飛び出せワームホール
 白桃サワーを頼んだのにゆずみつが来たのでサシャに回した。嫌いなんですかゆずみつ、と顔色を変えぬサシャが訊く。好みじゃないと言うと反対側でゆずみつを飲んでいたミカサが哀れむような目で見てきた。ゆずみつ程度で哀れんでもらういわれはない。  気のきくクリスタが電子メニューを渡してくれた。懲りずに白桃を入力していると正面からハイボール、とユミルが宣言する。アニは黙って電子メニューを突き出した。 「なんだよ冷てーなあ。そんなんじゃ男寄ってこねえぞ」 「あんたに言われたくない」  唐揚げに箸を伸ばそうとしたらミカサが皿を寄せてくれて、アニはなんとなくばつの悪い形でどうもと唐揚げを二つキープする。そんなに短い腕ではない。 「そんなこと言ってますけどねー、アニにしろユミルにしろ寄ってきたんだからいいじゃないですか。アニなんてこっちの学部でまで評判ですよ。ちっちゃくて美人なのにこわいって」 「それ悪評だろ」 「ミカサも有名だよね。スタイルよくて美人なのにこわいって」 「だからそれ悪名だって」  今後はなるべく一緒に行動するのやめよう、とアニは唐揚げをかじる。ただでさえベルトルトとライナーに挟まれて悪目立ちしているのに。 「アニって苦労性ですよね」 「あんた喧嘩売ってんの?」  サシャに回したゆずみつは順調に量が減っていた。地方出身の人間はおおむねザルである、という偏見をアニは抱いている。ユミルも強いが、たぶん、サシャのほうが強い。 「ベルトルトとライナーも目立つじゃないですか。おっきくて」 「三人で同居してるって話もよく噂になってるよね」 「そうそう。そういう話で嫌がらせとかないんですか? 変な噂流れたり」 「変な噂? そんなのとっくに出回ってるよ。私差し置いてホモ説が有力だよ。なんなの?」  ユミルが爆笑している。あんたの男だよ、とアニは腑に落ちない。 「ア、アニにはアルミンがいるから……」 「ああ、アルミンといや、あの外泊事件? ホモ二人をやきもきさせたあれ、どうだったんだよ」 「どうもしてない。言ったろ」  店員がやってきたがやってきたのはハイボールとアセロラサワーだった。面倒もあってアセロラでいいやもうと見切りをつけたアニの変わりに、ユミルが白桃を頼んだ旨を説明している。可愛らしい店員は可愛らしい声で確認してきますと頭を下げたが、アニはあまり期待していなかった。  横でサシャが電子メニューをいじりだした。ゆずみつはそろそろ氷のほうが多そうである。 「アルミンは絶対ロールキャベツだと思ってたけどなー。ひと皮向いたら肉食。なあミカサ」 「アルミンは真面目。昔からそう」 「真面目ったってアイツ男だろ」  一応、と余計な一言がついたので黙って睨み付けた。サシャから受け取ったメニューを置いたクリスタがシーザーサラダに手を伸ばしたので、アニは取り皿貸しなとトングを取る。 「別にそういうつもりで泊まったんじゃない」 「でも実のところどうなんです? ちょっと期待してたとか」  アニはサラダを取りながらちらとサシャを見た。彼女はずばり言い当てたという様子でもなく、まったくの通常運転で自分の取り皿をスタンバイしている。 「別に。下着もあれだったし」 「なんだそれ、乙女だな」  ユミルが茶化す。アニは無視してサラダをクリスタに渡した。サシャが当然のように取り皿を差し出してきたので仕方なく受け取りつつ、ちょっと地雷を踏んだかもしれないと居心地が悪い。 「そろってなかったんですか?」 「いや」 「お気に入りじゃなかったとか」 「バットマンだった」 「バットマン!!」 「わらうな!!」  ユミルはテーブルを叩いての大爆笑である。腹立たしいというよりいたたまれず、トングを置いておしぼりを投げつけた。見かねたクリスタが笑いすぎだよとユミルをたしなめる。 「それにかっこいいよ! バットマン!」  クリスタのフォローは一周回ってフォローになっていない。優しさが優しさでなくなる時って本当にあるんだ、とアニは一つ学んだ。 「そうですよ! 私だったら惚れます!」 「大丈夫、アルミンはとっくにアニに惚れてる」 「うるさいよ! だいたいあんた他人事にしてるけど一緒になってスーパーマン買ってただろ!」  ミカサは顔色ひとつ変えない。かわりに他の三人が、え、とそれぞれの意味合いで声を上げた。 