朝帰りロマンス
 刃傷沙汰に巻き込まれた百華数名が負傷したため数日の休暇を取らせた。物事の始まりなんて大抵そんな些細なものだ。  見計らったかのように厄介事が立て続けに発生し、慣れぬ人員で自警に当たる百華も怪我人が増えたり減ったりで人手が安定しない。その二週間ほど、月詠は揉め事に捕り物にと多忙を極めていた。  その日も夜遅くまでの仕事だったはずが結局夜を明かし、月詠は朝陽を横目にふらりとひのやに帰った。朝陽だなんて贅沢な、と感慨にふけりながら、とにもかくにも眠たくて仕方がない。  日頃働きすぎだ根を詰めすぎだと容赦のない日輪も、今回ばかりはさすがに溜息だけで済ませてくれた。さっさと寝なさい、と消耗しきった月詠を部屋に追いやる。よほどひどい顔をしていたに違いない。晴太に至っては顔を引き攣らせていた。  五秒でも目を閉じていればそのまま意識を飛ばしてしまいそうな睡魔をどうにかやりすごしながら、軽い湯浴みだけ済ませてふらふらと自室に戻る。後ろ手に襖を閉じた瞬間、ようやく気が抜けて布団に突っ伏した。ああ髪も乾いていないのに。布団が濡れてしまう。寝癖もきっとひどい。  うつらうつらと微睡みの中で並べ立てて、それでも温い布団が心地よすぎてどうにもならない。もう起きてから考えよう、と本能に白旗を上げ、全身から力を抜いたところで皮肉にも頭が冴えた。  ——布団が。ぬくい。 「何しとるんじゃあああああああ!!!」 「あだだだだだだ!! ちょっ、待っ、髪!!」  冷静になった途端に発見した白髪の猫っ毛を掴み上げながら、月詠はなんだかもう泣けてきた。こっちは死ぬほど仕事まみれで、死ぬほど眠たいというのに、この男は一体何をしている。 「いや! だって! しばらく連絡もねェし! 会いにこねェし!」 「高校生か! 我慢も知らぬかこのたわけ!」 「知らねーよ関係ねーよばーか! いつだって銀さんはなァ、オメーの殺風景なツラ見たくて震えてんだよ!」 「開き直るな! そんなものわっちだって……!」  はっと口を噤んだがすでに取り返しがつかない。中途半端な台詞をきちんと深読みした銀時は、それまでと打って変わってにんまりと嫌な笑みを浮かべた。 「そーかそーか。太夫のほうも銀さんに会いたくて会いたくて震えてたワケね」 「誰もそこまで」  いや違う。また間違えた。  嫌味ったらしく上機嫌な銀時に、半分ほど寝ているこの頭ではもう駄目だと月詠は匙を投げた。深く息を吐き出して、重たい頭を両手で支える。 「……連絡もしなかったことは悪かった。だが、わっちにもわっちの事情があるんじゃ」 「知ってるよ」  ふと銀時の声の種類が変わって、月詠はつられて顔を上げた。その頬に不器用な手が触れる。 「忙しかったんだろ」 「銀時?」 「顔色ひでェぞ」  その指先がすいと目元をなぞり、月詠ははっとした。そうだきっと隈も濃くて、顔色も悪いし肌も荒れている。今絶対にひどい顔をしている。  せっかく会えたのに。  月詠は暗澹たる思いで顔を伏せた。 「……いつものことじゃ」  銀時の手を振りきるように。  けれど次の瞬間思いがけない方向に力が働いて、気づいた時には再び布団に突っ伏していた。たくましい腕と体温にくるまれて、驚きに固くなっていた体から我知らず力が抜ける。視界に映るのは見慣れた着流しの一部で、鈍い頭が状況判断に苦しんでいると、ずいぶん近いところから銀時の声が聞こえた。 「別にオメーの顔色にケチつけにきたわけじゃねえよ」  ああそうか抱き込まれている。疲れ切った体では抵抗する気も起きなかった。 「どうせまた馬鹿みたいに仕事してんだろうなって、わざわざ添い寝しにきてやったわけ」 「……添い寝も何も、ぬし、先に入り浸って寝こけていたではないか」 「いやいや寝てないからね。震えながら待ってたからね」  なんだそれは。  馬鹿みたいな応酬に力が抜けて笑ってしまった。笑った拍子に思考までゆるんで、とろりと瞼が重くなる。こういうものを人は安心と呼ぶのだと、月詠は最近ようやく知った。 「お前の肌ツヤにがっかりするほど懐狭くねえよ、こう見えても。だけどな、お前のそんなやつれた顔は見たくねえ」 「……すまぬ」 「ああ。心配かけんな。無理してんな」  とん、とん、とまるで幼子を寝かしつけるように、銀時の手が優しく背中を叩く。寝ろ、と呆れ混じりの声に促され、月詠は安堵とぬくもりの中、ようやく微睡みに身を委ねる。朝陽よりずっと温かい贅沢を噛み締めながら、ふうと瞼を閉じた。
(2012/12/31)

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