ダウンフォール
 冷えた空気に意識が浮上して、ミツヒデはうつらと重たい瞼を持ち上げる。深い静寂は夜明けの遠いことを告げており、室内も外もまだ暗い。  外気がシーツにすべり込む。冷気のもとは隣であった。くらやみの中、白い肌が視界を掠め、ミツヒデはつられて頭を起こす。 「……木々?」 「ああ、ごめん、起こした」  シーツから這い出たところの木々が、中途半端な体勢で視線を寄越した。シャツを羽織っただけの薄い肩が寒々しく、どうした、と問いながらミツヒデは彼女ごともう一度寝台に潜りたい。 「別に。喉かわいただけ」  色事の名残りも見せぬ声で木々が言う。おそらく嫌味のつもりはないだろうが、気の逸っていた数時間前を思い出してミツヒデはさすがにばつが悪くなった。  明日、というか、おそらく日付を跨いでいるので今日というべきか、ゼンに合わせて午前中は休みで、だから余計に甘やかしたかったのかもしれない。自分と彼女と。休みの前くらい、と。 「寒くないか?」 「これ借りる」  言われてよく見ると、彼女の羽織っているシャツは自分のものであった。木々はミツヒデの返事など待たずに袖を通している。まるきり合わぬ肩幅が微笑ましく、ミツヒデはボタンを留める彼女の背中を黙って見ていた。彼女は気にも留めずに寝台から離れる。ミツヒデはしつこく視線で追う。  白いシャツが室内の闇に浮き上がる。その背に揺れる髪と薄いからだ、すらと伸びたしなやかな足。視線が捉えるのはそんなものばかりである。  彼女の背中はどうにもいただけない。  一度枕に顔を押し付けて、しかし暗転した視界に、というか脳裏に浮かぶのは彼女の白い肌で、ああもう駄目だと諦めて身を起こした。  折りよく戻ってきた木々と目が合う。彼女はミツヒデを前に不審げである。 「……なに、挙動不審だけど」 「あー、ちょっと、煩悩がな」 「は?」  纏り付くシーツも無視して寝台のふちまでにじり寄り、怪訝がる木々に手を伸ばす。とらえた腰を引き寄せると彼女はいとも簡単にバランスを崩した。 「ちょっと」  不意をつかれた木々が慌てて寝台のふちに膝をつき、両手でミツヒデの肩に掴まって平衡を保つ。その不自然な体勢のまま細い腰をがっちりホールドして、伸び上がるようにして首筋に唇をつけた。抑え込んだからだがひくりと強張る。 「な、に」 「ん? わからないか?」 「……さかってる」 「そう」  首を下に辿り、鎖骨との窪みに舌を触れさせながら、せっかく彼女が留めたシャツのボタンを探る。肩に添えられた手がわずかな抵抗を見せた。ミツヒデは構わず襟をくつろげて、鎖骨に甘く歯を立てる。 「ちょっと、痕つけないで」 「情緒ないよなー」 「ほっとくと、あんた、好き放題やるでしょ」  つけてもいないのにこの言われようである。好き放題ともまた違うが、彼女に言っても伝わらないだろう、とミツヒデは言葉を飲み込む。  離した顔を今度はぐっと彼女の顔に寄せる。わざと唇の端を掠めると、顔をしかめた木々が彼女のほうから唇を合わせてきた。  仰のぐかたちで木々の唇を受け止める。いつもと正反対の体勢。それだけで簡単にたかぶってしまうのだからどうにもならない。 「――ッん!」  ボタンを外し終えた手で、たまらず木々の頭を抑え込んだ。鼻で鳴いた木々の手にぎゅうと力がこもる。腕を回していた腰をさらに引き寄せ、唇も密着させ、彼女の意識と舌を篭絡して。  抜けた声が口内に滲む。舌を押し付けるように絡めて、じわと音を立てて吸うと唾液が流れ込んできた。受け止めそこねたものが口の端を伝い、それが彼女のものと思うだけで脳髄が焼け付く。たぶんもう正気ではない。  力の抜けそうな痩躯を見かねて、押さえ込んでいた頭を解放して彼女の体を支える。その拍子に唇が離れた。苦しげに酸素を取り込んでいる木々をよそに、ミツヒデはシャツを広げて白い肌に顔を寄せる。 「ん……」  胸の下に唇を押し付けると木々が背を強ばらせた。