うら恋う徒花(1)
その色の意味を乱歩だけが知っている。
彼女のくちびるを彩る紅の色合いを確認して乱歩はソファに寝そべる。普段の口紅よりも少しだけ薄い色のそれ。他の社員はどうせ気づかないか気づいても気分かメーカーを変えたか程度の認識であろう。乱歩だけは違う。その色を選ぶ日に彼女が定時に帰ることを知っているし、明日彼女と一緒に帰ることもこの時点で決まる。それは彼女との決め事ではない、幾度か声を掛けて声を掛けられるうちにいつの間にか定着していたことであった。
定時を五分過ぎた。医務室を閉じた彼女は、先に失礼させてもらうよと事務所の面々に声をかける。乱歩の目に狂いはない。
「おや、今日はお早いですね、女医」
「ああ、人を待たせてるンでね」
「そういえば先刻うずまきで殿方に声をかけられましたわ。探偵社は今日は立て込んでいないかと」
「ふふ、忙しかったら来るだけ無駄だと云っておいたんだけどね」
口を押さえたナオミが目を輝かせて兄に抱きつく。どんな方なんですかと賢治まで食いつく始末で、与謝野はそういうのじゃないよと笑いながら受け流した。お盛んですねと太宰が余計な口を挟んで与謝野に足を踏まれ、それすら楽しんでいるような男を国木田に押し付けて彼女は時計を見る。
「もういいだろう、アンタらもさっさと仕事片付けて帰りな」
「ああ、引き止めてしまってすみません」
「お疲れさまです」
口々に挨拶を交わし、いよいよ与謝野が帰ろうとしたところで互いの視線がまじわう。乱歩はにいと口端を上げた。
「じゃあね、与謝野さん。――また明日」
「ああ、また明日ね、乱歩さん」
与謝野がわらう。いつもと少しだけ違う色のくちびるで笑う。
乱歩はうっそりと目を細めて閉じる扉を見届けた。
***
恋とはどんなものかしら、歌うような彼女の言葉が発端だった。
乱歩はその答えを持っていた。まあ悪かないよ、という乱歩の言葉に彼女は目を瞬かせて、まさかアンタが知っているとはと失礼極まりない感想を述べた。人間離れした脳味噌を持っている自分も一応まだ人間をやっている。
恋に恋する乙女のような台詞がまさか彼女の口から出てくるとは思わず、何かあったのかと問うたが彼女は肩を竦めただけだった。
「寂しいんだ?」
その時言い当てたそれは乱歩にしては珍しく推理とはかけ離れたフローを辿って形成された。つまり経験則である。胸の内で無性に独りを感じる、その寂寥は乱歩もよく知っていた。さすがだねと意外そうな顔をするので君のことだからと付き合いの長さをひけらかし、図星かと問うと与謝野は難しい顔をして、近い、と煮えきらぬ答えを寄越した。
近いなら近いで別によかった。ちょうどいいやと持ち出したのは乱歩のほうである。
「僕も似たようなものだし、どう、お互いつけ込んでみる?」
結局つけ込むことになってつけ込まれることになった。利害の一致だと言ったのは彼女だった気がする。少なからず酒が入っていたのも原因のひとつであろう。まったくもってろくでもない。
口づけはしないというルールを彼女はかたくなに守った。
自分なりのけじめだと言うが彼女の健気な意地にも聞こえて乱歩は気に入っていた。世間を知らぬ娘が口にしたところで興醒めだが、敵に鉈を突きつけ身内を切り刻む彼女の言葉となるといじらしくてたまらない。
かわりに白い肌へ口づけを落としていく。痕は残すなと釘を刺されているので一応それも守ってやる。くすぐったいと身を捩るので胸元に甘く噛み付いた。彼女はこらと言って笑う。
「ああ、そういえば昨日の男って誰?」
「臨時で手伝いに行った病院の麻酔医だよ。腕は良かった」
「腕の悪い麻酔医って存在するの」
「残念ながらね」
