エトセトラ
嫌がる本人の性分もあるとはいえ、滅多に見ぬドレスを纏う姿は、ミツヒデの欲目をなくしてもやはり美しかった。
動きづらい、堅苦しい、剣が遠い、ことあるごとに聞く彼女の言い分は様々であったが、大半の文句が身動きの不自由に関係するものであるわりに、木々の所作には無駄がない。足元の裾に戸惑うこともなく、ショールを押さえる手つきも嫌味なく、どこかしら場数を思わせる姿に、ミツヒデは、ああそうかと少し遠くを見る。
肩を並べて、背中を預けて、同じものを護るために剣を振るってきた。
その中で無条件に思い込んでいた彼女との距離と、今の彼女との距離は同じものではないのだ。相棒としての木々は誰よりも近しいのに、セイラン家の跡取りとなる木々はなにか遠い。
彼女には身分がある。立場がある。
ひょっとすると自分の想いは分不相応なのではないかと、先の一件以来、ミツヒデはどうにも息苦しい。
「別に、わざわざついてこなくてもよかったのに」
「いやいや、仮にもゼン殿下の大事な見合い相手だろ、最後まで丁重にだなー」
「へえ。着替えの手伝いでもしてくれるわけ」
木々が繰り出すのはいつもと変わらぬ軽口である。
ミツヒデはいとも容易く距離感を錯覚した。そのまま伯爵令嬢が何だと鼻で笑ってしまいたかった。木々は木々で、やっぱり自分のすぐ近くにいて、手を伸ばせば届くところにいるはずなのに。
「――お召し物はいかがいたしますか、姫?」
「次そうやって呼んだら叩く」
冗談だって、とミツヒデは笑った。
凛と背筋を伸ばした彼女は、ミツヒデの斜め前を歩く。
いつか、こうしてミツヒデの知らぬ道をゆくのではないかと、ある種の予感が心を掠めた。貴族という気難しい世界のなか、家をまもるべく、知らぬ男と肩を並べる木々の姿。その時にはもう彼女の腰には剣などないかもしれない。そうして時折、今みたいにドレスを纏って着飾って、美しい微笑を口許にたたえるのだ。
ミツヒデの知らぬ世界で生きる木々がそこにはいた。
「……色っぽい話、ゼンと何話したんだ?」
「別に。短剣仕込んでるとかそういう」
「ひとつも色っぽくないからな、それ……」
どうでもいいがドレスに短剣を仕込む令嬢など聞いたことがない。
「白雪の話か?」
「いや。そっちに流れかけたけど、ゼンが私の求婚云々の話を気にしてたから」
ぎくりと心臓が強張るような音を立てた。けれど、当然、ミツヒデはそれをおくびにも出さない。
へえ、と平然とした顔で応じる。いつも通り、少しおどけた色すら添えて、それでも木々の横顔を直視するにはいささか鼓動が痛い。
「てことは、色っぽい話って木々のほうのか。それこそ何話したんだ?」
「いざとなったら、の相手とか。ゼンが訊いてきたから」
「……教えたのか」
「まあね」
ちらと横目に視線を寄越した木々に、今度こそ本当にぎくりとして、ミツヒデは取り繕うようにして笑った。
目当ての部屋はもう目前である。このままではボロを出す予感しかないミツヒデにとっては幸いだった。
後ろに控えていた形から、一足前に出てドアに手をかける。どうぞ、とまた紳士気取りで部屋に通すべく振り向きかけて、ふわりと甘い香りが鼻孔を掠めて固まった。
「気になる?」
いつもより一歩、近い。
見上げられた双眸は深く、うっかり吸い寄せられそうになって、ミツヒデは息を呑んだ。
「木――」
迫った、という表現が正しい。
鼻先も、唇も、触れるかという距離まで迫り、互いの視線が交差する。けれどすんでのところで木々はふつりと動きを止めた。吐息が触れるほどの距離だ。
とても秒単位とは思えぬ数秒である。
情けなくも身を引きそうになったところで、ふと木々が身を離した。
「――やめておく」
「えっ」
彼女は含むように笑っている。
押し退けるようにして室内に逃げる木々を、ミツヒデは慌てて追いかけた。
ばたんと背後でドアが閉まる。腕を引いた身はあっけなくバランスを崩し、その肩をやわらかく掴んで振り向かせた。
再び視線がかち合う。
試すかのような彼女の瞳。ミツヒデは必死だった。
「……自惚れるぞ」
「お好きに」
令嬢然と優雅に微笑む木々が美しい。
不意打ちを食らって一拍ほど思考が停止し、やや置いて、ミツヒデの肩からかくんと力がぬけた。
「……好きに悶々とって、つまり、このことか ……」
「悶々としてたわけ」
「そりゃあ。相手だって気になってたし、立場とかなんか、いろいろあるんだろ、貴族というか、家柄的に」
「あるにはあるけど。どうでもいいよ、そんなの」
日頃凪いでばかりの双眸はうっすら面白がる風でもあった。
珍しい色合いが気を逸らせる。まっすぐ向けられる眼差しに、ミツヒデは今度こそ目を奪われた。
「誰の隣にいたいかくらい、自分で決める」
「……家督の件といい、ほんと男顔負けだよな、木々」
「誉め言葉?」
「惚れ直したって」
身をかがめるようにして顔を寄せると、木々の瞼が素直に伏せられる。触れさせた唇はなおも笑みの形をとっていた。
かすかな接触からそっと唇を離して、近い距離のまま、今いちど視線を絡ませる。
木々の目元がふわとやわらいだ。
「――もう一回」
ミツヒデは息を吐くように笑った。だって、もう、かわいくて仕方がない。
立場がなんだ、と纏り付いていた靄が晴れていく。木々は木々で、やっぱり自分の近くにいて、手を伸ばせば届くところにずっといたのだ。
ねだる唇をもう一度塞いだ。
困ったな、と自身の浮わついた思考に苦く笑う。身分どうこうの葛藤は片付いたが懸念事項がひとつ。嫌がられそうなほど甘やかしたくて仕方がない、という手に追えぬ欲求であった。
(2014/02/02)