解けぬ理不尽と溶けたアイス
 三限が休講になって時間を持て余し、ゼミ室に顔を出すと思ったよりも人数がいた。しまったラウンジのほうが涼しい、とジャンは自身の誤断に歯噛みする。 「おう、ジャン、お前授業は?」 「休講だ休講。お前ら相変わらず暇さえあれば群れてんのな」 「群れにきたやつの台詞かよ」  ライナーとユミルが口々に絡んでくる。やあジャン、とまっとうに挨拶を寄越したのはアルミンくらいであった。奥の一角でパソコンをいじっていたベルトルトもにこやかに手を振っている。  部屋の奥からリヴァイが静かに睨みをきかせていた。いや誤解です、とジャンは担当教員に向かって取り繕うように両手を広げる。 「うるさくしにきたわけじゃなくてですね、俺はまっとうに課題を片付けに」 「おいおいまるで俺たちが暇を持て余してるみたいな言い方だな!」 「持て余してんだろ! ゴリラ!」  奥からうるせえカス、と厚めの文献が飛んできた。理不尽だ。  違いねえわとユミルがグループワークテーブルでスマートフォンをいじっている。いやお前もな、とジャンはかろうじて突っ込み返した。 「マルコは? 同じ授業だよね?」  ユミルの斜向かいでまともに課題を広げていたアルミンが、一連のやりとりを華麗に流してジャンに問う。おそらく本人に他意はないだろうが、それはそれで、どちらかというと残酷である。 「あいつ三限までだから帰ったよ。俺はこのあと五限ある」 「女じゃね?」 「なあ俺今話してたよな?」  スマホ叩き割んぞクソ女、と流れるように返すと聞き捨てならんとばかりにユミルがゆらりと立ち上がった。  基本的に両者とも平和主義とは縁遠い。喧嘩を売られたら買うし買われたらいざ尋常に勝負である。やってみろよ、と張り合うように身を乗り出すと、いいところでアルミンが制止の声を上げた。 「あ、ちょっと、タンマタンマ」 「あ? なんだよアルミン」 「違う違う、ジャンじゃなくて」  いつの間にか視界から消えていたゴリラが奥のほうにいた。パソコンの前でぬうっと起立しているベルトルトをいやお前は座っとけといさめている。何が問題かというとベルトルトの瞳がじっとジャンを見つめているのである。 「——ああ出たよ! 畜生! これだからリア充は!」 「ま、まあまあ。そのうちジャンにもいい子見つかるって」 「そうだぞ落ち着け、手始めにハリネズミとか飼ったらどうだ」 「なあ頼むから適当に思い付いたやつ口にするのやめろよ」  着席したベルトルトは再びパソコンと向き合っている。何の気休めにもならぬアドバイスをくれたライナー本人はゴリラのくせにハリネズミと比べものにならない女神と最近いい感じだ。世の中はひどい。  お前はいいよなクリスタいるもんな、と口にしかけて、いいよなあたりで今度はユミルが先のベルトルトと同じ目をしたので口を閉じた。めんどくせえなこいつら、とジャンは辟易する。  辟易していたところにエレンとミカサが並んでゼミ室に入ってきた。さらなる辟易が襲いくる。 「アイス買ってきたぞー」  サークルか、と突っ込む気力もなくジャンはじっとりエレンを睨んだ。 「あ? ジャンもいたのか。なんだよ睨むなよ」  不愉快がるエレンをよそにミカサがそれぞれ注文されたアイスを黙々と手渡していく。ガリガリくんをかじりながらユミルがけらけら笑っていた。 「さっきからこいつ、ここの空気にあてられて打ちのめされてんの」  へえ、とエレンはわかっているのかわかっていないのかよくわからぬ生返事をする。それ以前に興味があるのかないのかという話である。中途半端に腹が立つ。  ミカサから受け取ったパピコを吸いながら、エレンがでもなあとぼやいた。 「男の僻みってダサくねーか」 「うるせえよ」 「まあ独り身の気持ちはわかるぜ。お前と同類ってのは癪だけどな」 「ハア? うるせえよ一緒にすんなよバーカ!」  その背後霊なんのつもりなんだよと言うとエレンが怪訝な顔をする。いやミカサだろ、と返されてジャンは不覚にも絶句した。ユミルが爆笑しながら去っていく。俺も梨味くいてえな、とジャンは意味もなくその背を目で追った。 「つーかお前らサシャとコニーも一緒だったんじゃないのか」  みかんバーのライナーがパピコを吸っているミカサに訊く。