スマートネス・プレイ
ゆらりと浮いて、また沈む。睡魔の絡む頭が重たく、木々は覚醒をうながす声に見向きもしない。
ぼんやり浮上した意識でさえ焦点を結ばぬくらいに木々の頭は休眠を欲しており、したがって、あるはずのない気配が接近していたことに関しても、その意味すら深く考えずにただむっとしていた。眠たいのだ。そっとしておいてくれ。
寝返りをうって背を向ける。
シーツを手繰るようにして、再び眠る体勢に落ち着き、木々は静かに息をついた。
木々、と呼ぶ声。
耳朶に心地よく響く声が沈みゆく脳内に滲む。応じるという選択肢も今の木々にはない。
「木々」
もういちど。
今度はこぼれた髪を優しく耳にかけられ、その感触に仕方なくうすらと瞼を持ち上げた。
視界を翳らせる人影を横目でとらえ、木々はとろとろと落ちかける瞼をどうにか瞬きに済ませる。視界の片隅、映る口許が苦笑まじりに無用心だとか何とか言っていて、木々はどうにか、うるさいな、という文句を起こした。
距離は近い。
身を起こすまでもない距離に、木々は緩慢に身じろいで、厄介な唇を塞いだ。ぼやけた意識では掠める程度がせいぜいだった。
これで満足か。捨て鉢な接触を済ませると、木々はもう目もくれずに再び寝台に身をあずけた。背を向けてシーツを引き寄せて、と、先の動作をなぞる。
その手に別の体温が触れた。
触れたというよりも掴まれた。ほぼ同時に首筋に思いがけぬ感触が走り、木々の意識から眠気が霧散する。
ここにきてようやく靄の晴れた思考のもと、続いて木々の意識を占めたのは混乱であった。手を押さえられ、首に噛みつかれ、覆い被さられて身動きの取れない状況下、喉がつっかえて声さえ上手く出てこない。
「な、にして……、ミツヒデ!」
「ああ、なんだ、起きたな」
なんだとはなんだ。
あまり良くない予感に身を捩ってはみたが、背中から伸しかかられてあえなくシーツに突っ伏した。そのまま悪戯に耳を食まれてからだが縮こまる。形勢はあまりに不利で、寝起きに近い脳では現状の打破など到底無理に等しい。
「何……っ」
「鍵開いてたぞ」
「そうじゃな――」
髪をわけたうなじに吸い付かれて喉がひきつった。
そのかたわらで成る程と冷静な脳味噌が勝手に納得する。夢うつつに聞いた無用心の声はそれか。
「だるそうにしてたから様子見にきたんだよ。声かけても返事ないし、鍵開いてるし、万が一寝てるなら一言注意をと思ってな」
「あんたは一言注意するのにいちいち人を襲うわけ」
「あれ? 覚えてないのか?」
何を、と聞き返すより先に無骨な指が木々の頬を捕らえた。
なかば強引に振り向かされ、ようやくまともにミツヒデと目が合う。近い瞳に何かを見出だす暇などなく唇を塞がれた。触れる体温にも状況にも逐一頭が追い付かない。
「ふっかけてきたのは木々のほうだろ」
「――あれは」
現実だったか。
夢か現実かもわからぬ記憶を叩き起こされて木々は一気に辟易した。寝惚けていた、なんて言い訳はあまりに間抜けに過ぎる。引き下がってくれるとも思えない。
「まあ、せっかくなんだし、付き合えって」
「何に、……ッ」
衣服の裾から忍び込んだ掌が脇腹を這う。
ぞくりとした感触にあわや出かかった悲鳴をかろうじて飲み込んだ。
「夜這い」
ささやく声がいとも簡単に熱を灯す。
逃れようがなかった。
***
枕を引き寄せて顔を押し付けると窒息するぞと笑われた。
