いざないのカレッツァ
ちゃり、と固い音が聞こえて、アニはふつりと覚醒した。
ぼやけた視界にベルトルトの腕が映る。視線で辿った腕はヘッドボードに伸ばされていて、なんだろう、と冴えぬ頭で考えていると彼がアニに気付いた。起きた、と困ったように笑って、アニの顔を覗き込む。
「アニ、疲れてるのはわかるけど、寝るならちゃんと着替えなきゃ。あと、お願いだから、ネックレスは外して」
危ないから、とベルトルトがアニに言って聞かせる。なるほど、とアニはどうにか頭を動かした。先の固い音はネックレスをヘッドボードに置いた音だ。ペアリングの片方を通しただけの、シンプルなチェーン。
ここにきてアニはようやく、そういえばこいついつ帰ってきたのだろう、という疑問に行き着いた。というか今は何時だ。時計を見ようにも、重たい瞼は勝手にずるずると落ちてきてしまう。
「あ、ちょっと、アニ、着替えてってば」
「んん……」
「ごねてないで起きて。ほら、手伝ってあげるから」
ベルトルトのでかい手がアニの頭を掬い、同様に背中を支えてアニの半身を起こさせた。かくんと前に落ちたアニの前髪を払って、ベルトルトが優しく頬に手を添える。アニ、と呼ぶやわらかい声も相まってひどく心地がいい。アニは不承不承に目を開きながら、ベルトルトの手のひらにすり寄る。
「アニ?」
「……あんた、いつ帰ってきたの」
「一時間くらい前かな。気付かないなんて珍しいね」
「……」
「やっぱり疲れてるんでしょ」
妙にヒリつく目許にベルトルトの指が触れた。五日間酷使して疲労した目と、変な風に寝てしまったせいで、しぱしぱと鈍くさい瞬きしかできない。
アニは両腕を回してベルトルトにしがみついた。ちょっと、と体勢をくずしたベルトルトが非難の声を上げる。どうせ早く着替えて早く寝ろという説教だ。
「ベル」
「……アニ、僕、一応我慢してるほうだから、大人しく着替えて寝てくれないかな」
「手伝ってくれんじゃないの」
「アニ」
「着替えさせてくれないの、ベルトルト」
肩に埋めていた顔を上げると、苦虫を噛み潰したようなベルトルトがいた。変な顔、とアニは茶化すように指摘する。すこし上目遣いを狙ったら、次の瞬間にベルトルトが襲いかかってきた。
「――ン!」
ベッドに乗り上がったベルトルトに圧されてバランスを崩す。シーツに肘をつきながらキスに応戦していると、ブラウスの裾からベルトルトの掌が忍び込んできた。肌を這いながら徐々にブラウスをたくしあげ、ついでに体重もかけられて、アニのからだは呆気なくベッドに沈む。
「ふ……ッ、ん、ぅ……」
ぬめる舌がアニの口腔を味わう。舌をつつくとそのまま絡み付いてきて、うなじのあたりからぞくりと甘い痺れが走った。腑抜けた声が喉の奥でつぶれる。ベルトルトの頬を両手でホールドして、アニは溶けそうなキスを深くねだる。
「ん……」
ベルトルトが、頬を抑えるアニの片手を絡め取り、ゆっくりと顔を離した。薄目の視界に唾液の糸がちらつく。伏し目のベルトルトが色っぽい。
「……やっぱり、疲れてるでしょ、アニ。ちょっと熱っぽいよ」
アニは目をすがめてベルトルトを見上げた。
「あんたのキスのせいだよ」
「いや、そうじゃなくて、本当に」
「何?」
「寝込むほうのやつ」
「別に。だいたい、あんただって熱そうだけど」
ここ、と膝頭で軽く刺激してやると、ぴくりとベルトルトが震えた。う、と呻いたベルトルトがばつの悪そうな顔でアニを見て、何か言いかけて、結局やめて息をつく。
「……ああ、もう、ほんとに知らないからね。途中でしんどくなってもやめないよ」
「あんたのほうがしんどそうだよ」