「うわあ、エレンもイチコロですね」 「別の意味でイチコロにされそうだよな」 「二人とも仲良いね……」  クリスタの口振りが少し予想していたものとは違って、アニはあれとなって彼女のほうを見た。ちょうどそこに店員がやってくる。ようやくきた白桃サワーを受け取り、コラーゲン入りのなんたらかんたら、とかいう青い液体をサシャに回した。  女神は尚もミカサとアニを見比べたりして、何か言いづらそうにしている。 「何? サラダまだ取る?」 「違うの。あの、今度、私も一緒に下着買いにいきたいな……」  すうっと空間が凍てついた。というより、ユミルが凍てついた。しまった地雷はこっちだったか、とアニは少し頭が痛い。どうであれ断る理由はひとまずないので、そうだねじゃあ今度と応じて白桃サワーに口をつける。 ***  しかし当然セコムのほうが許してくれなかった。 「……許さん」 「どうして。じゃあユミルも一緒にいく?」 「そういう問題じゃねえだろ!」  基本的にユミルの問題提起は解釈に困る。じゃあどういう問題なの、とクリスタが真っ当な反論をしていた。 「お前コイツらと行って何買う気だよ……!」 「だから、下着を」 「バットマンなんておまえには似合わないからな!」 「そ、そんなことないもん!」  いや似合わないと思いますよ、とサシャは率直である。到底口にする気は起きなかったがアニも同感だったし、ミカサも黙って頷いている。クリスタがバットマンの下着なんてつけていたら、おそらく、彼女のキャラクター性についてテコ入れが必要になってくる。 「てめえ! 私のクリスタは何着ても似合うに決まってんだろ!」 「あれ、これちょっと理不尽な流れ弾ですよね」 「クリスタ絡むと急に面倒くさいなあいつ」  二人はこちらとの温度差もそっちのけで似合う似合わないの応酬を続けていた。軌道修正するほどの流れでもないが、論点は間違いなくずれている。 「大丈夫、クリスタに似合うような可愛い種類もたくさんあった」 「うわ、馬鹿」  油断していたらミカサが火に油どころかニトロをぶち込む暴挙に出た。この距離感であの火力では火の粉が降りかかる程度じゃ済まない。  と思っていたら、突然ユミルが鎮火した。ふっと冷静になった彼女が、それはそれで空恐ろしい。情緒面大丈夫かな、とアニはベルトルトまで心配になってしまった。 「——ああ、知ってるよ。世の中にはクリスタを天使たらしめるヒラッヒラにかわいい下着だってあるんだ」 「あ、だめだ狂気感じる」 「ミカサが余計なこと言うからですよ!」 「事実を言っただけ……」  ミカサは悪びれずにきゅうりをかじっている。アニもまともに取り合うのが馬鹿馬鹿しくなってきて、ミカサと一緒になってきゅうりをかじった。 「だけどな、その天使の下着姿を見るのはライナーなんだぜ」 「ユ、ユミル!!」 「先に見せてもらえばいいんじゃないですか」 「いや私が見るのは大前提だろ。ちげえよ、ちょっとでもあのゴリラの目に触れさせると思うと、もう、壁をブッ壊してやる勢いだよな」 「ユミル、この世界は残酷だ」 「決め台詞だいなしだからやめな」  そろそろ何か欲しいですよねとサシャがメニューに手を伸ばす。基本的に脈絡なんてものはない。自由である。  皿が増える前にサラダの残りをサシャの取り皿に追いやっていると、不意に正気の目に戻ったユミルがそもそもだ、と妙に落ち着いた声で訴えた。 「そもそもゴリラが女神の純潔を奪っていいのかって話だ」 「許せないね」 「許せませんね」  思わず本音が出てしまった。  険しい目付きで頷いているミカサに空いた皿を渡した瞬間、今度は当の女神のほうに着火した。 「ライナーはゴリラじゃないもん!」 「あ、そっち?」  純潔うんぬんを暴露された件はいいのか。  息巻くクリスタを今度はユミルがたしなめる。 「クリスタ、お前は酔ってるんだ。あれはゴリラだ」 「酔ってるけどゴリラじゃないよ!」 「え」 「えっ」 「え? 酔ってんの?」  目下クリスタはジンジャエールしか飲んでいない。  物理的にノンアルであるはずの人間がなぜ思考面にアルコールが紛れ込むのか謎だ。女神は女神であって人間の理屈が通用しないのかもしれない、と思考を巡らせるアニは、こちらはもちろん真っ当に酔っていた。 