朧月と獅子
白昼堂々、門番兵を斬りつけて賊が侵入した。
折り悪く外を出歩いていたゼンはその報せを聞くより先に侵入者と鉢合わせてしまい、その場で側近二人をつけての交戦となった。オビは居合わせた白雪を安全な場所へと避難させている。
頭数を見る限り劣勢ではあったが、主人を筆頭に時間さえあれば訓練場で剣をとる面々である。引きの悪い不届き者たちは次々討たれ、残された男は最後捨て鉢になってゼンに襲いかかった。やれやれと身構えたゼンはけれど次の瞬間木の根に足を取られ、え、と場にそぐわぬ声を上げてうしろにバランスを崩してしまう。嘘だろと顔色を変えたミツヒデがすんでのところで駆け付けた。
崩れ落ちた主人を背後にミツヒデが最後の一人を斬りつける。ミツヒデは返り血に顔をしかめながらゼンを振り返った。
「勘弁しろよな……」
「ああ……、悪い。助かった」
さすがに引き攣った顔の主人に、まったく、とミツヒデは膝をつく。怪我はないかと声をかけようとした瞬間、叫ぶように名を呼ばれた。
生々しい音が背後から聞こえた。重たい衣擦れ。呻き声。むっと濃くなる血のにおい。
目の前でゼンが固まっている。何事かと首を巡らせると、いつの間に背後にあった華奢な体が、ぐらりとくずおれるところだった。
「木」
何が起きたのかわからず、わからないまま本能的に伸ばした腕でその体を受け止める。ぐったりとした痩躯がいやに重たい。
倒れた体の向こうに仕留めそこねたらしい男が血濡れた剣を持って立っていた。ミツヒデはそこでようやく事態を把握する。ああ、応戦しなければ。しかし腕の中の体をどうすればいいのかわからない。
馬鹿みたいに呆けていると見慣れた得物が男の体に突き刺さった。オビ、とゼンが同胞の名を叫ぶ。
「お三方無事ですか――ってうわ、木々嬢!?」
「衛兵呼べ、それと医務室に手当の用意――おい、ミツヒデ、しっかりしろ!」
「あ、ああ」
「傷口押さえて。この出血まずいですよ、なんでこんな」
「いや、ゼンを庇って……」
ぐらつく頭でどうにか応じると、違うだろ、とゼンが声を荒らげた。
「違うだろ。おまえを庇ったんだろうが、ミツヒデ!」
ぶん殴られたような気分だった。
そうだ、確かに聞こえた。叫ぶように名を呼ぶ彼女の声は、間違いなくミツヒデの名を呼んだのだ。
しっかりしろともう一度ゼンに叱咤され、ミツヒデはふらりと立ち上がった。まあまあとゼンを宥めていたオビが、大丈夫ですかと声をかける。代わりましょうかと気を遣う。ミツヒデはぼんやりした頭のまま首を横に振っていた。
***
木々が目を覚ましたのは夜半を過ぎた頃だった。
血を流しすぎたためかその顔はいつにも増して白い。整ったかんばせがこの時ばかりは生気を感じさせず、彼女の瞼が震えたところを見てようやくミツヒデは胸を撫で下ろした。命に別状はないと聞かされてはいたが傍を離れる気にもなれず、正直どれくらい時間が経過していたのかも感覚が薄い。
緩慢に瞬いた木々がぼんやりとした双眸で何かを探す。
ミツヒデはその顔を覗き込んだ。
「――大丈夫か、木々」
「ミツヒデ……」
掠れた声で大丈夫と告げて、木々は静かに半身を起こした。痛む傷口に一瞬顔をしかめて、けれどそれを掻き消すように息をつき、彼女は、ごめん、と告げる。
「……ごめん、手間取らせた」
ミツヒデはぎゅうと拳を握り締める。
なぜ彼女が謝るのだろう。
危惧していた言葉ではあった。目を覚ますなり彼女は謝罪を口にするのではないかと。
そんな言葉が聞きたくて傍にいたわけではない。言い訳のひとつもしない潔さは一種の美徳だろうが、身代わりに負った怪我すら自身の責任で片付けようとする、木々のこういう性分がミツヒデは時折もどかしくてならない。
安堵か、苛立ちか、あるいはその両方か。気を抜くと声が震えてしまいそうで、ミツヒデは静かに奥歯を噛み締めた。
「……木々」
「ゼンは? ていうか、あんたも怪我は」
「木々!」
気付くと声を荒らげていた。
誰の目にも明らかだ。重傷を負っているのは彼女のほうで、仮に主人のほうが重傷だとすれば城内はもっと騒がしい。ミツヒデが大人しく付き添っている意味を彼女が理解していないはずもないだろうに、こんな状態にあっても彼女は自分の立場を貫くばかりだ。
木々はさすがに少し驚いた様子だった。ミツヒデの感情を探るように柳眉を寄せて、どうしたのと問う。
「怒ってるわけ」
「そりゃあ……!」
「なんでもいいけど、怒鳴るのやめて。傷に響く」
そう言われては声を抑えるほかなく、そのまま勢いも削がれてミツヒデは押し黙った。木々は表情を変えずにそれでと話を続ける。
