エーデルワイスと誘い文句
 イザナが開くという夜会に当然ゼンも出席を余儀なくされ、彼は微妙な表情を浮かべてミツヒデと木々にも出るよう命じた。側近として言われずともそのつもりである。  当日の夕刻、貴族の出入りに賑わう城内で、ミツヒデは木々の私室に向かっていた。  現在ゼンにはオビがついている。護衛とはいえ他人が開く夜会なのだから礼装に着替える必要があるわけで、ゼンの身支度に合わせて木々も席を外していた。主人の準備が終わるかという頃、木々の様子を見に行ったらどうかと提案したのはオビで、平たく言えば迎えに行ってやれということなのだろう。まったくもってお節介である。  とはいえ言われるがまま馬鹿正直に相棒の部屋を訪れている自分も自分だ。  ミツヒデは部屋の前まで来たところで少々打ちひしがれ、来てしまったものは仕方ない、と諦めてドアをノックした。 「――木々、そろそろ準備できたか?」  ドアの向こうへ声をかける。てっきり声が返ってくるものと思い込んでいたミツヒデは、声より先にドアが開いて面食らった。思わず一歩後ずさり、現れた木々の姿に言葉をなくす。  シンプルなドレスに結い上げられた髪、薄く施された化粧と、初めて見るわけでもないのにミツヒデは落ち着かない。纏う空気、気品、佇まい、どれを取ってもミツヒデの知る彼女とは別人のようで、それでも剣士としての重心をなくさず凛然と立つ姿にいつも思い知るのだ。彼女はほんとうに美しい。 「ミツヒデ?」 「あ」  呆けていたところに名前を呼ばれ、ミツヒデは我に返った。 「迎えにきた。ゼンの準備はもうできたんだが」 「私ももう行ける。そんなに待たせたかな」 「いや、オビに言われたんだ。迎えに行ったらどうかって」 「言われたっていうかからかわれてるんじゃないの」  やっぱりそうかと笑いながら、それでも木々のこの姿を一番に目にできるのは役得に違いない。口にしたら間違いなく底冷えした視線を向けられるので黙っておいた。 「エスコートするか?」 「別にいいけど、また超貴公子とか言われるんじゃない」  傷を抉るだけ抉って、木々は当然エスコートなどされる気はなさそうである。普段とは違う装いと普段と変わらぬ中身と、そのギャップに緩む頬をミツヒデはひとまず苦笑の表情に落ち着けた。 ***  先ほどまで全開で疲れた顔をしていたくせに、今はそれを微塵も感じさせない主人の姿にミツヒデは心底感心していた。目下ゼンが話している相手の名は忘れたが見覚えのある顔で、たしか子爵だった。いや伯爵だったか、そのあたりも含めて誰だったかと隣に聞こうと顔を向けると、木々がいない。  驚いて視線を巡らせる。するとたいして離れてもいない距離のところで、見知らぬ男に絡まれている木々がいた。  ふむ、とミツヒデは考える。木々が適当にあしらえないとなると相手はそれなりの身分か。ただどうにも純粋に世間話を楽しんでいる様子ではない。  というのも、木々があまり積極的に相手と目を合わせようとしていないのだ。ついでに言うと相手が木々に向ける視線の色が気にくわない。隙を見て彼女の肩に触れようとしているあたりもいただけない。木々は絶妙なところでそれをかわしている。  たしかに今の木々は美しい。だからと言って気安く触らないでほしい。オビがいればこの場を離れることもできたのだが、例によって彼は数分前から姿を消していた。 「木々! ミツヒデ! 行くぞ!」  その時、主人の声が二人を救った。木々が相手の男と儀礼的な挨拶を交わしている間、ミツヒデはゼンに近寄ってさすがは殿下と冗談混じりに笑う。 「いや、なんていうか、ミツヒデ、おまえ眉間の皺すごかったぞ」 「え」  思わず指先で眉間を確認してしまう。 「ほ、ほんとか……?」 「ああ。まあ、気持ちはわからんでもないが、珍しいな」  わからんでもないのか、とうっかり口にしかけて、ミツヒデは慌ててそれを飲み込んだ。しかしそうか、顔に出ていたのか。自分でも驚きだ。  こちらに合流してくる木々の横には、いつの間に戻ってきたのかオビの姿があった。途端にゼンが呆れる。 「おまえ、今までどこ行ってたんだよ……」 「いやあ、ちょっとばかし不審な男を見つけたもんで、まあ一仕事ですよ一仕事」 「一仕事の前に一声かけろってな、毎回毎回」 「それにしても空気読みますねえ、主」 「人の話を聞け!」  ゼンの文句をことごとく受け流して、オビはくるりとミツヒデに視線を向けた。 「旦那だってそう思いましたよね!」 「俺に振るな……」 「主の護衛交代しますよ。木々嬢も疲れてるみたいだし、何か一曲くらい踊ってきたらどうです」 「踊るっって言ってもなあ」  しかしゼンまでそうしろそうしろと雑に便乗する始末である。さりげなく木々を見やると、本当に疲れているのかあるいは不機嫌なのか、いつもの憎まれ口すらない。