ブレス
 荒々しい発砲音が訓練場の湿気た空気を震わせる。  無機質な空間に確認できるのは見知った背中である。間断なく上がる重たい銃声はなんだかやぶれかぶれにも聞こえ、それがいっそう刺々しく鼓膜に突き刺さるようでジルは顔を顰めた。今さらこの男が躍起になって射撃の精度を高めようとしているとは思えない、おそらく訓練が目的ではなかろう。 「ここ空気悪くない?」 「ジル」  ジルに気づいたクリスがイヤーマフを外しながら振り返る。目が合うなり彼の視線が和らいだ、ということはマンターゲットに据えられた視線は相当剣呑だったに違いない。他に人がいないのはおそらく彼に配慮してのことだ。配慮というかおそれてというか。 「あなたってこういうところほんと変わらない」 「こういうところ?」 「感情的になると自棄っぽくなる感じ。昔よりは落ち着いたけど」 「君だってかなり荒れてたぞ、復帰したての頃」 「あれは感情的とはちょっと違う」  クリスが物言いたげに目を細める。復帰直後、まさにこの場所で交わされたやりとりを指しているのだろうが、その頃の状態に関していえば感情面ではなく考え方の問題のほうが大きい。それを今議論するつもりはないが。  ジルはそしらぬふりをして受け流した。 「それで? 苛立ってる? 落ち込んでる?」 「その二択なら前者だな」 「そう? あなたの部下は落ち込んでたけど」 「俺はあいつらよりはタフだ」  ジルは思わず笑ってしまった。取ってつけたような台詞だ、まるで自分に言い聞かせるような。  今回の任務で彼のチームの隊員がひとり犠牲になったと聞いている。それをジルに伝えたのはクリスの部下だったが、聞いてもいないのにクリスが射撃訓練場にいると教えてくれたのもまた彼らである。遠巻きに心配されていることも気を遣われていることもクリスは知らない。  目をすがめたクリスが、今の答えじゃだめか、と問うのでジルは首を傾ける。 「だめじゃないけど。あなたふつうに打たれ弱くない?」 「言うだけなら自由だろ」 「自覚あるんじゃない。私相手に強がりとかやめてよ」 「強がりというか」  言いさしたクリスが言葉を探すように視線を浮かせた。この時点ですでに言い訳じみている。彼の言葉を待ちながら、口下手なところも大概変わらない、とジルは別のことを考えている。 「……わからない」 「そんな感じだと思った」 「違う、本当にわからないんだ」  クリスは大きく息をつくと、降参をするように両手を広げてみせた。 「自分が落ち込んでるのかもよくわからない」 「ああ……」 「なんだそれは」 「相槌。ほんとに麻痺してるって思って」 「説得力あるだろ」 「そうね、今あっても意味ないけど」  思えばあのとき、ピアーズという大事な部下の話を過去のことと割り切って語る姿も、結局のところとうに麻痺していたと言えるのだろう。悲しいことも悔しいことも本当だろうに、いつの間にか彼は友人の死を静かに受け入れるようになった。  ジルの生存を諦めきれずにアフリカにまで乗り込んだ男がである。  彼はたしかに年を取り、少しずつ疲弊している。 「あのとき、ピアーズって部下の話をしてくれたでしょう、後継者にって」 「ああ」 「引退するつもりだったの?」 「そのつもりだった」  結局まだ戦ってるが、と彼は肩を竦める。  戦い続けることと戦いをやめること、その選択がすでに彼ひとりだけのものではないことをジルは知っている。たくさんの犠牲といくつかの幸運の上に立っているのが自分たちだ。託された意味とその意志を知るからこそ、遺された者は進むほかない。 「英雄だものね」 「君もな」  クリスは乾いたふうに笑った。自嘲のようだった。 「……戦いをやめることは逃げだと思うか?」 「いいえ? 私だってあんなことがなかったら今ごろ引退してる」 「それはそれで嫌だな」 「面倒くさいわね」  けれど、漠然と、彼が戦うかぎり自分も戦い続けるのだろうとジルは思っている。彼だってそうだ。戦う意味を探せばそのどこかに互いの存在がある、そういう肩の並べ方をしてきた。  したがって彼も自分も戦っている今、なんとなく引退の話が他人事になる。 「あなたが戦いをやめるのも想像つかないけど。引退してたら今ごろ何してた? 家庭を持つとか?」 