「みんな二言目にはゴリラゴリラって、ライナーはそりゃあ大きいけど、優しいし、頼りになるし、安心するし、みんなのことも私のこともすごく大事にしてくれて」 「待った、待ったクリスタ、あんたの隣で壁が突破されそうだ」 「まずいですよ、明日あたり進撃しにいくやつですよ」 「とばっちり食うの私とベルトルトなんだから」  非常に理解に困る話だがクリスタは本気で酔っているらしかった。彼女の手元のジンジャエールはもしかしたら自分の知っているジンジャエールとは違う物質なのかもしれない、とアニは危惧する。 「ユミルだって!」 「なんだよ」  メニューを手にしたままのサシャにひとまず水を注文させた。その間にクリスタはこともあろうに一触即発のセコムに絡み始めている。 「ユミルだってベルトルトに可愛い下着姿見せたいって思うでしょ! それと同じだよ!」  こちらサイドにちょっとした絶望感が漂った。なんというか地雷が多すぎてすごい。どれが爆発するんだろう、とアニは一種の好奇心すら抱いた。  しかし当のユミルはシニカルに笑うだけだ。残念だな、となぜか得意げである。 「私は部屋じゃつけない派だ」  こいつ何言ってるんだろう、とアニはあまり量の減らない白桃サワーを煽った。 ***  ところで先の連休でユミルとベルトルトは旅行に行ったらしい。アニはその話をベルトルトのほうから聞いたのだが、その間留守にするから、という程度で、どこに行くとか何をしに行くとかは特に聞いていない。 「ユミル、寮でならともかく、まさか……!」 「だけどつけてねえとベルトルト怒んだよな」 「当たり前だよ!」  店員が水とそばめしを持ってきた。まず何より先にクリスタに水を回して、話題がぶっ飛び始めたユミルにも一応水を与える。 「この前の連休で旅行いったんでしょ。その時の話?」 「旅行なんて行ってたんですか。なんだかんだいって仲良いんですねえ」 「あ? 言っとくけどお前らが思ってるような観光していい感じの旅館に泊まってとかじゃねえからな。あいつがなんか知らん雑草の写真撮るのに付き合って民宿に泊まっただけだ」 「民宿」  アニは感情の処理に困った。華の大学生が、それもカップルが、旅行で民宿ときた。もともとぶっ飛んでいるベルトルトだがそれはひどい、とユミルに対していっそ申し訳ない気分になってくる。というか雑草の写真ってなんだ。 「それって写真が趣味なんですかね、雑草が趣味なんですかね」 「どっちにしてもネクラだよな」 「民宿っていうのがまた」  よもや合宿と呼んだほうが近い気がする。  とりあえず帰ったら説教でもしようとアニは心に決める。ライナーに報告して作戦会議を広げるほうが先かもしれない。 「ユミル、民宿で、ノーブラ……?」 「部屋でだよ部屋で」 「そうじゃないよ! 怒るよ!」  完全にポストセコムが立ち代わっている。しかしクリスタのそれはユミルとは違って非常にわかりやすく真っ当だ。  ミカサが物欲しげな顔をしていたのでそばめしをよそってやった。サシャはとっくに自分の取り皿に分けていたので、アニは向こう側はいいかと判断して自分の取り皿にそばめしをよそう。 「だいたいなあ、つけるほどの胸じゃねえだろ」 「ユミル!」 「まあ聞けよクリスタ。同じことをベルトルトにも言ってやったんだよ。そしたらあいつ、じゃあユミルはつけるほどのものじゃないからってiの点もjの点もつけないのかってマジレスしてきやがってな」 「あいつ何言ってんの?」  しかしそれをマジレスと捉えるユミルもどうだ。 「ぶっ飛んでますね」 「だろ? そもももiに点なかったらlじゃねえか」 「そういう話?」 「点のないjは何になるのだろう……」 「ただのくるんですね」 「なんでもいいよ」  黙ってそれ食ってな、とアニはそばめしの取り皿を示す。ミカサは不服げだったが大人しくそばめしを食べ始めた。たまに口を開いたと思ったらこれだ。  一方のユミルは、ひとまずと言うべきかようやくと言うべきか、セコムの件から幾分落ち着いたようだった。 「だから私は部屋でもブラをつけることにした」 「ああ、うん、よかったね」  脈絡がもう思い出せない。思い出せたところで理解できる気もせず、何より彼女らの今後が不安でならない。 ***  クリスタのほうも水を飲んでそこそこ落ち着いたらしい。