ボーナスステージの大迷惑
平日よりも断然空いている図書館で目当ての文献を何冊か借り出し、マルコはそのままゼミ室へ向かった。先に寄ったコンビニでサシャとコニーに遭遇したのだ。土曜日に珍しい、と驚くと二人は唐揚げ棒を頬張りながらなぜか得意げであった。得意げということは勉強が目的なはずで、つまりレポートに行き詰まっているのだろうな、とマルコはおおよその見当をつけている。様子を見に行ったほうがいいのだろう、ということも。
ゼミ室に顔を出すと案の定だった。頭のてっぺんから魂の抜けているサシャと、テーブルと仲良くしたまま微動だにしない坊主頭のてっぺんが、テキストを相手にすでに惨敗の様相を呈している。
「だよねえ……」
「あー、マルコー」
図書館に用あったんじゃねえのか、とコニーがテーブルの上で顔を向ける。一方のサシャはまだ魂が戻ってこない。
「うん、まあ、本だけ借りてこっちでやろうかなって」
「ちょうどよかったな、パソコン空いてるぜ」
「空いてちゃまずいんじゃないの……」
二人ともそれ間に合うの、とマルコはお節介を承知で口を出した。レポートの流れなどおおむねどれも一緒だ。資料を探して借りて役立ちそうな記述を拾う。それが終わればパソコンに向かう。この二人は資料を借りたところでフローが終了している。
「何のレポート?」
「……生涯発達概論の」
「ああ、前回取ったなあ。厳しいよね。提出いつ?」
「…………来週の…………」
「あ、うん、厳しいよね。泣かないで」
こうなるとマルコの世話焼きの性分が顔を覗かせてしまう。大丈夫まだ間に合うよと慰めながら、いかにしてサシャの魂を呼び戻すかマルコは思案していた。コンビニで何か買ってくればよかった。
「とりあえずサシャ生き返らせなきゃ」
「フェニックスの尾でも探しにいくかあ」
「冒険に出てる場合じゃないでしょ……」
早くも現実から逃避したがるコニーをいさめながら、レポートが後回しにされていた理由がなんとなく読めた。世界を救いに行っていたのだろう。たぶん。
「ゲーム没収役なら引き受けるよ、僕」
「……なあマルコ、なんで俺、FFはクリアできるのにレポートはクリアできないんだと思う」
「FFやってたからじゃないかな」
マルコは自分のテキストと文献をテーブルに広げる。そういえばゼミ室は開いているのにリヴァイがいない。ハンジもいない。いや、ハンジがいないことは日常茶飯事だが、二人そろってゼミ室を空けているというのも妙だった。
「それにクリアしなきゃいけないのはレポートじゃなくて卒業じゃあ」
「うっ」
呻いたコニーが数秒固まって、その後おずおずとゲーム機を差し出した。あとでサシャからも没収せねば、とマルコは心に決める。コニーの様子からして単位も相当差し迫っているに違いない。
「そういえばサシャは――」
「おー、エレン」
コニーがマルコの背後に向かって雑に手を振る。振り返ると窮屈そうにスーツを纏ったエレンと、彼よりはいくらか着慣れた様子のアルミンがいた。
「うわあ、お前ら土曜にわざわざ学校かよ」
「いや、お前らもな……」
ところでエレンはビニール袋をぶら下げていた。スーパーあたりのありふれた透明な袋である。中身はバナナだ。一房六本の普通のバナナ。ありふれたビニール袋からバナナの黄色が力強く透けている。
スーツ姿で何でバナナ持ってるんだろう、というマルコの当然に過ぎる感想は、当然を超越したサシャによって呑み込まれてしまった。
「うわあああああエレン!!」
「え、あいつ今テーブル飛んだよな? 普通に飛び越えたよな?」
「綺麗なフォームだったね」
残念ながら向こうの二人は奇跡のフォームを見逃していた。あるいはエレンは目の当たりにしたかもしれないが、それをバナナのために華麗なフォームで常識とテーブルを超越するサシャ、と認識するにはおそらく時間が足りなかっただろう。
床に伸びているエレンにアルミンが必死で呼び掛けている。一方のサシャは見向きもせずに獲ったどーのポーズである。
「誰も悪くないよね」
「そうだな。バナナに罪はないよな」
なんであいつバナナ持ってたんだろうな、とコニーが同情するように言った。
「で、なんでスーツ?」