いちいち耳許で囁かないでほしい。睨むように顔を向けると悪戯めいた瞳が近付いて唇を塞がれた。こっちのほうがよっぽど窒息しそうだ、と木々は喉を鳴らす。
ミツヒデの手が胸元にねじこまれ、体重とシーツとに押し潰されたやわらかみを探る。ふ、と鼻から声が漏れて木々は到底口づけどころではない。
「……ッく、るし……」
「ん?」
「重い……っ」
呻いた矢先にさらなる刺激が走って、木々はたまらず枕にすがりついた。
衣服のたくしあげられた背中にぬめる感触が触れ、ひく、と肩が震える。じわじわと上昇するそれはやがて肩甲骨のかたちをなぞり、満足するとまたうなじに吸い付いた。普段は、と表現するのも癪だが、あまりこうして触れられることのない場所への接触に、痕をつけるな、と抗議する余裕すら木々は持てずにいた。
「ん……ッ、う」
もがくように身を捩る。
わずかに浮いたからだを器用に支えて、その隙間からミツヒデの手がさらに衣服を探った。せめてもの抵抗を試みたものの、耳を甘噛みされて呆気なく力をなくす。
自由のきかぬからだがつらい。
のしかかられ、押さえつけられ、息苦しいというのに男は一方的に呼吸を掻き乱す。彼にしては横暴だ、と木々は呑まれそうな思考で毒づいた。そのくせ肌をたどる指先も唇もやけにねちっこい。
「顔が見えないってのも」
こちらはろくに乱れてもいない吐息で、けれど熱と情欲の見え隠れする声で、わざわざ木々に聞かせるようにささやく。
「なんか、燃えるな」
「何言って……っ」
本気でやめてほしい。
節くれだった指が内股を撫で上げ、たぎる熱を絡めとり、たったそれだけの接触にさえ木々は息を漏らした。声を、と促すミツヒデの囁きに首を振り、枕に強く顔を押し付ける。けれどその拒絶が災いしたか、ゆるく触れていただけの指が媚肉を押し分けて侵入し、木々は結局息苦しさに根負けした。
「ッ、あ……!」
「……我慢するなって」
「――や、嫌……ッ待っ……」
ぐずぐずと繰り返し内壁を抉られ、高まる体温と感度にどうにかなりそうだった。少し油断すれば悲鳴すら上げてしまいそうで、震えるからだで枕にすがりつく。
高まりに無理やり押し上げられるような感覚がいつもこわい。けれどそこにあるのは疑いようのない快楽で、一方ではそれを望んでしまう自分がこわい。
いきそうか、とミツヒデが問う。最悪だ。
ぎゅうと肩を縮こまらせ、瞼をきつく閉じて、枕に歯を立てる。ひどい水音が増す。彼の濡れた指先が肉芯をとらえ、あ、と思ったときには中で蠢く指先さえも木々を的確に捉え、あらがいようのない波に意識もからだも持っていかれた。
「――……ッ!」
悲鳴ごと枕に押し付ける。涙が滲んだ。
絶頂に震えるからだが熱い。喉元に詰まらせていた息をようやく吐き出して、あまりの息苦しさに枕から顔をずらした。髪が邪魔だ。
脱力した背中にくちづけたミツヒデが、緩やかな動作で中から指を抜く。その刺激にすらひくついたからだが癪で、八つ当たりとわかっていながら背後の男を睨み付けた。
「そんな目で見るな」
ミツヒデが苦笑する。興奮する、とまで嘯いた。
力さえ抜けていなければ裏拳を決めていたに違いない。
「それにしてもなあ、いくのに声ひとつ上げないってのもどうかと思うぞ」
「あんた、デリカシーとかないわけ……」
「声が聞きたいんだって」
会話に紛れて衣擦れの音がする。今になって服を脱ぐミツヒデの方は思えば衣服の少しも乱れていなかったわけで、一方的に掻き乱されてばかりの自分がひどくいたたまれない。
