靄が頭から引いてきた頃、ようやく絶頂の間際の言葉が頭に届いた。  あれ、とミツヒデは彼女の首筋から顔を上げる。 「――え?」 「何……」  木々が気だるげにミツヒデに視線を向けた。彼女の呼吸はまだ荒い。 「いや、さっきの」 「何が」 「おまえが、言ったこと……」  嬌声の合間に紡がれた言葉を今いちど頭の中で吟味する。幾度も何かを訴えようとして、そのたびミツヒデに口を塞がれ、それでも懲りずに伝えかけた言葉がおそらく最後のそれだ。靄がかった頭では上手いこと処理しきれず、役立たずの思考回路を必死に稼働させているとぺちりと頬に手が添えられた。  はっとして木々を見下ろす。彼女は呆れていた。 「……もう二度と言いたくないけど」 「二度とって」 「相手があんたじゃなかったらこんなことしない」  彼女の告げたこんなこと、についてミツヒデは今一度考え込まねばならなかった。関係を持ったこと、彼女にとってそれは感情の付随しないもので、応じたのは相手がミツヒデだったからだと言う。それはそれで混乱をきたすミツヒデは、いや、だって、とおおよそ意味のない言葉を取りこぼした。 「だって、おまえが、そういう関係だって」 「そう思ってたから」 「じゃあ、なんで」 「二度と言わないって言った」  会話のパズルが埋まるまでに数秒必要だった。二度と言いたくない言葉がこの答えだというのならつまり。どこを探っても見つけられなかった彼女の本音は、ミツヒデが気づかなかっただけで足元に転がっていた。なんて馬鹿げた話だ。 「……自惚れそうだ」 「話聞いてた?」 「木々はたまに遠回しすぎる」 「そうかな。充分自惚れやすく話したと思うけど」  ミツヒデはいよいよ認めざるを得なくなった。言い回しはややこしいが汲み取る限り彼女の感情は明確で、関係性に怖じ気づいて直視しなかったのは自分のほうで、つまり先の事態は一方的にミツヒデが悪い。 「……すまん、木々」 「何が」 「その、勝手に勘違いして、手荒いことをした」 「あんたじゃなかったら許してない」  ふとかち合った彼女の瞳には挑発じみた色がちらついている。今度こそこちらが何か言う番だ、と思い至り、ミツヒデは突如難題を突き付けられた気分になった。すれちがった感情のまま関係を持った、その前に言うべきだった言葉を思い返してみたが今さら口にするとなるとどれもむず痒い。何より彼女がその類いの台詞をさむいと言って一蹴することなど容易く想像がついた。  これまでの関係を思い返す。  彼女がこんな瞳でミツヒデの言葉を待つなど有り得なかったし、彼女の手がシーツに縋ることもきっともうないのだ。 「……キスしていいか」  そうして出てきた言葉は後々思い返すとひどく無粋な台詞であった。  けれど吹き出した木々は何故か満足そうで、それをどう捉えたものかと複雑なミツヒデに、早く、と彼女がせがむ。少し乱れた彼女の髪に指を差し込み、ミツヒデは今さら紳士的な口づけを試みようとしたが、結局堪らず噛みつくようなキスをした。
(2016/05/14)
木々嬢視点で書くか旦那視点で書くかものすごく迷った記憶があります。たしか書き出しが思いつかなくて旦那視点になった。

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