Vivid
 化け物にまみれた三隻の豪華客船が沈んでから半月、ヴェルトロの一件は世間的には落ち着きを見せてきた頃だった。  それもそうだろうな、とクリスは他人事のように忙しい。世間から見えるのは、BSAAの活躍によるヴェルトロの壊滅とFBCの失墜、という一文である。調査中はまったくそれどころではなかったが、終わってみれば、たしかに取り沙汰しやすい構図ではある。  BSAAの功績が称えられる一方でトップは入れ替わり、失墜したFBCを吸収したことにより組織は肥大化、新たな体制の模索のさなかでクリスはまったく落ち着きが見えずにいた。もちろんバイオテロだって待ってはくれない。一刻も早く組織を安定させなければ、という焦燥感は日ごと増す一方だ。  何より頭が痛いのはデスクに増え続ける書類の山である。  本格的に痛み始めたこめかみを無視して資料室に向かっていると、エレベータを降りたところでジルと行き合った。 「あら、クリス」 「やあ、相変わらず忙しそうだな。会議か?」 「ええ、定例会。形ばかりのね」 「……棘があるな」 「あなたこそこのフロアにいるなんて珍しいじゃない。そっちも会議か何か?」 「いや、資料室に」  並んで歩き出す。調べることが多くてかなわんと愚痴ると、ふいにジルが歩調をゆるめた。気を向けたクリスとの距離をやや縮めて、調べることと言えば、と声のトーンを落とす。 「ジェシカの足取りは?」 「断定はできんが、カフェでの目撃情報があった。赤毛の男との逢引だったらしいが、どう思う?」 「赤毛って……」 「まったく、どこのどいつが何重スパイを担ってるんだか俺にはさっぱりでな」 「だけど踊らされて終わりだなんて面白くないわ。私もあちこち探ってはいるんだけど」  もうひとつ、彼女が行方を諦めていない男がいる。物騒な客船で彼女と行動を共にしたパートナー。正直なところ生存は絶望的で、本人だってそれを覚悟した別れで、彼女は何も生存を信じて探しているわけではない。せめてドッグタグの欠片でもと、戦場を共にした彼女なりの誠意に違いなかった。 「俺のほうも手応え無しに近い。それと別件でスペンサー卿の――」  ふとクリスは言葉を切った。見下ろしたジルの顔が思った以上に白い。  足を止めると彼女も倣って足を止める。不思議そうに見上げてくるその白い頬に、クリスはそっと手を添えた。 「ちゃんと休んでるか?」  ジルがむっと口を閉ざす。まるで夜更かしを見つかった子供のようだ。 「あなたに言われたくない」  反射的に顎をひかせたジルに、それでもしつこく心配しているのだと目で訴えると、根負けした彼女が強情の糸をほどいた。はあと諦めの溜め息をつく。 「……大丈夫よ。本当に。倒れたら元も子もないもの。あなたこそ休んでる?」 「俺はタフだからな。見ての通り」 「私だってタフよ、あなたが一番わかってるじゃない。人の心配ばっかりして、あなただって――」 「おいおい、廊下のド真ん中でイチャつくなんて堂々としてるな」  突然声が割って入った。  クリスは驚いて振り返る。聞き覚えのある声だ。皮肉屋を気取る言い回し、イタリア系らしいおおらかな声、感じ取ったものはジルも同じようで、振り返った彼女の瞳が大きく見開かれる。 「パーカー」 「久しぶりだな」  パーカーは両手を広げて鷹揚に笑っている。記憶より少し痩せたように見える彼のもとへ、ジルがまっすぐに駆け寄った。 「パーカー!」 「うおっと、お前そこらの女よりタックルの威力あるんだから配慮してくれよ」  これでも病み上がりなんだぜ、と言葉に反する表情でパーカーがジルを受け止める。実にほほえましい光景であった。半月分の疲れも吹き飛ぶほどの感情を噛み締めながら、クリスもゆっくりと足を向ける。 「無事で何よりだ、パーカー」 「ああ、俺もまさか生きて帰れるとは思わなかった。こいつのタックルまがいのハグなんて可愛いモンだな、最悪殴られるかと思っ」  殴られた。  え、と和んでいたはずの空気が一転する。当の彼女はすでに二発目の体勢である。  クリスは慌ててジルを羽交い締めにした。 「――待て、ジル待て、落ち着け!」 「離してクリス! 一発じゃ気が済まないのよ!」 「だからってぐうはだめだ! ぐうは!」  彼女の得意とする体術は華麗なる足技である。けれどだからといって鉄拳の威力が控えめかといえばそんなはずがない。ゾンビに始まりわけのわからぬ化け物を散々追い払ってきた屈強なる拳である。