底辺に微笑み
ふと目をやった背中が思ったよりも華奢で驚いた。
凛然と伸ばされた背は見ようによっては隙がなく、クールビューティと評される表情筋も相まって正直取っ付きにくい。それでもその背に背負うものを知るようになってからヒサメは当初彼女に抱いた評価を取り下げた。可愛げがないと。我ながら単調極まりない評価を。
当時は理解できなかったけれど今ならわかる。彼女はヒサメよりずっと早くから手にしていただけだ。
誇りと。矜持と。違えぬ道と、守るものと。
それらを背負うことでまっすぐ歩けることも、けれどそれが存外重たいことも。
「君って」
木々がちらとヒサメを振り返る。なんですか、という発言を端折ってその瞳だけが先を促していた。こういうところは可愛くない。
「君さ、許婚が呼び止めたんだから多少にこやかにしたらどう」
「それ本題ですか?」
「本題じゃないよ、ついでだし言ってみただけ」
期待はしていないと言外に告げると彼女はそうですかと平坦な声で応じた。まるきり頓着していない声である。そういうところだ。
ヒサメはやれやれと肩を竦めて、本題であるところの華奢な体を見下ろした。ヒサメ自身それほど体格のいい方ではないけれど、やはり間近にするとその肩も腕もあまりに細い。剣士などより令嬢という肩書のほうがしっくりくる体格である。口にしたら間違いなく睨まれるだろうがそれも悪くないな、とヒサメは一瞬発言を迷って、結局やめた。
「君が思ったより小さくて驚いてたところ」
「まだ伸びしろはあります」
「君たまに面白いこと言うよね」
彼女はにこりともしない。ああ本当にかわいくない、とヒサメは可笑しい。
「そのままでも魅力的だって言いたいところだけど言ったら睨むだろ」
「似たようなことを言われて睨んだことはあります」
「ああ、言いそう」
どこぞの相棒であろう。あの男の場合、口説き文句としての含みが少しも存在しない分むしろ野暮だ。
「君に睨まれるのも悪くないけど」
「ヒサメどのの瞳も綺麗ですよ」
「僕の台詞端折らないでくれる?」
しかも絶対に思っていない。
口説き文句をことごとく無下にする彼女にヒサメはむしろ上機嫌で、君の瞳はきれいだ、とどうせなのでその台詞も口にしておいた。ありがとうございますと想像通りに平坦な声。絶対に思っていない。
ヒサメは鷹揚に笑って片腕を持ち上げる。
「——触れても?」
木々は一瞬身構えて、ヒサメの表情と右手を窺ってからどうぞと応じた。怪訝そうではあるが撥ねつける様子はない。緩められた警戒心にささやかな優越感を見出して、ヒサメはゆるりとその頭に触れた。
「君の相棒が心配性こじらせる気持ちも最近はわかってきたよ」
その背に負う使命と誇り。窮屈そうな肩書きをいくつも纏いながら、それでも涼やかに振る舞う彼女を甘やかしたくなる感情はたしかに理解できる。理解どころか実感する瞬間がこの先きっと訪れるだろう、そういう予感と片鱗もあった。実に厄介な情である。
彼女は意外そうに瞬いて、よくわかりませんが、と首を傾けた。
「過保護は間に合ってます」
「だろうね」
ヒサメは含むように笑った。手触りのいい髪を撫でながら、まあでも、と彼女に向かう感情を探る。
「あれと一緒にしないでほしいな」
剣士然とした振る舞いに隠された華奢な体としなやかな強さ。庇護欲とは近しいようでほど遠い。その背に見た羨望や憧憬を思って、惚れ直したんだよ、とヒサメは胸の内で笑った。
(2019/10/30)