「ちょっと黙って」
掠めた唇が言葉を奪う。
唾液で濡れた唇を首筋にあてながら、ベルトルトの手がブラウスのボタンを探った。アニは行き場に困った手でベルトルトの耳を引っ張る。意味もなく彼の耳で遊んでいると、ちょっと、と文句が飛んできた。おとなしくしてて、と笑いを含んだ説教である。
「あんたは脱がないの」
「脱ぐよ。アニ、腕抜いて」
袖をおさえたベルトルトに言われるがまま、ブラウスから腕を抜き、ベルトルトの背に回す。反対側も同様に。衣服をベッドの下に落としたベルトルトが、キャミソールをたくしあげて腹に口付けた。くすぐったさに身をよじりながら、下着のホックを外すベルトルトの腕に黒子を見つけて、とりあえず噛みついておく。
「ベル」
「もう、おとなしくしてって」
臍の横からあばら、胸元、と徐々に上昇してくる頭のてっぺんに、アニのほうも少し身を起こして口付けた。細くてやわらかい髪の感触。ハゲないといいな、とアニはぼんやり考える。
「んッ」
胸のふもとからねっとりと舌が這い、すでにしこるてっぺんまで掠めとった。震えた拍子に思わずベルトルトの頭を抱き込んでしまって、さしものアニも顔が赤くなる。慌てて手を離して彼のシャツを握った。
ベルトルトの右手がやさしくふくらみを包み込む。舌でねぶるもう一方と、ふたつの刺激が、ざわざわとからだを這い回る。
「や……、ぁ、ベル」
「きもちいい?」
「くすぐったい……」
ちりっと鋭い刺激が走った。指が少し強めに乳首をとらえ、同時に歯を立てられ、思わずアニは背をしならせる。
「あ!」
「痛くない? アニ、今日ちょっといい感じだね」
熱っぽいからかな、と余裕ぶるベルトルトの頭を引き寄せる。間近で見ると思ったより余裕のなさそうな瞳を覗き込み、そこに映るばつの悪そうな自分を睨みながら、キスをねだった。
「アニ」
「……あんただって余裕ないくせに」
「……まあ、たしかに、余裕はあんまり」
ベルトルトの手がスカートの留め具を外し、薄手のタイツに潜り込んで太腿に触れる。アニ、と呼ばれて仕方なく腰を浮かせて協力した。腰からおろしたタイツとスカートを、ベルトルトの手が足のラインを辿るように引きずりおろしていく。掠める手のひらが熱い。
無防備に太腿に口づけてくるベルトルトは、そうやっても蹴られないことを知っている。それもなんだか癪だな、とアニは口づけをあしらった。
手持ちぶさたでベルトルトのつむじをつつく。ぐりぐりと指に髪を巻いて遊んでいると、案の定というべきか睨まれた。
「……アニさ、遊び心はいいんだけど」
「つむじ押すとハゲるらしいよ」
「ムードっていうか、せめて集中してくれない?」
衣服の残骸を捨て、ベルトルトが太腿のきわどいところに口付けてくる。うわ、と体を震わせた隙に下着をおろされ、長い指がじっくりと熱を絡め取った。
「ん……っ」
「濡れてる」
集中してないのに、と皮肉を返そうとしたら、ベルトルトが急に覆い被さってアニに口付けた。高ぶった体はキスひとつにさえ素直に反応してしまう。
鼻にかかった声をくぐもらせながら、何度目かわからぬキスをしつこく味わう、ぐちりと互いの舌を蠢かせる。ぐちりと長い指がいりぐちをくすぐる。
アニはベルトルトのシャツから手を忍ばせた。シャツをたくしあげながら、痕など残らぬ程度に爪を立て、背骨をゆったりとなぞる。びくりとベルトルトが反応して、薄目を開いた彼に睨まれた。
「――きもちいい?」
「……アニ……」
上がった息で、それでも笑いを含んで訊くと、ベルトルトが文句のかわりに息をついた。
そもそも自分ばかり裸というのも気に食わない。