「キャリアフェア行ってたんだ。合同説明会」
「ああ、就活かあ」
エレンの半身を支えながらアルミンが応じる。就活かあとコニーがマルコと同じ台詞を悲壮感たっぷりに繰り返した。
定期的に校内で行われる就活イベントである。対象は四年生ではなく三年生で、就活というより就活の事前準備を煽るイベントだとマルコは解釈している。おそらくリヴァイもそっちに出ているのだろう。
「俺らなんて就活の不安どころじゃねえぞ」
「あ、うん、FFは我慢したほうがいいと思うよ」
「見くびるなよアルミン、クリア済みだ」
「うわあ」
すごい、とどっちの意味だかわからないがアルミンが感心していた。横でもそもそとバナナを食しているサシャが別世界のように幸せそうなものだから、マルコは完全にゲーム没収のタイミングを逃している。
「でもアルミンが就活してるのは意外だったな。てっきり進学するものだと思ってたよ」
「まあ、第一志望は進学なんだけど。まだちゃんと決めたわけじゃないし、経済的にもちょっと」
「アニに養ってもらえばいいじゃねーか」
途端に興味をなくしたようなぞんざいな口振りになったコニーが、そのままの口調でそういやアニはと訊いた。アルミンは苦笑いである。
「二社目あたりで帰ったよ。なんか風邪っぽいって」
「風邪? アニが?」
本人がいたら睨まれる言い方だ。気にする素振りのないコニーはバナナくれよとサシャに絡んでいる。
「アイスでも食べすぎたんですかねえ」
「うわ、話聞いてたのかよお前」
「見くびってもらっちゃ困りますよ!」
「ああ、あのフォームは二度と忘れねえ」
「エレーン、バナナなくなっちゃうよ」
成り行きでマルコの手にもバナナが回ってきた。バナナを片手にしたアルミンの起こし方もずいぶん雑である。祖母の家で宿題をやっていた時にスイカなくなっちゃうわよ、と母に呼び掛けられた長閑な記憶が蘇ったが、目下の光景は長閑というよりシュールだ。
起きないですねえとサシャがまるで他人事のようにエレンをつつく。バナナでつつくな、とコニーがたしなめた。
「サシャは就活考えてる?」
「実家に帰るつもりなんですよねえ。家のほう手伝うか地元で就職するかです」
「え」
そうなんだ、と応じたのはアルミンで、マルコもだいたい似通った感想だったが、コニーだけは違ったらしい。バナナを剥く手が止まっている。
「どうかしたんです? コニー?」
「は? 帰んの? お前?」
「帰りますよ。どうしたんですか」
「――い、いや……、つーかお前、帰る前に卒業できんのかよ……」
「コニーに言われたくないですね。バナナ食べてる場合じゃないですよ」
「お前に言われたくねえよ!」
マルコは思わずアルミンと顔を見合わせてしまった。これは、つまり、そういう。
正解が出る前にエレンが呻いた。ああ起きた、バナナあるよ、とアルミンが声をかける。かけるべき言葉のチョイスがそれでいいのかは判然としないが、サンキュー、と掠れた声のエレンが手を伸ばしたので、良いらしいとマルコは言及をやめた。
「ていうかなんでバナナ持ってたんだよ?」
「え? なんかライナーからもらってさ」
「なんだそれ面白いな……」
「ああ、スーツでバナナ持ってんのすげえ面白かったぞ」
「エレンそれちょっと自爆してる」
床の上で座り直したエレンが何がだよとアルミンに聞きながらバナナを剥いている。せめて椅子に座ればいいのに、と思いつつ何故か口が出しづらい光景である。たぶん隣のアルミンが当然のようにエレンにつられて床に座り込んでいるせいだ。
「だけどもう来年就活だろ、考えたくないよなー」
「卒業も淋しいよね」
「そうだねえ、サシャもいなくなっちゃうんだし」
「ですねー」
ほうぼうにゼミ室の好きな位置でバナナをかじる。こういうのも卒業までか、とマルコもようやくバナナを剥いた。
「コニーも卒業までに悩むこと増えちゃったね」
「しらねー」
しらを切るコニーは唯一バナナが剥きかけで止まっている。いらないならもらっちゃいますよ、と通常運転のサシャに、食うようるせえ芋女とコニーはやぶれかぶれである。思った以上に不毛な流れかもしれない、と同情しながらマルコもバナナをかじった。