取るに足らぬ純情と
訓練場が何やら賑やかしい。
通りがかったミツヒデはおやと足を止めた。遠巻きから目をこらすがよく見えず、けれど兵たちの盛り上がりを見る限りなかなか面白い試合のようである。覗いてみようかと足を向けたところで兵たちがいっそう沸いた。
場の盛り上がり方からして大方の予想はついていたが、中央で剣を握っているのは案の定見知った人物であった。木々である。そして何故かもう一人、彼女の背に迫った剣先をオビが受け止めていた。
どういう組み合わせだ。
彼らの相手をしている二人の兵士にも見覚えがあった。腕の立つ顔である。こちらのチームプレイはいささかぎこちなく、見るからに苦戦を強いられているようだった。それもそうだろう、とミツヒデは苦々しい。気が合うかはともかく、彼女らはこれまでに幾度となく同じ戦場を経験しているのだ。互いの戦い方ならすでに馴染んだものであろう。
木々の腕力やリーチの不利をオビがカバーする。逆にオビの死角を木々が身の軽さでカバーする。自身の隙を相手が補ってくれると委ねきり、そのことに微塵も不安を抱かぬ戦い方だ。たとえば、まるで、自分が彼女に背を預ける時のような。
この手の練習試合で彼女を見ることは初めてではない。けれど彼女が他人に背を守らせる戦い方を見るのは初めてだった。
嫌な感情だ、とミツヒデは口元を引き結ぶ。
自分でない男が木々の背中を守っている。
大きな歓声が上がった。彼女たちの圧勝だ。
その歓声ごと上手く処理できずにいるミツヒデを、歓声の真ん中からオビが発見した。
「あれえ、旦那!」
オビの声に木々が振り返る。目が合って慌てて笑顔を繕った。とりあえずの体で手を振るミツヒデに、俺ら全勝ですよとオビが呑気な声で戦況を寄越す。
「暇ならどうです、一試合」
一刻も早くこの場から立ち去りたかった。
ろくな言い訳も思い付かず、というより考える気も起きず、遠慮するよとミツヒデはストレートに拒絶した。ノリ悪、と顔をしかめるオビに苦笑いだけ返してその場を後にする。ひどく濁った感情が胃のあたりにもたれていた。
***
木々が部屋を訪ねてきたのはその日の夜半過ぎである。
ミツヒデは扉を開けた体勢のまま固まってしまった。
「こんな時間にごめん」
いや、とどうにか平静を手繰り寄せる。
「何かあったのか?」
「……」
謎の沈黙である。彼女の真っ直ぐな視線を受け止めながら、ミツヒデは昼から燻ったままの感情を見透かされているようでどうにも居心地が悪い。
「……木々?」
「……何でもない。訓練場で様子おかしかったから調子でも悪いのかと思って見にきただけ。元気そうだからいい。おやすみ」
彼女が踵を返す。あ、と思った時には体が動いていた。
細腕を掴んで強く引き寄せる。驚いて振り向く木々を部屋に引きずり込み、バランスを崩した体を力任せに抱き締めた。つかえをなくした扉が音を立てて閉まる。勢い余って腕をぶつけた。
「ミツヒデ?」
窮屈な腕の中で木々が身じろぎ、それすら押さえ込むように腕の力を強める。苦しいと訴えられたが聞こえぬふりをした。
醜い嫉妬と執着、そこに付随する自己嫌悪、彼女への感情がないまぜになって処理が追いつかない。
縛り付けるつもりなんて毛頭ない。
けれどどうしても嫌だったのだ。
「何……ッ」
抗議ごと口を塞いだ。苦しげな吐息が口の端から漏れ、それすら閉じ込めるようにしつこく求める。
くぐもった声が口内に滲む。拒絶の声など聞きたくなくて何度もなんども口づけた。華奢な手がもがくように抵抗を始めて、なんだかむきになって、けれどそんな自分がひどく惨めに思えてミツヒデは逃げるように口づけを切り上げる。うっすら色付いた耳に唇を触れさせて、とうとう遣り場をなくして彼女の首筋に顔を押し付けた。
そのまま馬鹿みたいに抱き締めるだけのミツヒデに、さすがの木々も毒気を抜かれたようである。諦観の滲んだ溜息が耳に届く。
「……一応訊くけど、訓練場で様子がおかしかったのと、今の状況は繋がってるわけ」
ミツヒデは答えずに彼女の頭を抱き込んだ。肯定したようなものだ。木々が居心地悪そうに身を捩る。
「怒ってるの」
「そう見えるか?」
「見えないから聞いてる」
オビも気にしていたと彼女が告げる。今はあまり聞きたくない名である。だんまりを決め込むと、そのわずかな不自然をキャッチした木々が探るような間を空けた。
「……まさか妬いてるわけ」
「……」
今の自分はおそろしく間抜けに違いない。
はっきりとは肯定しないがそれごと肯定となっているミツヒデに、木々がそこそこ大きな嘆息をこぼした。なにか心臓に突き刺さる溜息である。今に始まったことではないが、なんだか不毛だ、とミツヒデはより腕に力を込めた。
「ミツヒデ」
「……馬鹿馬鹿しいって自覚はあるぞ、一応」
「馬鹿馬鹿しいっていうか、とりあえず離してくれない。痛い」
拘束を緩めぬまま首を振る。彼女のほうも言うだけで大した期待はなかったらしく、往生際の悪い抱擁についてそれ以上の文句はなかった。
「それで、馬鹿馬鹿しい嫉妬が何だって」
「……いや、別に、オビがどうとか、そういうのはまったくないんだが」
「何」
「おまえが、他の人間に背中を預けているところを、あまり見たくなかった」
どろどろした感情をもぞもぞと吐露していく。口にしてみると実に普遍的な嫉妬である。
けれど、だって、あんな光景を目にするだなんて思ってもいなかったのだ。
自分でない誰かに、自分にそうするかのように背を預ける木々がいた。彼女の背を守ることも、彼女に背を預けることも、自分だけが許されたものだとばかり思っていたのに。
「それで荒れてたわけ」
「……荒れてたかな」
「荒れてたよ」
そう言われてみると確かに荒々しかったかもしれない。いよいよ顔を上げづらくなってきたミツヒデである。
その頭に木々の手が触れる。ミツヒデは少し躊躇して、結局促されるがまま頭を起こした。彼女と目が合う。いつもと変わらぬポーカーフェイス、髪を撫でる手つきだけがほんのり優しい。
「……怒ってるか? その、むりやり」
「別に。理由によっては怒ってたけど」
木々の声は少し笑いを含んですらいる。そうか、とミツヒデは息をついた。いまだくすぶる濁った感情を言葉少なに受け止める、彼女の包容は不思議なかたちをしている。
「……なんか、すまん」
「もう慣れた」
指先がやや乱暴に髪を掻き上げ、伸び上がった彼女が額にキスをした。珍しい。ぼんやりするミツヒデに、それで、と木々が一連のくだりを締めにかかる。
「気は済んだの」
いや、とミツヒデは往生際悪く粘った。
「たまには甘やかしてくれてもいいだろ」
「充分甘やかしてるつもりなんだけど」
「もう少し」
唇をとらえる。彼女は不満げに身じろいだだけだった。
思えば相棒としての嫉妬をキスであやしてもらうというのも妙な話である。こういった公私混同を彼女は好まないだろうが、そのあたり、一応甘やかしてもらってはいるのだろう。自分だけの特権なら今こそ堪能させてほしいところだ。ミツヒデはいま少し聞き分けの悪いふりをした。
(2014/12/29)