プライベートポータル
 帰宅するなりジルがカウチに撃沈した。  うつ伏せに沈んだ痩躯はそれきりぴくりとも動かない。まあそうなるよな、とクリスは力つきた彼女を眺めながら心から同情していた。  ここしばらく仕事が立て込んでいたと聞いた。というか、考えてみれば月末である。クリスはおおむね実地に駆り出されていたため難を逃れていたが、彼女はその間もデスクで書類と戦っていたのだ。クリスにしてみればチェーンソーを振り回すプラーガアンデッドなどより書類のほうが頭を抱える代物だ。彼女はさすがにそうとまでは言わないだろうが、この消耗ぶりを見ればどれほどの修羅場だったかは想像がつく。いや、チェーンソーはチェーンソーでさすがに腹をくくったが。  少し考えて、おそらく手がかかると判断し、クリスはまず自分の着替えを優先した。部屋着になりながら夕飯を作ってしまうほうが手っ取り早いかと策を講じる。作ってしまえば彼女もしぶしぶ起き上がるかもしれない。 (——無駄だな)  クリスは早々に答えを弾き出した。この状態の彼女が空腹について一言も訴えてこないのだから重症だ。  改めてカウチへと足を向ける。うつ伏せでのたれている彼女の肩に触れ、起きていることを願いながら腰を屈めた。 「ジル、このまま寝ると余計に疲れるぞ」  くぐもった応答が聞こえる。予想はしていたが動く気配はなく、つまり、意識はあるが意識を手放してしまいたい、という状態であろう。クリスはやれやれと息をつく。 「寝るにしても着替えたほうがいい。あと化粧落とさないとまずいんだろう? 夕飯はいいか?」  と、おもむろに彼女の頭がもぞと動いた。顔を上げるだけでも億劫な様子である。どうにかクリスを見上げた彼女は、その甲斐なく落ちてきた瞼に負けて再びカウチに沈んだ。 「……うごきたくない」  だろうな、とクリスは諦めて彼女の髪をくしゃりとやった。  立ち上がってバスルームへ向かう。男の一人暮らしの部屋だというのにすっかり定位置を確保しているクレンジングシートを手に取り、シートを一枚だけ抜き取ってきっちり封をした。補充するのはジルだったりクレアだったりとまちまちだが、女性は大変だな、とクリスはいつも舌を巻く思いである。一度ジルに、充分綺麗なのだから、という小っ恥ずかしい前置きを端折って、必要ないだろう、と告げたこともあるが、色々あるのだとあえなく一蹴された。よくわからないが色々と大変らしい。  その結果たまにこうして匙をぶん投げるジルであるが、リビングに戻ってみると彼女は仰向けになっていた。うつ伏せが苦しかったと見える。だからここで寝るなと言ったのに。 「ほら、ジル、まだ寝るなよ」 「冷た」  顔にシートを乗せると彼女の手がしぶしぶ伸びてきた。体こそ起こす様子はないものの、ひとまずメイクを落とす動きを見せたジルを見届け、クリスは今度は彼女の着替えを用意する。  疲労困憊のわりにシートの残骸は見事にゴミ箱に収まっていた。狙いなど定めにくい体勢であろうに、ぶれないシュートを決め込むあたり可愛げのない職業柄である。 「着替え持ってきたぞ。起きれるか?」  顔を覗き込むと瞼が重たそうに開かれた。少し腫れぼったいと言っていたから間違いなく酷使しすぎだ。  背中に腕を回して上体を起こす。彼女の膝に着替えを置いて、目元を擦る手を掴んでやめさせた。あどけない仕草がなんだか可笑しい。  ほつれた髪をほどいてくしけずる。気持ちよさそうに身を寄せてきたジルがそのままキスをしてきたので、クリスは普通に面食らってしまった。 「……相当疲れてるな」 「ええ、もう、駄目」 「もう少し頑張ってくれ。着替えるだけだ」  まぶたにキスをして、あとは頑張ってくれることを祈ってクリスは寝室へ向かう。彼女がすぐに潜れるようベッドを適当に整えてから、自分もそのまま寝てしまうことにして戸締りを済ませた。  リビングに戻る。つい先刻まで彼女が身に付けていた衣服はソファの足元で脱け殻となっていた。当の彼女はと言うと着替えたシャツの中で何やらもぞもぞとやっている。やがて裾から見覚えのある下着が放られ、そのまま脱け殻の上に落下した。  さすがに目眩を覚えたクリスである。再び横になってしまいそうなジルを制止しながら、ひとまず見なかったことにするという暫定措置を取った。 「着替えたわ、クリス、もういいでしょ」 「ああ、まあ、いろいろあるが明日にするよ」 「頭がいたい……」 「君はいつも根を詰めすぎなんだ。薬飲むか?」  いらないとジルが首を振る。クリスは彼女の痩躯を抱き上げてベッドへと向かった。  頑張りきった彼女の頭が肩口になついてくる。その頭に頬を寄せて労いながら、クリスは噛み締めるように欠伸をひとつした。  ベッドに優しくジルの体を下ろす。すでに微睡みに意識を委ねている彼女にシーツを掛けてやり、クリスはリビングの電気を消しに踵を返した。  消灯する前にジルの脱け殻を畳んでソファに置く。下着は畳んだ衣服の合間に挟んでおいた。ここで一息。  彼女のお守りを全うした途端に急激に頭が重くなってきて、シャワーくらいは浴びる予定だったが見送ることにした。大人しく消灯して寝室に戻る。  ベッドではすでにジルが寝息を立てていた。化粧を落としてみると血色の悪さが際立ち、クリスは苦々しい気分で白い頬を撫でる。何度苦言を呈しても彼女は無理をすることと張り切ることの線引きを覚えない。一度本格的に体を壊さないとわからないのだろうな、と自分を棚上げにしたところで再び欠伸がこぼれた。  彼女の隣に潜り込む。やわらかい体温が重たい脳をじんわりとほぐし、ひとつ息をつくと一気に睡魔が瞼にのしかかってきた。 「おやすみ、ジル」  眠たいキスを額に落として腕を回す。シャワーを横着したことについて文句を言われること請け合いだが、それはそれ、もう全部明日にしてしまおうとクリスは目を閉じる。文句を言うとか機嫌を損ねるとか、そうやって彼女がいつも通りを取り戻してくれるのならそれに越したことはなかった。
(2014/09/23)
血液型での性格づけがメジャーでないのは重々承知なんですがジルがB型ってのは個人的になんかグッとくる。特定の相手にのみ自由に振る舞ってほしいというベタなやつ。

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