「ゼンに怪我は」
「……ない。俺もオビもない。怪我人は木々と件の門番くらいだ」
「侵入者は?」
「全員捕らえた。あれとは別に何人かいたらしいが、衛兵が取り押さえたと聞いてる」
要するに騒動は一段落している。あとは木々さえ目を覚ませば、という話だった。だというのに本人だけが自分のことに関心を示さない。
「……木々」
「何。文句は聞かないよ」
「あのな!」
「ミツヒデ」
静かな声に遮られ、さしものミツヒデも焦れてきた。彼女は何もわかっていない。あの一瞬でミツヒデの感情すべてを蝕み、今なお燻っているのは紛れもない恐怖だ。
「言っておくけど、最後に襲ってきたのは私が始末したはずの男で、あれ私のミス」
「……関係ないだろ」
「応戦しきれなかったのだって私の問題だし」
「こんなことでおまえの力量が……っ」
「しつこいな。大体、あのままあんたが首掻っ切られて死んでるのと、私が今こうして怪我人で済んでるのとどっちがいいわけ」
どこまでも淡々と放たれる言葉に、極端すぎるだろう、とミツヒデは閉口した。けれど彼女の言い分が正論であることも知っていて、理屈と感情との間で言葉がうまく形にならない。
こんなことはミツヒデにとっては珍しいことだった。感情を取り繕うことは得意なはずなのに、主人や相棒のこととなるとどうにも上手くいかない。
「……いや、わかってる」
そう、わかってはいる。理解もしている。けれど、ゼンの言葉が、突き刺さったまま抜けない。
「頭ではわかってるんだが、でも、どうにも駄目だ」
木々はミツヒデを庇った。その対象がゼンであればいくらでも割り切れたのに、彼女はミツヒデのために傷ついたのだ。
「……あんたってこんなに聞き分け悪かったっけ」
「大事だからな」
「またそういう……」
木々は呆れている。基本的にミツヒデのあけすけな愛情表現に対し、彼女の反応といえばこれが普通だ。だから伝わってないのではないかと時折不安になる。大事にしていることも大事にしたいことも、実は木々は深くまでわかっていないのではないか。そうして今回みたいなことを招くのならば、それはあまりに不毛だ。
「何か勘違いしてない、ミツヒデ」
そこに木々の屹然とした声が割り込んだ。思考に沈んでいたミツヒデははっとして、え、と彼女の双眸を見つめ返す。
「私はあんたの相棒としてあんたの背中を守ったんだよ」
「いや、それは」
「なんであんたは私を護りたがるのに私があんたを護ったらいけないわけ。私だってあんたが大事だよ」
「き、木々……」
えらく男前な台詞が出てきた。
ミツヒデは頬を引きつらせながら、ならば何故と考える。相手を思う感情は同じで、どうしてその先が食い違うのか。
それならわかるだろうと問うと、木々はすうと目を細めた。ああやはり食い違うのか。ミツヒデは遠い目をする。
「わかるよ。だから意味がわからない」
「俺は木々の言ってることわからないんだけどな」
「心配するのもわかるし、悔しいのも怖いのもわかるけど、だからこそ怒るのは違うって言ってるの」
ミツヒデは面食らう。
木々は言うだけ言って、そのままじっとミツヒデの反応を待っていた。ミツヒデはこれまでの言動と彼女の言葉を思い返す。怒っていた。確かにそうだ。
がりがりと頭を掻いて、ああ、と呻く。腹が立っていたのは自分自身に対してであり、それを持て余して、こともあろうに怪我人に八つ当たりしていたのだ。最悪だ。
「……悪かった。怒鳴ったことも。取り乱してた」
「見ればわかる」
「まだまだだな、俺も……」
自嘲するように呟くと、別に、と木々が返した。別にいいんじゃないと、彼女にしては珍しいフォローである。
「それがミツヒデなんだし。私も心配かけてごめん」
ふと胸を締め付けられるような感覚に陥り、ミツヒデは一瞬途方に暮れた。
本当は相棒という立場でなく、ひとりの人間として彼女を護る口実が欲しかった。その華奢な体に傷ひとつ負わせたくない。血の一滴だって流させたくない。けれどそれは果たして対等と呼べるのか。
背中を預けられる、彼女を護りたい、時に正反対となりうる二つの感情が息苦しくさせるのだ。きっと木々にはわからない。口にしたとしても彼女は怒るのだろう。
どうにもならぬ葛藤を誤魔化すように手を伸ばし、ほつれた髪をほぐすように触れる。木々は怪訝そうにミツヒデを見上げた。
「……何?」
「いや、早く全快してくれよ」
背中が淋しいからなとおどけて、掠めるように彼女の吐息を塞ぐ。押し殺すほかないひとつの独善を、せめてもとその口付けに乗せた。