そのまま乳房の麓をたどるように舌を這わせると、彼女は唇を噛み締めて声を抑えてしまう。 「木々、声」 「嫌」 「今さらか?」 「う、るさいな……」  ならばと左手でもう片方のふくらみに触れ、芯に触れぬようにして手のひらで感触を楽しむ。唇は相変わらずふちをなぞり、たまに戯れにやわらかみを食んでやった。木々はむずがるように身をよじり、そのくせ両手はいまだミツヒデの肩にすがったままだ。  声は一向に上がらない。焦れたミツヒデは、唇を一度離して狙いを変える。しこる先端に舌を押し付けると、木々のからだがびくと震えた。 「ふ……ッ」  反射的に身を引かせた木々の腰をやんわり引き戻す。舌先で擦り、くちに含み、ミツヒデは木々のからだから優しく力を奪っていった。  体勢を保とうと変に強ばっている腹を辿り、ゆるやかな導線で淡い繁みへ。たぎる熱のなかへ指先を埋めると、木々が不自然に喉をひきつらせた。 「……きつそうだな」 「っ、そういうこと、言わないで……っ」 「いやいや。木々も辛そうだし」 「ぅ、――んッ」  指をゆるく動かすだけで絡まる熱が増す。堪えきれぬ声が浅い呼吸に紛れてきて、ミツヒデの情欲を掻き立てた。 「は……、ッ、あ」 「……ほら、その声」 「さ、いて……!」  憎まれ口もそれすら甘美な響きにしか聞こえず逆効果である。そうしてこちらも否応なしに余裕を削がれていって、そろそろミツヒデのほうもきつい。  粘液にまみれた親指で上部を探り、控えめに存在を主張する蕾を掠めるとあえかな悲鳴が漏れた。切羽詰まった様子の木々が震える体でミツヒデに縋りつく。ミツヒデは愛撫の手を緩めない。内壁のいやがるところを執拗に擦り上げると、彼女は声を殺す余裕もなく気をやった。  いよいよもって力の抜けた木々を支え、粘着質な音を立てて指を引き抜く。ひくりと震えたからだを両脇から持ち上げるようにして、自身に跨がらせて膝をつかせた。  視線をやると木々のそれとかち合う。いつも強い光を称えた深い瞳が、今は、快楽に溶けてひどく甘やかしい。  ぞくりとミツヒデの背に甘い痺れが走る。  すでにどうしようもなく昂っている自身を、たぎる熱の中心へとあてがった。本能的に腰を引かせた木々を押さえ、そのまま、ぐ、と先端を埋める。  木々が喉元で小さく呻いた。 「……下りてこれるか?」 「ん……」  やたらに熱い吐息をミツヒデの肩口に触れさせて、木々がゆっくりと腰を沈めていく。ぐずりと内壁の擦れるたびに息を詰め、その震えすらじかに伝わって気が逸った。  木々の秀麗な面差しが歪められる。しかし目許はうっすら朱く、噛み締められた唇からは艶やかな吐息が。 「木々……っ」 「あ、――ッ!」  強引とわかっていながら、たまらず腰に添えた手で押さえつけるように深めた。突如与えられた刺激に木々は身を震わせ、そのままミツヒデの肩に縋り付く。彼女の細い髪がさらさらと肌をくすぐった。 「は……っ、何……」 「いや、つい、我慢ならなくてだな……」 「なんなの……」  剣呑な口調はおそらく、彼女の精一杯の虚栄であろうが、吐息混じりの声では誤魔化しようがない。ミツヒデはうかがうように、とん、と軽く揺さぶった。抗えぬ刺激に木々が縋るようにからだを密着させ、その体温が思った以上に高いものだから、つい煽られて細い腰を抑え込む。 「待っ、て、だめ……!」 「……あー。なんだ、意外と余裕ないな、木々」 「あんた、こ、そ……ッぁ」  肩口に顔を押し付けるようにして快楽をやり過ごす、そんな彼女の吐息が首筋に当たって熱い。噛み殺しきれぬ声だって耳朶に近い。ミツヒデ自身も苦しい息を吐きながら、どうにかしてしまいそうな手を彼女の頭に添えることで衝動をやり過ごした。 「木々」 「っん、あ……ッ」 「木々……」  宥めるように髪を撫でて、大丈夫か、と声をかける。もぞと動いた木々の頭が重たげに起こされた。  