ひそむ声の行く末
触れる掌が徐々に熱を帯びてゆく。果たして熱いのは自分の体温か、それとも彼女のそれか、詮無いこととわかっていながらミツヒデはぼんやり考えていた。そうでもしないと何もかも捨て置いて眼前の熱にのめりこんでしまいそうで、つまり、彼なりのブレーキである。
ひんやりと静かな書庫、夜更けで人の気配もまるでない。控えめにこぼれる彼女の息遣いが、声が、やけに甘く耳にこびりつく。
「……っ、ん……」
唇を一度離し、抑えた頬を上向かせながらふたたび吐息を塞ぐ。彼女の髪が本の背表紙に擦れてかすかな音を立てた。書架に押し付けた体から抵抗の意思はなく、それどころか細い指先はミツヒデの腕にすがりついてさえいて、否応なくミツヒデの熱を高ぶらせた。
「ふ……っ」
深く擦り合わせた唇の中で舌を探り、戯れるように触れて絡めとる。喉の奥で呼気が潰れて、そのたび木々は苦しげに喘いだ。
ぎゅうと腕にすがる彼女の手が力む。うっすら目を開けると彼女の柳眉はきつく寄せられていて、やりすぎた、とミツヒデは自嘲した。
薄い唇をようやく解放する。
木々は湿った吐息をひとつ吐き出して、とろりと瞼を持ち上げた。
「……何盛ってるの」
「いや、つい」
とまらなくて、と近い距離のまま囁く。あけすけな欲望にも木々は相変わらず無頓着で、むしろその表情は呆れてすらいる。
この状況下で呆れられることもそうない。
けれど、吐息にいまだこもる熱や、整わぬ呼吸、薄く染まった頬に濡れた瞳と、何もかもがキスの余韻に色づいてどうしようもなかった。
「嫌か?」
「……その、聞き方」
木々は辟易している。逆効果だ、とミツヒデは冷静だった。そんな返し方ではまるでキス自体は満更でもないと言わんばかりである。
ミツヒデは今いちど顔を寄せた。
「待――」
抗議ごと唇を塞ぐ。再び静寂。
不意に、コツ、と遠くに足音が響いた。ぴくりと肩を揺らした木々が、伏せていた瞳を律儀に持ち上げる。ミツヒデも探るように目を開けている。
コツ、コツ、とその音はこちらの気配など悟りようもない距離に聞こえた。身じろぎもせずに粘っていると、それを拒むように木々の手がぐっとミツヒデを押し返す。
「……嫌じゃないんだろ」
どうせ気付かれやしないと続きを催促する。けれど木々も頑なで、ミツヒデを押さえながら息を吐き出すように訴えた。
「ここでは、嫌」
掠れた声が、ミツヒデの耳朶をじわりと震わせる。
「……集中できない」
しっかり呼吸を忘れた。
いいだけ煽られた情欲が衝動となって脳髄を焼き尽くす。脳からやがて体へ、指先へ、痺れにも似た感覚が走って、錯綜する情動のおかげで息をしろというまともな脳の命令すら伝わるのに時間がかかった。
かろうじて息をする。木々の言い分をきくすれすれの理性も残されていた。けれど目下の平常心は少しもあてにならず、とにかくこの衝動をどうにかせねば、と窮したミツヒデの取った行動は彼女の肩に頭を押し付けるというものであった。
「……人の話聞いてる?」
「聞いてる。聞いてるが心臓吐きそうだ」
「は……?」
あんなにも甘やかだったはずの声が心なしかつめたい。
ミツヒデは勿論それどころではない。身じろぐ木々の体に腕を回し、間違っても白い首筋に目がいかぬようきつく目を閉じる。
「ちょっと落ち着かせてくれ……」
情けない声に何を思ったかは知らないが、木々は何も言わずにミツヒデの復旧を待った。
平常心はどこだ、とミツヒデは途方に暮れる。ただでさえ柔らかい肢体はしつこい口づけにより普段以上に熱っぽく、よもやいつになったら落ち着けるのかと静かな絶望感すらあった。
(2012/12/31)