ブリキの挽歌
片側からは称賛の言葉が。
片側からは呪いの言葉が。
ミツヒデはいつも呪いの言葉に背をむけて、目を輝かせる若い兵たちにありがとうと笑う。笑いながら抱く感情はいつだって苛立ちだった。それも自分への苛立ちではなく、称賛の言葉と、称賛の眼差しと、それらを向ける人々と、自分に矛盾を生じさせるものに対する対外的な苛立ちだ。
身勝手な感情を浮き彫りにする、身勝手な自分を突きつけられる、ミツヒデにとっては悪夢といえた。
人を斬るたびにそういう夢を見た。
***
どろりとした感情が、あるいは感情だなんて呼べぬ、もっとろくでもない欲求が、心臓のあたりにまとわりついて離れない。引き剥がそうにも形を成さなくて掴めない。そうしてさらに触れた手にまでまとわり付く。どろりとした、黒くて、汚い感情が。
邪魔だ。うっとうしい。不愉快だ。気持ち悪い。
鬱屈する、苛立つ心のまま、こういうときはいつも彼女に捌け口を求めた。ほかに洗い流すすべを見つけられず、彼女のやさしさに甘えて、身勝手な感情を吐き出した。
「い、た……ッ」
木々はいつも抵抗しない。鬱蒼とした感情の中でもがくミツヒデを、諦観や許容といった種類のそれで受け入れた。決してミツヒデに何かを求めたりはしない。ただ受け止めて、そして、待ってくれているようにも思えた。心臓から流れてくるどろどろしたものを受け止めて、流れ落ちるまでを、待ってくれている。
「木々」
「ッ、ん」
「木々、声を」
熱に溶けた双眸を開き、木々は応じぬかわりに、ミツヒデの頭をそっと引き寄せた。まるで泣き止まぬ子供を宥めるかのように、白い首筋に、ミツヒデの顔を抱きよせる。
「……木々」
「……ひどい顔」
「木々」
「泣きかたくらい、覚えなよ、いいかげん……」
素っ気ない言葉がたしかな優しさをもってミツヒデの心に寄り添う。触れるのも憚られる汚い泥濘のところに、木々は迷わず、両手を伸ばしてくれる。
たしかにな、とミツヒデは少し笑った。
涙が出ないのではない。どんな顔をして泣けばいいのかがわからないのだ。どこに思いを馳せて泣けばいいのか見当もつかない。
泣き方がわからず途方に暮れている。
そういう馬鹿みたいな感情のもつれを、聡い彼女は見抜いてくれていた。
「ゼンが、妃むかえて、一人立ちした背中を見たら、きっと泣くだろうな、俺」
「……そういう話をしてるんじゃない」
滑舌のあやしい彼女に、わかってるよ、と応じて、近いところにあった鎖骨に唇を寄せる。ひくりと震えた木々は、それでもあやすような手をミツヒデの頭からどけない。
「不器用」
「ああ、俺のことを不器用だなんていうの、木々くらいだ」
「……それで、この、体たらく?」
じくりと内側から、またきたない感情が沸き出て、ミツヒデはその衝動を木々にぶつけた。呻いた木々が身をよじらせる。だのにその手はまだミツヒデの頭を抱きしめたまま。
器用な人間であるという自覚はあった。
他人との距離感、会話、わらいかた、剣の腕や身のこなし、頭の回転も良いほうだ。大抵のことはそつなくやっていける。なにより、他人を気遣う、気にかける、世話をやく、そういった面倒見のよさがミツヒデの人間性を形成していた。そうやって生きていくことも嫌いではなかった。
明るく穏やかで社交的。面倒見のいい人格者。
人といることも人の面倒を見ることも好きだ。周りがそうやって信頼を寄せてくれていることも知っている。
周りが、そうやって、ミツヒデを決めつけていることも知っている。
「……ひとごろし、の、俺は」
「――」
「だれが責めてくれるんだろうな」
ミツヒデという人間は正しい。護るものも、護るための力も、誰もが立派だと評してくれて、糾弾されることなど一度もなかった。持ちうる人望も相まって、人はミツヒデに敬意さえ払う。