は、と苦しげな吐息。ゆるやかに持ち上げられた双眸が、溶けた色でミツヒデを捉える。それでいて芯を失わぬしたたかな瞳に、ミツヒデはいとも簡単に呑まれてしまう。  深めるような動きを見せると木々がささやかな悲鳴を上げて仰け反った。  白い首筋に唇を押しあて、舌をちらつかせながら喉元を辿る。くぐもる声の動きが唇づてに伝わり、そんな些細な接触すら脳髄を甘く溶かした。 「……る、し……」 「ん?」 「息が、詰まる……」 「ああ、悪い……」  訴える言葉に唇を離して、けれど物足りなくて、うなじを掠めて耳に触れる。  同じだ、とミツヒデは息を吐いた。苦しい。息苦しい。些細な吐息にさえ反応して震える、こんな彼女を前にまともな呼吸なんてできるわけがない。  耳を嫌がって顔を背けた木々の瞳を、覗き込むようにして捉える。  まなじりに浮かんだ涙を親指で拭う。頬を滑って軽く仰がせると、木々がおもむろに首を伸ばした。  せがむようにミツヒデの唇に触れる。途端に背中に得も言われぬ刺激が走り、何か思う間もなく彼女の唇に齧りついていた。 「んぅ……ッ」  苦痛からの呼吸と悦楽からの声がないまぜになって口内に滲む。舌がもつれ合ってそのたび木々の腹がひくりと震え、襲いくる波に持っていかれそうでミツヒデは顔を顰めた。  細い腰を押さえつけるようにして、ゆるやかに、けれど深く、を繰り返しているうち、それまでと違うところの擦れた木々が大きく反応を見せる。 「い――ッ」 「……っうわ、まずい、木々……っ」 「な、――っあ、ちょっと、待っ……ミツヒデ、待って」 「待てん、だめだ、悪い……!」  咄嗟に押し返そうと動きを見せた手が、次の刺激にあっという間に力をなくした。密着する体温がひどく熱い。  おそらく無意識に、何かを求めるような動きで木々の両手が背中から肩にすがる。短い爪がじわじわと食い込んで、それすら甘い刺激となりえてどうしようもなかった。  湿った吐息が肩口を濡らす。締め付けられる間隔が次第に狭まり、互いの限界をからだが訴えていた。ミツヒデはふっと息を詰めて押し付けるように最奥を圧迫する。  高く呻いた木々がからだをしならせた。達した彼女の中が等間隔に収縮を起こし、耐えきれず溜め込んだ熱を吐き出す。脳が焼きつきそうだ。 「――……ッ」 「……は……っ」  くたりと脱力した木々の肢体を支え、ミツヒデは深く息をついた。 「――悪い。中……」 「……早い」 「……あのな……」  たしなめたものか反論したものか、少し考えてから結局どちらもやめた。頭が回らない。  木々は荒い呼吸を整えている。肩にもたれたままの頭に手を回し、そろりと髪を撫でた。  動く気がないのか。動けないのか。  聞くのもなにか億劫で、こちらも黙って呼吸を落ち着ける。  深い夜の一室、互いの息づかいだけが空気を震わせていた。 「……風呂いきたいな、寝る前に……」  沈黙を破った声が思った以上に掠れている。その前に何か飲みたい。  けれど、応じるかと思っていた木々が、無言のまま縋る手に力をこめた。横着するように黙っていた彼女は、いくらか落ち着いてきた様子で息を吐く。 「……もうすこし」  このまま。  肩口にくぐもる声が力なくねだる。情事の空気にあてられたか、舌足らずな物言いがひどく甘やかしい。  ミツヒデは深く息を吸った。油断するとまた頭をもたげてしまいそうな欲望になるべく気を向けないようにして、軽いタッチで木々の頭を叩く。  無防備に全身を預ける彼女の体温も、重みも、柔らかみも、毒々しいまでにやさしい。  間違ってもこのまままどろむなよ、と指通りの良い髪をいじりながら、ミツヒデは苦笑まじりに息をついた。
(2013/03/24)
過去サイトの記念リクエスト「甘甘でえろい話」

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