あるいはユミルがブラをつけることで溜飲を下げたのか、いつも通りの女神然とした様子である。 「そういえば、私、サシャの話も聞きたいな」 「わたひれふか?」  口に物を入れたまましゃべるな、という突っ込みも、すでに無意味と知っているので気力を節約することにした。アニは黙って自分のそばめしを食べる。 「好きな人がいるって」 「ああ、言ってたな、そういや」  サシャが一生懸命口の中のそばめしを咀嚼して嚥下する。律儀だ。 「いますよ、ふつうに」 「あんたに普通って言われると悟り開きそう」 「で誰なんだよ、やっばりコニー?」  こくりと青いカクテルを煽ったサシャが、窺うように身を乗り出してきた。やけに神妙な顔つきである。 「……やっばりわかります?」 「——いや、わかるっつーか……」  ユミルの目が泳いだ。どうやら動揺しているらしい。気持ちはわからなくもない、というか、アニのほうもいくらか動揺していた。消去法だなんて口が裂けても言えないが、まさか本当にコニーだとは。まだジャンだとか言われたほうが驚き甲斐があった。 「こういうのってちょっとはこう、フラグの予感っていうか、察したりするじゃないですか。コニーって全然なんですよね、鈍いっていうか」 「お前に鈍いって言われんのもさぞかし不本意だろうな」 「私なんて芋呼ばわりですよ」 「だからだろ」  不毛な応酬を繰り広げる脇でクリスタが納得いかないような顔をしていた。かと思うと、言っちゃえばいいのに、と突然飛躍する。 「サシャ、コニーに言っちゃえばいいんだよ! きっとうまくいくよ!」 「こくはくってこと? でも二人が付き合うことになったら私三日くらい胸焼け感引きずりそう」 「ああ、なんとなくわかるよ。ナウシカの原作のあの読後感みたいな感じだろ」 「ちょっと違う」  あんな壮絶なストーリーは間違いなく描かれない。それに原作の件はたしか五日近く引きずった。  クリスタは目的と違う方向に話がずれたせいか、ユミルの隣ですでにふくれ面である。ふくれ面も相当かわいい。ゴリラは爆発すればいい。 「二人とも、サシャいるのに」 「あ、でも、こくはくとかそういうのは、私もちょっと」 「何それ」  そばめしを掻き込みながら言われるとなかなか説得力がある。 「別にコニーと手繋ぎたいとか、そういうのは特にないんですよ。ぞっとします」 「お前それ暴言」 「でもコニーが、私じゃない子と付き合って、私じゃない子と馬鹿やってレポートに詰んで、とかやってるの、嫌なんですよね」  端からすれば非常にわかりやすい独占欲に聞こえるが、本人にとってはそれとも少し違うらしい。わかりづらいなあ、とアニはきゅうりをかじる。 「どのみちコニーが困るの目に見えてるので告白はしません。今のままでいいんです」 「ふうん。なんかミカサと似てんね」 「あー、そうですねえ。同志ですねミカサ!」  ミカサが一瞬たじろぐような顔をした。 「わ、私は、サシャみたいに、自分のこともよくわかっていない、から」 「エレンは家族ってか?」 「そう……」 「でもミカサって、エレンに女の子近付くと怖いよね。あれって私、やきもちなんだと思ってたけど」 「う、うん……」  ミカサは歯切れが悪い。細かいところの感情移入は到底してやれないが、幼馴染みって難儀だな、とアニはぼんやりと同情した。アニのところの幼馴染みはそのあたりを完全に割り切った過保護である。ひょっとするとそれも悪影響なのかもしれない。 「要はエレンからぐいっといきゃ話は早いんだろ?」 「いや無理でしょ、あの鈍感というか、野暮」 「エレンを愚弄するな……」 「ミカサ箸置け」  それは人を刺すものじゃない、とユミルが噛んで含ませる。応戦する気も起きず、アニは殺気を横目に電子メニューをサシャに要求した。甘いものが食べたい。  甘いほうに惹かれたらしいミカサが箸を構えたままメニューを覗き込んでくる。バットマンで爆笑された身としてはいつかミカサのスーパーマンで笑い返さねば気が収まらないわけで、早くなるようになれよ面倒くさい、とアニは悪態にも似た願望を胸中で吐き捨てた。
よそ(しぶ)で初めて会話文を褒めていただいたのがこの作品で、自分の持ち味ってこれじゃねと気づくきっかけになった作品でした。くるんはわたしも気に入っている。

back