一緒だった、とミカサが平坦な声で応じた。 「喧嘩になって邪魔だったので置いてきた」 「喧嘩って」  どちらかというと並んでパピコを吸う光景のほうが見たくはない。 「ああ、あいつらな、なんか、チューペット取り合ってたな」 「は? チューペット? あれそもそも分けるやつだろ?」 「尻尾のついてるほうをどちらが食べるかで喧嘩していた」  パソコンの電源を落としたベルトルトがスイカバーをくわえながらこちらに混ざってくる。アルミンの隣に腰掛けながらあれってまだあるんだねと的外れな感想を口にしていた。 「最近見なくなったよね。昔よくライナーと喧嘩したなあ」 「え? お前らも尻尾で喧嘩すんの? 引くわ」 「違ェよ、どっちがアニと半分こするかのほうだ」 「ほうだ、じゃねえよ。しらねえよ」  よもやその喧嘩をいつまで勃発させていたのかなど恐ろしすぎて訊く気にもなれない。アニの性格上かろうじて現在進行形の可能性がないだけまだ良いが、かといって彼女にフラれた男二人がむなしくチューペットを分けている絵面が否めなくてぞっとしない。いや、むしろぞっとする。  アルミンもよく笑ってられるよな、とジャンは彼の寛大さに心からの敬意を払った。寛大どころか興味すらなさそうなユミルは当然のようにベルトルトの手からスイカバーをかじっている。 「つーかあの二人ってどうなんだ? バカップル?」 「コニーはあんな芋女と付き合うくらいなら芋食うって言ってたよ」 「じゃあただのバカだな」 「サシャも同じようなこと言ってたよな。コニーが芋に似てるとか」 「お前ちょっと黙ってろ」  似てんじゃねえかとエレンが食って掛かる。ジャンは面倒臭くて反論もしなかった。 「なあそれより私のクリスタどこだよ」 「そういえばアニもまだ来てないな」  なるほど水曜の三限に講義を取っていたのは自分とマルコだけだったらしい。そりゃもう諦める気になるよな、と序盤に文献を飛ばしたきり別世界にいるリヴァイに同情した。 「あ、そうだ、あの二人さっき下で」 「下にいんのか? この炎天下? 何してんだあいつら」 「知らない男たちに絡まれていた」  がたん、と三体ほどのリア充が立ち上がる音がした。いやあの目はリア獣だ。リアルな獣だ。ジャンはなるべく目を合わせないことにした。 「えっ、ていうかお前らそれスルーしてきたの?」 「アイス溶けちゃうだろ」 「お前一回アニに蹴り転がされろ」  吐き捨てたジャンの横をリア獣たちが抜けていく。 「あーやだやだ。どうせ心理の連中だろ。チャラチャラしやがって、うちのクリスタ巻き込むなっつーの」 「ああ? 聞き捨てならんな、心理学生がこぞってダメ学生と思うなよ。アニとアルミンを見ろ! 天使だ!」 「ハッ、痛くも痒くもねえな、こっちにはクリスタとマルコがいるんだぜ」 「——クッ……」  何が拮抗しているのかよくわからないが、なんでもいいから早く行けよとジャンはその背を見送る。どう考えてもその会話そのものが現在進行形で天使に絡んでいる男どもの思考であろう。  獣たちがほうぼうに言い散らかしながらゼミ室を後にする。そういえばベルトルト終始無言だったなとジャンは若干の寒気を覚えた。 「アルミンは行かねえのか」 「え? うーん、行ってもいいけど、あの三人で行ったほうが迫力あるし」  ゴリラたちはこの天使の余裕を見習ったほうがいい。  感心したものか悲観したものか判断しかねるジャンに、アルミンはそれにと言って何食わぬ顔で本音を口にした。 「保護者になる気は毛頭ないからね」  含みも何もない色である。彼の手は順調に課題を進めている。  ああそうかうん、とジャンは深く考えることをやめた。暑苦しいのが何人か減って気持ち温度の下がったゼミ室で、ようやく本来の目的を思い出してジャンも課題を引っ張り出す。  パピコの容器を捨てたミカサが隣に座った。エレンは奥の一角でパソコンを立ち上げている。 「……まあ、なんだ、ミカサも気を付けろよ」 「大丈夫。エレンは私が守る」 「そうだな、安心だな」  もう好きにしてくれ。  ジャンは二度とこの時間帯に顔を出すまいと固く胸に誓った。

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