「俺がか? 本気か?」 「似合うわよ、女の子口説くのは下手そうだけど。良いパパになれると思う」 「なれるかな」  皮肉かジョークかと捉えたクリスが受け流すので、もちろん、とジルは迷いなく断言した。 「あなたはとても愛情深いから」  彼の本質はおそらくそこにある。  不器用なところは変わらない。  寡黙なところは変わった。  落ち着いている風体で正義感は昔のまま。  同胞に対して少し過保護になったか。  彼をあらわすいくつもの言葉に隠れて目立たないが、クリス・レッドフィールドの本質はずっと変わらないとジルは知っている。 「こんな仕事をしていて、チームや部下を家族と呼ぶなんて自分を傷つけるってわかってるくせに」 「……なくすことが当たり前だと思いたくないんだ」  今回犠牲となった隊員はクリスを庇ったことで怪我を負ったという。もちろんそれがすべてではないだろうが、生還を果たせなかった原因のひとつとなったことは間違いない。 「守りたかった」  ぽつりと落ちた声は寂寥に満ちていた。それはかつて死なせたチームメイトへの言葉であり、そしてピアーズという特別な部下に向けた言葉でもあっただろう。この男が背負うものは増える一方だ。  あるいはジルへの言葉ともなり得る。  ジルは鼻を鳴らした。 「最近クレアとも話してたんだけど」 「わからんが十中八九俺への愚痴だろ」 「愚痴っていうか。あなたが年々過保護になってるって」 「愚痴じゃないか」  愚痴だけど、とジルは笑う。クリスが口を曲げるので本当のことでしょ、といなした。 「私もクレアもあなたに心配されるほどやわじゃない、まして守られるつもりもないし。あなたの部下だって絶対そう」 「わかってるよ、結局いつも俺のほうが守られてる。英雄なんて名ばかりだ」 「卑屈にならないでよ。ていうかそういうの弱音って言わない? 部下をなくして落ち込んでるって認めるならハグでもして慰めてあげる」  どうする、とおどけて両腕を広げる。クリスは二度ほど瞬きをすると、ふいに諦めたように目を伏せた。  認める、と息をつくように笑う。 「ハグしてくれ」  そう言うくせに抱きしめてきたのは彼のほうからだった。  なにかを答える暇もなく強く抱き寄せられる。ジルの体に回された逞しい腕は思いのほか力強く、遠慮のない重圧にすこし息苦しさすら感じた。彼らしからぬ強引な抱擁。言いだしたのは自分であるはずなのに、面食らったジルは腕を回すというハグの動作を数秒忘れた。 「クリス、苦しい……」 「すまん」  謝罪も口だけで彼の腕が緩む気配はない。  分厚い体から彼の呼吸が、体温が、じかに伝わる。ジルはようやくクリスの背中に腕を回した。色っぽい熱はそこになく、なんだか彼が縋りつくようなので受け止める、そんな感触だった。  たくましい腕はこういうときに不便そうだ。  彼が時おりもどかしそうに力加減を試みるので、ジルはたまらず噴き出した。 「壊れないってば」 「苦しいって言ってただろ」 「びっくりしただけ。やわじゃないって言ったでしょ」  かわりにジルのほうがクリスを思いきり抱きしめる。  強いな、と彼が笑った。すこし泣き出しそうな声にも聞こえた。この男が過保護を見せるのはきっと強靭さゆえの孤独を自覚し始めているからだろう。ほんとうに打たれ弱い男だ。  背中に回っていた大きな手がふいにジルの頭に触れて、にわかにふたりの抱擁が形を変えた。クリスが頬をすり寄せ、ジル、と掠れた声で名前を呼ばう。 「……大丈夫」  ジルはそっと息を吐き出した。  ともすれば体に熱がともる。どこか不安定で少しこわい。同胞を慰めるハグから特別だと訴えるようなハグへ、その境目はあやふやで抱く感情を見極めることもできない。それでも大丈夫だと。どちらでも変わりやしない筈だと。 「大丈夫よ、愛してるから」 「それは君なりの慰め方か?」 「私が落ち込んでる時も愛してるって言ってね」 「ややこしいリクエストだな」  元気になるでしょ、とあやすようにその背を叩く。クリスは笑って、なった、と今度こそ力いっぱいにジルを抱きしめた。
(2023/08/23)

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