幾分落ち着いてきた呼吸で再び枕に顔を埋めようとして、その前に顎を捉えられてくちづけられた。隙をついて枕を奪われる。この男はずるい。
「力抜け」
回された腕が腰を支え、指とは比べ物にならないほどの質量のそれが腹の奥を圧迫した。う、と強張った声が喉から押し出される。力の抜き方など知りようもない。勝手を言うな、という文句もろくに形にならず、木々は仕方なく手元のシーツを握り締めた。強ばるからだのあちこちにミツヒデが唇を落としていく。時折聞こえる苦しげな彼の吐息さえ熱を煽ってどうしようもない。
押し入るだけ押し入ってひとつ息をついたミツヒデが、そのままぐず、と緩い動きを見せた。擦れる刺激に声がせり上がる。木々は握っていたシーツを手繰り寄せて声を埋めた。
「それ、やめろって。木々」
ミツヒデの手が、優しく、そのくせ有無を言わさずにシーツを引き剥がす。
そのまま指先が口許に触れた。ぞわりと本能が危険を訴える。冗談じゃない、と思う暇もなく口をこじ開けられた。無骨な指が口内を固定し、身体中に走る快楽の声を否応なく引きずり出してしまう。
「ふあッ、っぁ、う……!」
つうと唾液がミツヒデの指を伝う。羞恥に頭がおかしくなりそうだ。
飽きたらずに舌を蹂躙し始める指をよっぽど噛み切ってやろうかと思いつつ、このまま絶頂に連れていかれた瞬間のことを考えてぞっとした。逃れる術も縋るべき場所も、今の木々は持ち合わせていない。
いやだと訴えようにも要領の得ない喘ぎ声にしかならず涙が滲む。
冷静沈着とうたわれるはずの自分が。いつもこの男をあしらっているはずの自分が。けれどその矜持も何もなく、木々はただ、こわかった。
「ぁ……ッ、っ……!」
「木々……」
緩やかだったはずの動きが、徐々に追い立てるような動きにかわる。
震える指でシーツに縋り、目をきつく瞑って、責め苛む快楽に身を震わせる。自分の口からこぼれる喘ぎまじりの吐息とは別に、彼の荒い呼吸を耳が拾って限界の近さを知った。
支えられた腰から先が変に引きつる。
冗談抜きに指を噛みちぎってしまいそうで怯えた。
逃げ場がない。こわい。
最奥に熱を押し付けられ、脳から思考の一切が消し飛んだ。
びくりと跳ねたからだが絶頂に震える。追うようにしてミツヒデが低く呻いた。
意識もからだもぐったりと力をなくした時、ようやく口から指が引き抜かれた。滲んだ視界に捉えたそれは案の定ひどい歯形を残している。
萎縮した喉は結局、男の意図を無視する形でろくな悲鳴すら出せなかった。
***
後始末を済ませたミツヒデが隣に潜り込んできた時、木々はすでに途方もなく眠かった。
湯を浴びたかったし、隣の男に一言二言では済まない文句を浴びせてやりたかったし、喉も渇いていた。けれど冒頭の眠気に加えた疲労感が絶望的なまでに意識を重たくする。もう何もかも瞼を閉じてからでいいか、と匙を投げた木々は、眠りのふち、かろうじて最後の懸念を口にした。
「――鍵……」
このままでは二の舞ではないか。
いや、けれど、二の舞、だれに。
優しく引き寄せられた頭に、心地好い感触が、さらさらと髪の合間を縫う。いよいよ落ちかける意識の外側、ふうと苦笑いに近い気配をどうにか捉えた。
「俺がいるだろ」
安心しろ、とのたまう声にむっとして、けれど皮肉を返すという選択肢を拾うのも億劫に過ぎた。
もういい。ぜんぶ明日だ。
近い体温に顔を埋めて、木々はようやく深い眠りについた。
(2013/06/23)