なけなしの恋わずらい
 馬鹿みたいにでかい笑い声が店の入り口まで飛んできた。  対応に出てきた女が労うように苦笑したので会釈で返し、陸奥は一度懐中時計を開いてから馬鹿笑いの方向へ足を向ける。二十二時五十分。 「いンやー、まっことおなごは地球のおなごに限るのう! 心が洗われるろー!」 「また調子のいいことばっかり、坂本さんのとこにもキレーな副官さんいらっしゃるでしょ」 「あーあーありゃいかん。見た目はまあまあやが愛嬌の欠片もないきに、可愛げものーておなごたァとてもとても!」  アッハッハ、と馬鹿げた笑い声。その声に合わせて揺れる後頭部に陸奥は躊躇なく銃口を突きつけた。 「可愛げのーて悪かったの」  だが誰のせいだと思っている。  これまで坂本の相手をしていた女たちがあら陸奥さんと気軽に応じた。今日は遅かったですねえ、いつも大変ねえ、云々。馬鹿頭目が長居した謝罪より先に、いや本当に、と本音が漏れてしまった。 「遅ぅなって申し訳ない。こん阿呆ももう引き取るきに」 「どーでもえーが銃出す必要あるかえー」  律儀に両手を上げたまま坂本がへらへら文句を垂れる。陸奥は息をついて銃を下ろした。 「帰るぜよ、坂本」 「嫌じゃー! 地球のおなごもまた見納めになるきーもうちっくと!」 「オイ」 「酒も追加じゃあ! あァ陸奥も座れ座れ、ちぃとでええきに愛嬌ば見習」  ごん、と鈍い音が響いてそれきり静かになった。もはや悲鳴すら上がらない。坂本の言を途中でぶったぎった銃身を収め、陸奥はよいこらと伸びている男を拾い上げる。  銃を取り出した理由など説明するまでもない。 「騒がせたの。勘定ば」  坂本の財布からカードを探り当て、対応してくれたおりょうに手渡した。領収書はと問われたので断ってカードを戻す。 「世話になった。毎度毎度すまんの」 「いえいえ。こちらは一応儲かってますからね」  あくまで商売だという。あけすけな物言いは自分と似たところがあって陸奥は好きだった。思わず口元を緩めて挨拶を交わして、やたらに重い男の腕を抱え直す。  またご贔屓に、という坂本が起きていれば狂喜しそうな言葉を陸奥が受け取り、賑やかしい店にようやく背を向けた。  店から離れると思った以上に涼しい風が吹き付ける。夜の澄んだ空気にあてられ、引きずられる坂本の頭がむくりと起き上がった。 「……あー。あァ、陸奥」 「起きたなら自分で歩け」  重い、と顔をしかめると寄り掛かっていた体重が消えた。同時に体がすうと冷えて、少しでも温もりを惜しんでしまった自分に苦虫を噛む。  ガラゴロと無茶苦茶なリズムが背後で鳴る。しゃんと歩け、と一喝するつもりで振り返ったが、彼は予想していたよりもしっかりした足取りであった。しゃんとしていないのは思えばいつものことである。今はたまたま周りが夜の静寂に包まれていて、この男が無駄にでかい声で喋っていないだけで。 「うん?」 「いや。あまり酔っちょらんの」 「明日は早いきー。ほどほどにち言うたがは陸奥のほうぜよ」 「ほがなモン素直に聞くような脳みそしとらんじゃろ」 「たまにゃァ陸奥への誠意も見せてやらんとなァ」  誠意が聞いて呆れる。というかそもそも潰れない程度に飲むのが当たり前であって、こんなマイナス地点からようやくゼロになったような誠意でなくプラスに働く誠意が見たい。 「ほー。日頃可愛げのある女にしか見せん誠意をのう。明日ァ槍でも降るか」 「ありゃあ、槍なんぞ降ったら出航できんぞねー。ほいたら明日こそ地球のおなご見納めにガッツリ飲んどかにゃあ」  陸奥はフンと足を早めた。勝手にしろ。 「おう、なんじゃなんじゃ、不機嫌やいか」  しかし坂本はへらへら笑いながら後を追ってくる。歩幅に大きな差があるせいであっという間に追い付かれてしまった。 「なんじゃー、気にしちゅーか。可愛げないち言うたが」 「知らん」 「ほれとも」  笠をかっさらわれる。取り替えそうと振り向くと、酒のせいでいつも以上に締まりのない笑みとぶつかった。 「妬いちゅうかえ」  陸奥の不機嫌にろくに動じもせず、むしろ無神経につついて面白がるような男である。どうせわかったうえで訊いているに違いない。 可愛げがないことくらい百も承知だが、先刻銃とともに突き付けた通りこの男にも問題はある。  チッと鋭く舌打ちをして、陸奥は坂本の胸倉を掴んで引いた。 「む」  つ、という言葉を唇で押しつぶし、口付けというよりは噛みついていた。接触は一瞬だけ。  すぐさま顔を離し、呆然とする色眼鏡のむこうを睨みつける。 「死ねクソモジャ」  吐き捨てて踵を返した。  少しの間を置いてから、おそらく照れ隠しの笑い声があとを追ってくる。追いついた勢いで笠を被せられ、勢い余った陸奥は歩きながらよろけた。  何しゆうと睨みつけたが坂本はアッハッハと上機嫌である。これだからやめられんがじゃ、などと人の気も知らずにほざくので、陸奥は頑丈そうな足を思いきり蹴飛ばしてやった。

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