脱ぎなよ、とひきしまった脇腹をなぞる。するとその手をベルトルトに掴まれて、もう一方の手といっしょくたに頭上に押さえつけられてしまった。
「大人しくしててって、僕、何回も言ったよね」
「あんただって脱ぐって言った」
「あとで脱ぐよ」
ひとくくりに纏められた腕はぴくりとも動かず、あ、意外とまずいかもしれない、とアニはようやく危機感を悟る。ベルトルトの指はすでにたぎる熱をかき分け、アニの中へ侵入を果たしていた。
「ッん、あ、まって」
「やめないって言ったろ」
「や……っ」
ぐずりと二本の指が、アニの内壁をいたずらに擦る。敏感なところに触れられて、そのたびきゅうっと勝手に体が締め付けて、余計に指の動きを感じてしまって声が震えた。上がる声を抑えるすべもなく、ろくな抵抗もかなわず、受け流しきれぬ快楽が徐々にアニを追い詰める。
「だ、だめ、ベル、これ、ぁ……ッ」
「興奮する?」
「あ、あんたのほうが、でしょ……っ」
「うん、ちょっと、くるね、これ」
彼のほうまで息を荒げて馬鹿みたいだ、とアニは余裕のない頭で毒づいた。へんたい。サディスト。けれどふとした瞬間にベルトルトの熱い吐息が肌に触れて、それすら甘い刺激になってどうにもならない。
「もっとよがって」
「ば、か……ッ」
親指が肉芯をとらえ、アニは悲鳴のような声を上げた。やらしく擦られ、締め付けて、締め付けた中でも指がアニの内側を擦り、じわじわとアニのからだが追い込まれていく。
「ひ……ッ、それ、ぁ、やァ……っ!」
「きもちいい?」
「ぁ、あッ、だめ、ベル、だめ……っ!」
はしたない悲鳴をあげてアニは達した。びくびくとからだを震わせ、喉をそらせて、ベルトルトの指を締め付けて、アニの羞恥も限界である。ぎゅうっと閉じた視界の向こうでベルトルトが満足げなことは間違いないなかった。
ずるりと指が抜かれてからだがひくつく。薄目を開いたところでようやく腕も解放され、予想通り満足げなベルトルトがアニの滲んだ涙をぬぐった。
「かわいかったよ、アニ」
「……いいから、はやく、脱ぎなよ」
「そればっか」
笑ったベルトルトがアニの上から退いて、もぞもぞと衣服を脱ぎ始める。熱が離れて急に心許なくなった。けだるい体を起こして中途半端に脱がされた下着を脚から抜き取り、アニはヘッドボードを探る。
ふとネックレスが目について思わずそっちを手に取った。アニにとっては大きめのリング。今日はたまたま着替えないまま寝てしまっただけで、ごくたまに、ネックレスをつけたまま寝ることがあるとベルトルトは知っているだろうか。
「アニ、どうかした? 指輪?」
「なんでもない。ねえ、ゴムないよ」
「え、ほんと? じゃあバッグに入ってるほう取ってくる」
「は? それ何用?」
いや別に疑わしい事情はないけど、とベルトルトが笑う。宣言通り鞄を取りにベッドを下りようとする背中に、アニはのしかかる形で抱きついた。
「アニ?」
「なかで出さなきゃいい」
「え、うーん、努力はするけど。安全日?」
「来週から生理」
「……ほしい?」
「ほしい」
そのまま、と囁くとベルトルトが覆い被さってきた。首にすがりついて高ぶった視線を絡ませる。いいよ、あげる、とベルトルトの熱が再びアニの肌に迫る。
疲れて、眠くて、ベルトルトは寝ろとアニに言った。数分前のやりとりを反芻させながら、わかってないな、とアニは胸中でわらう。疲れて、眠くて、だからベルトルトに触れたかっただけなのに。
口にすれば早い。だけどそれも野暮な気がして、いつになったら気付くだろう、とアニは上機嫌にキスをせがんだ。