君も麻酔医雇ったら、と軽口を叩きながら形のいいふくらみを手で包んでその感触を堪能する。それじゃあたのしくないだろうと彼女は肩を震わせながら笑った。楽しんでどうする。愛らしく色づく頂きを擦ると与謝野は目を閉じて甘い声をこぼした。
「で、どうだったの」
「ん……?」
「昨日の」
「食事に行っておしまいさ」
「与謝野さんて身持ち堅いんだか緩いんだかわからないよね」
「妾には乱歩さんだけだよ」
随分な口説き文句だが彼女の声は完全に笑っている。健気だろう、とまでのたまうので乱歩はしこる先端に吸いついた。抑えそこねた嬌声があえかに上がる。
空いた手で太腿をなぞって秘部をかすめると彼女の腰が震えた。その気のない会話のせいか思ったほどは濡れておらず、乱歩は少ない粘液を指にからませていりぐちを撫でてやる。与謝野は輪郭のない声であえいで少しずつそこを潤ませた。
乱歩は思わず笑う。健気などと一体どの口が言うのだ。
「利害の一致って君が云ったと思うんだけど」
「ぁ……、ん、ふふ、そうだったっけね」
「というか僕とこんなことしてるから駄目なんじゃないの」
「ら、んぽさん、こそ……」
くぷと指を沈めると与謝野は眉根を寄せてすこし痛そうにする。やはり足りなかったか。乱歩は狭い膣内を極力やさしく探る。
「ッあ、らんぽさん、いた……ッ」
「あ、ごめん、爪切るの忘れてた」
「も、う……」
勘弁しとくれよと彼女は溶けた表情で口を尖らせる。彼女のルールさえなければ間違いなくその唇に齧り付いていただろう。男なんて本当に単純だ。
仕方がないので謝罪も兼ねてまなじりに口づけて、深くを抉らぬよう細心の注意を払っていいところを擦る。苦痛にならぬよう、ようやく溢れてきた愛液を纏わせて秘芯をなぶると与謝野は高い声を上げた。赤く彩った爪先でシーツを蹴ってからだを震わせる。もっと声を聞きたくてどうしても荒い手つきになってしまって、待ってという声も無視して責め立てると彼女は白い喉を晒して達した。ひくつく内壁が乱歩の指を食む。
「与謝野さん」
「ん……ッ」
「君が云いたいのは、僕に好きなひとがいてこんなことしてていいのかって話だろうけど」
「は、ぁ、……さすがだね」
「僕も結構この関係気に入ってるから」
お構いなく、とゆっくり指を引き抜く。その刺激に弱い声を上げて、いまだ呼吸も整わぬくせに、彼女は余裕ぶった笑みを浮かべて乱歩を挑発する。
「ほら、やっぱり利害の一致じゃないか」
「ていうか与謝野さんに得ある?」
「あるさ。余計なこと考えなくて済むからね」
「余計なことねえ」
「乱歩さんだって人肌恋しいときくらいあるだろう」
首を傾けた彼女の美しい髪がシーツに散る。乱歩は答えずに笑った。ほつれた髪に指を絡めて、恋しいのと問う。わざと触れるように自身を押し付けると、その熱を感じ取った与謝野が身を震わせた。
「そうさ、恋しくてたまらないンだ」
「君の嘘っていいね、便利だ」
「嘘も方便って云うだろう?」
早くとねだるので乱歩は一度身を離し、さっさと避妊具をつけて再び彼女に覆いかぶさった。気のない会話を挟んだにも関わらず彼女のそこはまだ熱く、押し入る乱歩にやわらかく絡みついて震える。ああこれだからたまらない、ゆるやかに腰を揺らすと彼女は掠れた声を上げた。
「嗚呼、本当、ひどい嘘つきだ」
乱歩はわらって彼女のからだを堪能する。彼女のほうもきっと同じだ。気の置けぬ同僚と、同僚と呼べぬ関係を持って、己が感情からいっとき逃れる。彼女か自分、どちらかが答えを見つけるまでの関係。乱歩さんこそ、と艶めかしく動くくちびるにそれでも口付けを自制する理性を留めながら、乱歩は限られた彼女との時間に溺れる。
(2018/06/05)
中途半端に2を書いちゃったので都合上1になりましたが本来続く予定はありませんでした。2を書いた時点では何かしらの構想があったのかもしれないけど欠片も思い出せない。