うぬぼれ屋の恩恵
 耳飾りのかたほうを失くしたと、慌ただしい朝のさなかに彼女が途方に暮れていた。  サイドテーブルからドレッサー、ベッドの下に洗面所とたしかに何やらうろうろしていたのだ。愛する友人たちに朝食を用意すべくニュートは一度トランクに潜ったけれど、彼女の様子が気になって結局スキンシップもそこそこに部屋に戻った。そうして上記の通り、耳飾りを紛失したというティナに出迎えられる。 「どうしよう、ニュート」  目下ニュートはトランクから上半身だけ生えている状態である。どうしようかな、と心許なく下がった眉尻を見上げながら、ひとまずトランクからの離脱は諦めた。 「どうしても片方見つからないの、ゆうべまで確かにつけてたんだけど」 「ああ、えっと、クイニーからもらったっていう」 「そう、――あなた意外と私のことも見てるのね」 「話逸れてないかな」  足にドゥーガルが絡みついている。蹴らぬようやんわりあしらう、彼女に向かって片手を広げる、脳が下したふたつの信号をニュートは冷静に処理した。 「君って僕のこと魔法動物オタクの朴念仁と思ってるみたいだけど、いやたしかに間違ってはいないけど、言っておくけど君のことだって見てるし話もぜんぶ聞いてる。――たぶん」 「すごく意外」 「すごく心外だよ。とりあえずトランクから上がっていい?」  伺いを立てるニュートをじっと見つめて、小さく息を吐いたティナがどうぞと一歩退いた。引っ張られた右足も無事回収してトランクを閉じて、それで、とニュートはようやくティナに向き直る。 「ないのは片方だけ?」 「ええ、一緒に外したはずなんだけどキッチンにもなくて」 「キッチン」  そうやって無造作なところで外すからなくすのでは、という台詞はすんでのところで飲み込んだ。朝から彼女の機嫌を損ねるのは本意ではない。 「そうだな、寝るときはつけてなかったし、ベッドに落ちてるとか、ああ、あとシャワー……」 「どうしてそう下世話なラインナップになるの」 「可能性の話だよ、下世話って言われるとこう、否定はできないけど」 「もういいわ」  ニュートはとうに自覚していたし彼女もようやく思い至ったようだが、どう考えても訊く相手を間違えている。  ごめん、と役立たずを謝罪すると彼女は困ったような顔をして、あなたが謝ることじゃない、と目を逸らした。八つ当たりに絡んだ後ろめたさもあるのだろう。 「十時の便で発つって言ってたわよね、慌ただしくしてごめんなさい、またしばらく会えないのに」 「いいんだ、君は仕事がんばって」 「見送りに行けたらよかったんだけど」 「離れがたくなるだけだから」  慣れぬ口説き文句にティナははにかんで、そうねと笑った。次のお土産は光らないものにして、と早々にくすねられたコインを引き合いに出して笑い合い、そうして、はたと互いに顔を見合わせる。 「ニフラー!」  声が重なった。トランクががたんと揺れて、弾みで外れかかったロックをニュートは慌てて留め直した。今飛び出されたところて話が散らかるだけだ。 「君の職場、遅刻の言い訳にニフラーって通用する?」 「本気で言ってる?」 「いや……、出発午後の便に変えるよ、捕まえてひっくり返しておく」  彼女の躊躇が空気から伝わる。自身のためにニュートの予定を狂わせることに抵抗があるのだろう、そこまでしなくても、とティナが口走るより早く、ニュートは大丈夫だからと制した。 「本当のところ夕方の便でも充分なんだ、君は仕事だから、他にすることもないし午前の便を予定してただけで」 「あなたって結構私のこと好きね」 「そうだね」  甘えることの下手な彼女のことだ。ニュートのあけすけな厚意にも手放しであとはよろしくとできぬティナに、こいつは僕の管轄だからとこちらの都合を添えて彼女の背中を押す。大事なものなんだろう、と念を押す。ティナはやはり困ったような顔をして、居心地悪そうに頷いた。 「お昼に抜けられそうだったら一度帰ってくる」 「無理しなくていいよ、必ず回収して置いとくから。メモも添えて」 「メモは別にいい」 「そう言わず」  下手な軽口を叩いて彼女の申し訳なさそうな空気を和らげる。ついでに笑ってくれたので少々得をした。時間はいいのと問うと彼女が小さな悲鳴を上げるので、気をつけて、とニュートは笑いながら彼女を見送る。 ***  頭上からノックの音がした。トランクは開いている。  