現に巨漢ともいえるパーカーは、目下ぐうの衝撃で喋れずにいる。 「パーカー無事か! 逃げろ!」 「人をゾンビか何かみたいに言わないで!」 「――ふッ」  突然パーカーが笑い出した。え、とクリスはたじろぐ。もしやグーのせいでネジが飛んだのでは。同じく毒気を抜かれたらしい彼女が腕の中で大人しくなっていて、クリスはひとまず彼女の拘束を解いてやった。 「パーカー?」 「いや、悪い、元気そうで何よりだ。お前ら普段からそんなことやってんのか?」 「それじゃ俺の身が持たんだろ……」  脛のあたりに強烈な蹴りが入る。クリスは声もなくうずくまった。 「パーカー足は? あそこからどうやって? 本当に馬鹿な真似……!」 「まあ話すと長くなるんだ。足は絶賛リハビリ中さ」 「リハビリ――」 「ああ。俺はまだ戦うぜ。お前らと一緒にな」  大きな手がジルの肩に触れる。パーカーはそのまま、うずくまるクリスにも目を向けて、似合わないが憎めぬウィンクを寄越した。 「ジル、俺はあの時のことを馬鹿な真似だなんて思っちゃいない。お前らは進むべき人間だ。たとえ誰かの死体を、俺の死体を踏み越えてでもな」 「パーカー」  軽い口調とは反する真摯な瞳だった。彼の本質をとてもよく映し出している。  クリスはようやく立ち上がって、言葉を探しあぐねているジルの肩を叩いた。理屈と感情と、その摩擦を、彼女はいつだって無理に飲み込んでいる。飲み込むしかない残酷さをよく知っている。クリスは時折、その聞き分けの良い心が痛ましく思えてならない。 「ジル、会議はいいのか? 時間は?」 「……いけない!」  腕時計を見たジルが慌てて顔を上げる。 「パーカー、このあと時間はある? 会議が六時までなの、そのあと――」 「ああ、俺は今のところ精力的に足を動かすくらいしかやることがないんだ。メシなら俺が奢るぜ。早く会議行ってこい」 「ありがとう」  微笑んだジルがファイルを抱え直しながら去っていく。疲弊の滲んでいたはずの背中がどことなく気力を取り戻しているようで、人のことは言えないが、現金なものだとクリスは苦笑を滲ませていた。 「クリス、お前もどうだ、このあと?」 「いや、遠慮しておくよ。仕事の話になりそうだ」 「余裕だな。仕事以外の話を二人きりでしても構わないってか?」 「そういう気があるなら受けて立つがな」 「ハハハ。言ってみただけだ」  相変わらずである。  元気そうで何よりだ、とクリスは彼の肩を叩いた。 「その前に手当てしたほうがいいな、それ」 「ああ……、相変わらずたくましいな、あいつは」  パーカーが殴られた頬をさする。長い付き合いだが彼女の拳を食らった経験は幸運にもまだなく、クリスはその威力に思いを馳せて改めてぞっとした。 「あの客船でもずいぶん世話になった。あいつの実力もそうだが、あのタフな気概にな。本当に頼りになる奴だった」 「パーカー?」 「足が治ったら復帰する。本部からお呼びがかかった」 「――そうなのか」  おめでとう、とクリスはねぎらった。返事のかわりにパーカーは口端を軽く上げる。戦線をともにくぐり抜けた同志が支部を離れていくことへの、かすかな感傷が内側で燻った。ジルもきっと淋しい顔をするだろう。 「短い期間だったが、あいつのパートナーって肩書きも返上することになるな。返す先はお前で間違いないか?」 「俺でいいのか」 「お前しかいないだろ」  パーカーはわざとらしく肩をすくめた。 「しかし、あいつ、おまえの前だとただの跳ねっ返りだな。昔からあんななのか?」 「……いや、まあ、落ち着いたほうだ」 「そうか。せいぜい甘やかしてやってくれ」  彼はシニカルに笑う。見透かした口ぶりが可笑しかった。  クリス自身、ことあるごとに彼女を甘やかしたがる傾向については自覚がある。おそらく過保護すぎると言われるくらいが丁度いいのだろう。 「悪いが管理部にも顔出さなきゃならねえんだ。そろそろ失礼するよ。今度改めて飲もうぜ」 「ああ、ぜひ」  クリスは片手を上げて、すでに違和感のない歩行を見せるパーカーの背を見送る。  彼女の拳が何よりの甘えの証拠だなんて、おそらくパーカーのほうも承知の上だ。口にするだけ野暮なことは間違いない。  クリスは妙な親近感と頼もしさを胸の内で噛み締めながら、彼女と同様、気力を取り戻した頭で資料室に向かった。
(2013/12/22)

back