アンバーライトの魂胆
飲み物を取ってくると言い置いて離れた男の背中を眺めながら、どうせ時間がかかるのだろうと低い期待値で見積もっていると案の定彼は見知らぬ令嬢に捕まっていた。
ヒサメはにこやかに対応している。令嬢がふんわり頬を染めているあたりその手腕を遺憾なく発揮しているようだが、かつて口説いてみせようか、と手の内を晒すような軽口を寄越された木々にしてみれば胡散臭いの一言に尽きる。彼の腹の底など知るよしもない令嬢はずいぶん楽しげである。
あの男の変化など知りもしないくせに。
うわべだけにこやかに振る舞う男の何が魅力なのだろう。
知りようもない女心に思いを馳せているとヒサメの背中を見失って、自分で取りにいったほうが早い、と木々は早々に諦めをつける。
「――どこ行くの」
と、不意に死角から滑り込むようにグラスが差し出された。
透明な液体の揺れるグラスを反射的に受け取りながら、木々はゆるりと首を巡らせる。
「……ありがとうございます」
「取ってくるから待っててっていう意味だったんだけど」
「待ってましたよ」
「そう? 僕を見失ってさっさと見切りつけたのかと思った」
おそらくだがあえて図星をつついて面白がっている。そのつもりでした、と木々は正直に応じてグラスに口をつけた。
「心外だな、君のために令嬢との歓談も切り上げてきたのに」
「単に面倒くさかっただけでは?」
「それもあるけど、君をひとりにさせるのも気が引けてね」
「お構いなく」
「僕が構う」
ちらと後方に向けられた彼の視線を追うと、それらしい身なりをした男がこちらを窺っていた。どこかの家の子息であろう。男はさりげなく視線を寄越したつもりらしいが、可哀想なことにしっかりヒサメと目が合ってそそくさと目を逸らしていた。絡まれたら終わりという判断か。賢明である。
「まったくどういう了見だろうね、君と僕の婚約を知らないはずもないのに」
「ただの挨拶かもしれませんよ、不用意に威嚇していいんですか」
「本気? 君そんな無防備だったっけ?」
「挨拶してましたよね」
ご令嬢と。
挨拶、というところを強めに発音するとヒサメが他人事のように肩を竦めた。グラスを傾けながら一瞬だけ目線を他所にやって、僕は撒いた、とのたまう。
「正直君のほうが綺麗だし」
「ありがとうございます」
「本心だよ、ていうか君に社交辞令言って意味ある?」
今度は木々が肩を竦めた。社交辞令は無意味に違いないがそれ以前の問題だ。淀みなく紡がれる口説き文句に今さら靡く木々ではない。
ふと腕を持ち上げたヒサメが、慣れた手つきで木々の前髪に触れて、頬にかかるそれを丁寧によけた。先の彼の目線を思い返して、木々は大人しくその指を受け入れる。
「――きみは綺麗だよ」
耳障りのいい言葉。やわく鼓膜を震わせる声。確信犯的に笑んだ目元と口元に、木々は眼前の男の色気を思い知る。
なるほど、と木々は腑に落ちた。なるほど令嬢が頬を染めて騒ぐだけのことはある。
「僕がどこぞの令嬢を連れ出したと思って少しは妬いた?」
「どこぞの子息が私に近づかないよう牽制してるのはどちらです」
「素直じゃないな」
「妬いてほしかったんですか?」
ふむと考え込んだヒサメがやがて、悪くないね、と口を曲げた。
同感だったが便乗するのも少々癪で、木々はやむなくその本音を胸の内に仕舞い込む。悪くない。彼の執着と腹の底に思いを馳せて、お生憎様、と名前も知らぬ令嬢に同情した。
(2019/09/14)