時間を確認するとすでに昼を過ぎていて、どうやら本当に抜けてきたらしい彼女の生真面目さを思って我知らず破顔する。笑うという仕草は彼女たちと出会ってから格段に増えた。どうぞと返事をするまでもなくティナがトランクの中へ降りてきて、緩んだ顔を少し調整してからやあと彼女を出迎えると、相手は顰め面だった。 「……えっと」  怒ってる、とおそるおそる尋ねる。確認のほうが正しいかもしれない。ティナは否とも応とも答えず、中途半端に笑ったままのニュートの顔をじいと見据えた。 「ニフラーは?」 「ああ、ちゃんと取り上げたよ」  右のポケットを探るとピケットが内ポケットを示して、そうだこっちだ、と取りなすように笑って目的のものを手のひらに転がした。はい、と差し出した耳飾りを、けれどティナは受け取ろうともせずに難しい顔をして見つめている。 「ティナ?」 「考えてみて、ニュート」 「え?」 「ニフラーなら両方くすねたはずだわ。あなたのことよ、どのみち罪悪感に負けて白状してると思う」  違う、とニュートは直感した。怒っているのではない。思慮深くて真っ直ぐで時おり臆病な彼女の、それは逡巡の表情だ。ニュートの真意を測りかねて、どうして、と彼女の双眸はニュートに問うている。  負けた。罪悪感ではなく彼女にである。  ごめん、とニュートは片手だけで降参のポーズを取る。 「ごめん、君の大切なものを隠したのは僕だ。ニフラーじゃない」 「やっぱり」 「君を困らせるつもりはなかった、いや、実際困らせたんだからこんな言い訳もないけど、その、つい、別れがたくて」  彼女が受け取らぬ小さな装飾品をやむなく握り直して、ニュートはそろりと目線を落とす。口説き文句にもなりやしない、まるで駄々を捏ねるこどものような言い分だ。あまりに情けなくて彼女の顔が直視できない。 「発つ前に君の顔が見られたらって……本当に、あの、ごめん」 「ばかね、私が昼に抜けられなかったらどうするつもりだったの? 本気でメモ残してく気だったわけ?」 「そのときはこれを口実に君の職場訪ねてもいいかなって」 「よくないから」  勘弁して、とティナが頭を押さえた。ご丁寧に溜息つきである。降参に疲れてきた腕を下ろして、だよね、とニュートは自嘲する。 「二度としない、約束する、だからその――あまり幻滅しないでほしい」  今の自分はおそろしく間抜けに違いない。ばれないと高をくくっていたのだろうか、けれど彼女の言う通り、耳飾りを前にありがとうと笑顔を向けられたその瞬間、きっと自分は洗いざらい白状していた。そうとわかっていてなぜこんな真似を。彼女の抱く疑念をニュートも自身に向ける。  自問したところでそこにあるのは愚かで美しいひとつの答えだけだ。  彼女の顔が見たかった。それだけだ。 「ばかね」  先の言葉を繰り返す、彼女の声は先のそれよりもいくらかやわらかい。ニュートはおそるおそる顔を上げる。  ばかね、と今いちど噛み締めるようにつぶやいて、ティナは口元を綻ばせた。 「幻滅なんてしないわ、あなたの奇行なら正直慣れてるし」 「奇行」 「淋しいなら素直にそう言えばいいじゃない、こんな回りくどいやり方しなくたって」  躊躇うように唇を噛んだ彼女が、私だって、とかすかに声を落とす。 「私だって同じなんだから」  ひどい殺し文句である。  ニュートはたまらず彼女の腕を引いた。顔を覗かせるピケットを胸ポケットに押しやって、やり場のない衝動のままに彼女の唇をふさぐ。なに、と抗議に離れた唇を追ってもう一度重ねて、ぎこちない手が腕に縋るまでニュートは彼女の吐息を追い続けた。 「――な、んなの、急に」  平静を装って上擦る声が可愛い。いや、とニュートは意味を成さぬ言葉を返して、ほのかに色づく彼女の頬に触れた。 「君って結構僕のこと好きなんだね」 「……ああ、もう」  ぐいと胸ぐらを引かれてニュートは笑う。頭突きでもされるかと思ったがぶつかったのは唇で、勢い余って歯もぶつかった。彼女の手を絡め取ってようやく耳飾りを握らせて、ごめんと言うとニフラーに謝りなさいと叱られる。たしかにそうだ。謝罪のかわりにメモに残す予定だったありきたりな台詞を囁いて、顔を見たらいっそう別れがたいという誤算も見て見ぬふりをした。
(2018/12/09)

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