しまったストッパーがいない、とミツヒデは急に頭が重くなった。  そもそも側役という職務を放棄してまで踊るのもどうだ。というか聞いたことがない。いくらオビがいるとはいえ。いくらゼンが乗ったとはいえ。  けれどそうやってあれこれ考えているうちにゼンとオビは先に行ってしまった。  ミツヒデは踏みきれぬまま木々を振り返る。 「……どうする、木々」 「どっちでも」  ミツヒデは目を瞬かせた。てっきりあしらわれるか無視をされるか、そのどちらかを覚悟していたミツヒデにとっては拒絶がないというその一点ですでに晴天の霹靂である。そうなるとどうせならという欲が頭をもたげてしまうもので、どっちつかずな彼女を少しくらい独り占めしたっていいだろう、とそこからのミツヒデの決心は早かった。 「なら、気分転換に、一曲」  ミツヒデは微笑んで、うやうやしく手を差し出した。 「お手を?」  すると、本当に意外なことに、木々がふわりと目元をやわらげた。華奢な手を、優雅な仕草でミツヒデのそれに重ねる。  うわ、とミツヒデは息を呑んだ。心臓がうるさい。 「……こうしてみると木々も普通に貴族のご令嬢って感じだな」 「子息じゃなくてね」 「それ忘れてくれないか……」  年甲斐もない心拍数を色気のない会話で誤魔化し、舞踏の輪の中に彼女をエスコートする。  彼女の細い腰に手を回すと一気に距離が縮まった。こちらの動揺など知るよしもない彼女は慣れた所作でミツヒデの肩に手を添えて、踊れるかなと無感動につぶやく。 「久々だしなあ」 「足踏んだらごめん」 「……一応言っておくが、わざと踏むなよ」  上品なワルツにあわせて足を踏み出す。彼女のドレスがふわりと舞った。  久々とはいえ立場上それなりの場数がある。最初こそぎこちない動きでひんやりと睨まれもしたが、次第に体のほうが動きを思い出してきた。心地良い三拍子に身を任せる。少なくとも足を踏む心配はなさそうだ、とミツヒデは密かに胸を撫で下ろした。 「……で、さっきの、誰だあれ」 「さあ、どっかの公爵らしいけど。名前忘れた」 「忘れたって……」  こっちがどんな思いで、と苦言の一つや二つ呈してやりたいものだが、そもそも木々に非はない。強いて言えば自覚が足りていないくらいか。 「ちょっと世間話に付き合ってただけでしょ」 「いや、木々はそのつもりだろうけど」 「何」 「今日の木々はそこらの令嬢より綺麗だからなあ」 「……あんた、そういうこと言ってて恥ずかしくならないの」  そう言うなら少しくらい照れてくれてもいい。 「いや、別に。木々、無頓着だし」 「妬いてるわけ」 「そりゃあ」  今だってやたらと視線を感じる。さりげなく見渡すと案の定木々を見ている男が多いのだ。そのうちのひとつは面白そうにこちらを見ているオビのものであったが。  ミツヒデは近い距離をさらに縮めて、耳元で囁くように言う。 「本当は誰にも見せたくないんだぞ、木々」 「……それ、妬いてるっていうか」  木々はやはり呆れ顔である。普通の女ならいい加減頬を染めるくらいはしている。  独占欲だがなんだとミツヒデは居直って、ずいぶん近いところにある白いうなじに目をやった。 「嫌か?」 「その聞き方が嫌だ」  暗に卑怯だと言われた。つまり嫌ではないわけだなと勝手に解釈して、ミツヒデは口元に笑みを刷く。 「……木々、このあとは?」 「戻って寝る」 「つれないよなあ」  そのかわし方は逆に無防備だ。こちらが何を言いたいのかわかっているくせに。  さらに畳み掛けるべく言葉を選んでいると、おもむろに木々が視線を上げた。違う、とミツヒデは直感する。本気でかわすつもりなら彼女がこんな隙のある答えを寄越すはずがない。 「相手してほしいわけ?」 「……そうくるか」  なんとなく先手を打たれてしまった。こうなったらもう直球勝負で挑むしかない。ミツヒデは近付けていた顔を一旦離して、余裕ぶった微笑みで彼女に挑む。 「それじゃあお相手願おうかな」 「するなんて言ってない」 「もう遅い。覚悟しろよ」  曲が終わった。  密着していた体を離そうとした時、不意に木々の影が動いた。身長の差を埋めるように軽く背伸びして、ミツヒデの耳元で応えを囁く。珍しい不意打ちに驚くミツヒデに、木々はふわりと社交用の微笑みを見せて体を離した。  やられた。一瞬のうちに普段通りの表情に戻った木々が、戻らないの、と問うので、いや戻るが、とミツヒデは苦笑する。戻るが少し待ってほしい。緩んだ頬が果たして本当に苦笑の形になっているのかいまひとつ自信がなかった。
過去サイトのアンケでドレス木々というリクエストいただいて書いた代物でした

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