ヴィーゲンリート
 兵営を出て裏手に回り込むと、案外あっけなく小さな塊が発見された。  夜も更けている上に明かりもなく、手こずるかなとも覚悟していたが、闇に溶けきらぬブロンドが幸いした。壁に背を預け、膝を抱える格好のアニは、腕に顔を埋めたまま微動だにしない。  ベルトルトはゆっくりと地を踏んだ。下ろされた彼女の髪が、さらさらと夜風に遊ばれる。 「アニ」  縮こまる小さな体を見下ろし、ベルトルトはすとんと屈み込んだ。泣いていたらどうしよう、という不安が一瞬よぎったけれど、見たところ彼女の肩が震えている様子はない。 「アニ、サシャが心配してたよ。寝てたはずのきみが消えたって」  数分前、空腹で目を覚ましたというサシャがアニの不在に気付き、心配がって食堂に現れた。日付などとうに跨いでいる。サシャの心配も当然と言えた。  たまたま居合わせたライナーが夜食に取っておいたパンの残りをサシャの口に押し込み、そのまま彼女を兵舎に帰している間にベルトルトが外へ出てきた。心配は心配だったが、二人の心配はサシャの心配とは種類の異なるものだ。 「アニ」  うずくまったままの頭に手を伸ばす。すべらかな髪の感触を手のひらで味わい、もう一度呼び掛けると、小さな頭がようやくもぞと動いた。  重たげな瞼の下から焦点を結ばぬ瞳が覗く。どうやら夢うつつをさまよっているらしい彼女に、ベルトルトはじんわり苦笑した。 「……まったく、風邪ひくよ」  右目にかかる髪をはらってやると、アニが、おもむろに腕を伸ばした。  両手でベルトルトの首にすがりつく。おそらく睡魔のせいだろうが仏頂面に近い顔を、思わず前のめりになったベルトルトの肩に押しつけた。 「アニ?」  ベルトルトは少し躊躇してから、アニの体に両腕を回して抱き上げる。よいしょ、と立ち上がると、おそらく無意識に、彼女がさらに強くしがみついてきた。  抱えたからだは思ったよりも温かい。眠いからだろう。子どもみたいだ、とベルトルトは笑う。 「こわい夢でも見たかな」  首筋にあたる髪の感触がくすぐったい。背中を優しく叩いてやると、耳の下から、安堵から漏れたかすかな吐息が聞こえた。 「大丈夫だよ、アニ、大丈夫」  小さいながら筋肉の乗っている体は、おそらく標準のそれよりも少し重い。それでも彼女と同様に、あるいはそれ以上に鍛えられた腕では、あやすように抱き上げてやるくらいは何てことなかった。  まるで子守りだ。  緩む感情も緩む頬もどうしようもなくて、ベルトルトは小さな頭に頬を寄せた。大丈夫、大丈夫だよと、自分でも可笑しくなってしまうほどに、囁く。 「何も怖くない、僕もライナーもいるんだ、怖くないよ」  もう記憶もおぼろげな遠い昔を思い返す。  この腕にとってこの体は、あの時からずっと小さいままだ。 「だから、安心しておやすみ、アニ」  例えば、彼女だけでもいい、ずっと子どものままいられたらよかったのに。  微睡みのふちにありながら、しっかりとベルトルトに縋り付く少女に、やはり破顔しながら少し泣きたくもあった。何も考えず、何も考えさせずにこうして彼女を受け止めるには、一体何が必要で何が邪魔なのだろう。  答えがあったところできっともうどうにもならない。ベルトルトは無慈悲な現実から目を逸らして、今度こそいい夢を、と小さな少女のために願った。
(2013/07/06)

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