レストレス・レスポンス
書面を睨んでいた木々がおもむろにソファから身を乗りだして、こっちのルートのほうが、とテーブル上の地図を指で辿る。
ふわりと柔らかい香りが鼻孔をかすめた。乗り出した拍子に木々の肩が腕のあたりに触れ、思わずぎくりとして、かといって身を引くのもあまりに不自然で、あ、これはどうすれば、と動揺するミツヒデは正直彼女の話をまともに聞いていなかった。
「――聞いてるの」
「えっ」
気付くと木々が睨むようにミツヒデを見ている。
いや、と取り繕いかけて、取り繕いようもなく、ミツヒデはすまんと小さくなった。
「……すまん、あんまり聞いてなかった」
「……」
鼻白む木々の視線が痛い。
「あんたが視察のルート検討したいって言い出したんでしょ。疲れてるなら出直すけど。少し寝たら」
「あ、いや、大丈夫だ。そうじゃなくてだな」
「何」
えっと、とミツヒデは口ごもる。彼女の瞳はまっすぐミツヒデに向けられていて、おそらく、下手な言い逃れを許してくれない。はぐらかしたところで、はぐらかしたなと見透かした上でああそうと受け入れる体だ。それでもいいがあまり誠実とは言えない。
「……ちょっと、緊張してな……」
窮したミツヒデは結局、馬鹿みたいに正直なところを口にしていた。
木々が目を細める。しらっとした目だった。まずい、それはハートに痛い、と両手でも広げて冗談に済ませるべきか迷っていると、やがて木々が大きく息をついた。目線がふいと地図のほうへ向けられる。
「そういうの、こっちまで緊張するからやめてくれない」
「……おまえが?」
じろと睨まれて、ミツヒデは今度こそ両手を上げた。
「あんた私を何だと思ってるわけ」
「い、いや……だっていつも通りだろ、木々……」
木々はしばらく何か言いたげにミツヒデを見ていたが、結局何も言わぬまま身を引いた。テーブルに転がっていたペンを取り、先まで彼女が辿っていたルートに線を引いていく。
「――あんたといる時って、下手に喋らなくていいから落ち着くけど」
彼女の声はあくまでも平坦だ。
ミツヒデは居心地の悪いまま彼女の描く線を目で追う。
「たまに少し落ち着かないし、そういうのを緊張って呼ぶなら、緊張してるよ」
今とか、と無責任な爆弾を投下して木々がペンを転がした。手中の書類を一瞥し、ああでもこの道はまだ土砂が、とまったく緊張を感じさせない口調で話を進める。二つの話をいっぺんに進めないでほしい、とミツヒデは混乱していた。
木々がミツヒデを振り向く。途端に彼女は、呆れ半分、いや半分もなかった、三割ほど呆れてのこり全部げんなり、という容赦のない表情をした。
「耳赤い」
勘弁してくれとでも言いたげな口振りである。勘弁してほしいのはこっちだ。
つられて赤くなるくらいしてくれたらいいのに、相変わらず彼女はしらけた表情を崩さぬままで、一方的ないたたまれなさからミツヒデは手を伸ばした。
木々の手から書類を抜き取る。驚く彼女をそのまま引き寄せて、ぎこちない、苦し紛れの抱擁。
「ちょっと」
抗議が上がる。彼女の体が強張る。けれどその一方で、腕の中でわずかに上昇する体温と、じかに伝わる鼓動が、先の彼女の言葉を裏付ける。
「……緊張してるわりにやってること無茶苦茶じゃないの」
「いや、仕事じゃない二人きりの時にも、落ち着く練習というか、慣れたいというか、正直衝動的になんだが、ちょっと今危なかった気がする」
「いい。聞きたくない」
木々が不自然な呼吸を取る。顔を伏せる彼女の表情が見えず、こちらの表情も見られずに済むのは幸いだが、ミツヒデはおそるおそる彼女の機嫌を窺った。
「……あー、と、……怒ってるか?」
「別に」
少し逡巡を見せたあと、木々の俯いた頭が、とんと肩のあたりにもたれる。
「でも今顔見せたくない」
「……」
先の彼女の言葉をそのまま返したかった。そういうことを言わないでほしい。
泳がせた視線の先、中途半端に線が引かれただけの地図が妙に間抜けだ。
らしくなく強ばったままの木々の体はそれでも柔らかく、落ち着くなんてどの口が言うんだ、とミツヒデは完全に行き詰まっていた。心臓はうるさいし息は上手くできないし、抱き心地は良いし、何より彼女が文句を言わないのだ。大問題である。
いっそ突き飛ばしてくれたら、とミツヒデは静かに途方に暮れていた。
(2013/12/23)
過去サイトの記念リクエスト「初々しい二人」