護ることも、護るために戦うことも、たしかに正しい。誇りだってある。
けれど人々の称賛のなかには、ミツヒデの持つ、あとひとつが欠けている。
人を斬ることが正しいのか。
ミツヒデは、ミツヒデだけが、その現実を正当化できずにいる。
「……そういうところが、不器用だって言ってるの」
「……いいよな、木々は、器用で」
「私は、ただ、あんたほどまっすぐ生きてないだけ」
木々の指先が遊ぶように髪をくすぐる。
「私の世界は、あんたと違って狭いから。守るべき道のためならいくらでも手を汚すよ。善も悪もない」
「……いざとなったら俺だって殺すか?」
「……ミツヒデ?」
やさしく、やわらかな包容をもってミツヒデを包み込む彼女の手を、ミツヒデは掴んだ。
木々の優しさを拒む。受け入れる資格なんてない気がした。
頭を上げて、熱の中にまだ理性を残した、深い双眸を覗き込む。
静かな瞳にうつる自分は、まるで許しを乞うかのような。
「俺は、ゼンの、親友を斬ったよ」
「……」
「……ひとは、それを、ゼンを護ったと言うだろうな。そうじゃない、俺は、たった十三のこどもを手にかけたんだ。あの頃、ゼンが今みたいに笑う、唯一の相手を」
まだ覚えている。忘れるはずがない。忘れられるはずが。
揺らいだゼンの瞳。震える肩。まだ十三の少年が、親友の死を前に、声を上げて泣くこともできなかった。
ミツヒデはその時、その光景を黙って見ていることしかできなかった。
血のしたたる剣先。人の肉を抉った鈍い感触。そんな手でゼンの肩に触れるだなんて、到底できやしなかった。
「……あんたは、何に傷ついてるの」
「え?」
木々が目を細める。ミツヒデの、こびりつく泥の奥のほうを的確に捉えるように。
ミツヒデは無防備に言葉を取りこぼした。
「――何が」
「ゼンを傷つけたこと、こどもを殺したこと、あんたが持て余してるのは、そういうのとは違うんじゃないの」
「何が言いたい……」
意図していたよりも低い声が出た。掴んでいた木々の腕を握る。その手にじわりと汗がにじむ。
木々の瞳は色を変えなかった。ミツヒデの動揺におののくこともなく、別に、と掠れた声で続ける。
「そうやって、後悔して、押し潰されそうになって、そうなるってわかってても、必要なら人を斬る、相手がどんな存在であっても、同じことをする、そういうあんた自身をもてあましてるんじゃないの」
「……」
「あんたは、あんたが知ってる以上に、正しくて残酷だよ」
あんたはきっと私を殺せる。
木々が息を吐くように、残酷なことばを紡いだ。
「……そうかもな」
「――ッ、あ!」
「それで、それでも、みんなは言うんだ。俺が、正しいことをしたと」
「ミ、ツヒデ」
「もし、おまえを手にかけて、相棒を、ゼンの腹心を、だいじなひとを、殺したとして、それでも正しい俺って、何なんだろうな」
「ん、ぅ……っ」
嘲笑えばいいのか、苛立てばいいのか、せり上がる感情をそのまま木々にぶつけて、ミツヒデは無性に泣きたかった。
苦痛と快楽に耐える木々がどうにかミツヒデを包み込もうと手を伸ばす。やめてくれ、とミツヒデはそれすらやるせなかった。木々の手をつかんで、押さえつけて、彼女のやさしさを拒絶する。
「俺はそのとき、泣けると思うか?」
「……さあ、でも、あんたが正しいなら」
木々が声を詰まらせる。その唇を塞いだ。押さえつけていた手で指を絡ませると、木々の細い指がきゅうと握り返してくる。
「……泣かないことだって、正しいと思うよ」
そうか、とミツヒデは笑った。木々が珍しく泣きそうな顔をした。おそらくミツヒデに同情したのだ。
どうして笑うのだろう。どうして笑えるのだろう。
泣きたがる内面をことごとく殺してしまえる自分がおそろしくて、ミツヒデはただ、縋るように木々の体温を求めた。
(2013/12/01)