little dipper
 陸奥が死にかけた。  自ら首を掻っ切り、おびただしい血の中でまだかろうじて息をしていた陸奥を発見したのは坂本である。あの瞬間から艦の医務室で我に返るまで、坂本の記憶はごっそり抜け落ちていた。隊士に聞いても誰も詳しくは教えてくれないから、たぶん何人か殺ったのだろうと思う。 「隊長!」 「どがァしたー」  陸奥は数日経ってもまだ目を覚まさない。その間坂本は一度も医務室に足を運んでいなかった。  仕事もいつも通りさぼっていたし、いつも通り食って寝ていた。ただたまにぼんやりはしている。その程度だ。坂本は思ったよりも自分が普通で驚いていた。自分の性格からして、もっと取り乱すとか仕事も何もぶん投げて陸奥の傍を離れないとか、起きて早々彼女に怒られるような醜態を晒すと思っていたのだが。 「先生が呼んでます」 「おー?」 「陸奥さんが目を覚ましたそうで」  ほうか、とこれも予想外に落ち着いた声だった。どうしたのだろう。自分はもっと彼女が大事ではなかったか。  知らず溜め息をついていた。思いのほか疲労の滲んだそれに、目の前の隊士が気遣わしげに眉を寄せる。 「隊長」 「うん?」 「そう落ち込まんでください」  坂本は笑ってありがとうと告げた。片手を振ってひとまず医務室に向かう。  ようやく腑に落ちた。自分は落ち込んでいたのだ。まったく、致命的に鈍い。 ***  医務室のドアを開けると、ベッドの上で半身を起こした陸奥が目を丸くしていた。 「おはようさん、陸奥」 「ああ……」 「なんじゃあ、その顔は」 「いや、てっきり馬鹿みたいにやかましく駆け込んでくるかと思うちょったきに」  白い包帯を首に巻き付けた陸奥は、珍しく苦笑を滲ませた。  坂本は少しばかり腹が立った。わかっているではないか、と焦れる。坂本が彼女を大事にしていることをしっかり自覚していて、それでどうしてこんな真似ができるのか。 「すまんの、迷惑かけた」 「先生はおらんがか」 「ああ、わしにつきっきりじゃったらしい、今ごろ爆睡しとるじゃろ」  それを聞くが早いか、坂本は陸奥の体を無理矢理抱き締めていた。陸奥が引き攣った声を上げても、苦しい体勢でもがいても、それすら封じ込むように力一杯細い体を掻き抱く。安静にさせなければと頭ではわかっている。わかっているのに、先ほどまであんなに冷静だったくせに、坂本はどうしても力加減ができない。 「坂本」 「まっこと、心配かけよって……」 「ああ、わかっとる。悪かった」 「わかっとらん!」  なにもわかっとらん、と坂本は絞り出した。  ひとつ間を置いて、陸奥が探るように坂本を引き剥がす。どうした、と問う彼女はほんとうにわかっていないのだ。坂本が声を荒らげた意味も、隊士たちがどれほどの思いでいたかも、彼女はひとつもわかっていない。 「おまんの命はいったいなんなんじゃ」 「坂本」 「なんなんじゃ!」 「落ち着け」  陸奥の手が伸びて坂本の色眼鏡をさらっていく。色を鮮やかにした世界で、やはりまだ陸奥の顔色は良くない。白いかんばせのまま、陸奥はそっと目を細めた。 「泣くな、坂本」 「誰のせいじゃ、クソ女」 「ああ、悪かった」  商談に出向いた陸奥が先方に捕らえられたと聞いたとき、坂本は一瞬で血の気がひいた。通信機に向かっていた隊士に向こうから何か要求はあるかと怒鳴る。相手側の目的が陸奥自身であるなら問題はない。そんなもの陸奥が適当に撒いて戻ってくる。  最悪なのは陸奥が人質として捕らえられた場合だ。嫌な予感は的中していた。先方は陸奥の身柄を盾に無茶な提携と返答次第での快援隊の行く末を馬鹿丁寧に突きつけてきて、坂本は数瞬たりとも迷わずに否と返答した。相手が攻撃を仕掛けてきたので応戦しながら、同時に陸奥についていった二人の隊士は始末されているのだろうと確信した。  いい返事をしないことで陸奥の身に害が及ぶと、新入りの隊士は気が気でないようだった。けれど坂本と古参の隊士はそれならまだいいと直感している。  殺されるまでもない。厄介な立場となった時点で、快援隊に不利をもたらすと判断した時点で、陸奥はおそらく自らを始末することを考えている。彼女が銃とは別に持ち歩く短刀が護身用ではないことを坂本は知っていた。 「どういて死のうとした」 「相手取れる規模じゃァなかったろう、どう転んでもうちが潰される。お荷物なんぞ死んでも御免じゃ」 「抜け出すなりなんなりしとうせ」 「簡単に言いな」 「簡単に死ぬなち言うちょるんじゃ」  陸奥が監禁されている部屋を力ずくで聞き出し、ドアを蹴破った瞬間に坂本は頭がまっさらになった。明かりも窓もない狭い部屋で、彼女がいつも懐に忍ばせている短刀と彼女自身が血塗れになっている。とても生きているとは思えなかった。  死なせたと思った。  死ぬほど怖かった。  それしか覚えていない。 「おまんが死んだらわしゃどうにもならん。おまんのおらん場所なんぞわしにゃあ用はない」 「何ば言うちゅう」 「本気じゃ」  呆れる陸奥の頬を抑えて、坂本はぐずと鼻をすする。 「おまんが死んだらわしも死ぬ。心と脳みそが死ぬ」 「脳みそはもとから死んどるようなもんじゃろ」 「真面目に聞きとうせ」  陸奥が無事だとわかるまでの記憶がないということは、きっとそういうことなのだ。彼女のいない世界がどうしても想像できない。そこで息をしている自分が想像できない。男なんて本当に弱い生き物だと、頭の冷静なところが坂本を嘲笑う。 「頼む。後生じゃ。死ぬな」 「坂本」 「大義のために死ぬくらいなら大義のために生きちょくれ」  もう一度陸奥を腕に抱き込んだ。  彼女を失うかもしれぬという恐怖がいまだに坂本を縛り付けてやまない。また同じことがあったらと、その時こそ間に合わなかったらと、いつ訪れてもおかしくないもしもが途方もなく恐ろしかった。 「……しっかりしとうせ、モジャモジャ」  やおら伸びた彼女の手が、その口調とは裏腹に優しいタッチで坂本の頭を叩く。ぐずる幼子をあやす仕草に似ていた。 「おんしが立ち止まっちゃあ大義もクソもないぞね。そうそう死ねる身じゃのうなってしもうた」 「今さら気づきよったか」  ああと陸奥は息を吐くように応じる。頭をあやしていた手が背を叩き、それに促されるように坂本は身を離した。両手はまだ陸奥を離せずにいる。窮屈な腕の中で、陸奥は眩しげに坂本を見上げた。 「おんしゃァそがにわしに執着しゆうがか」 「ああ。何度も言うちゅう」 「ほうか」  陸奥は表情を変えずに言うと、坂本の手を掴んで強張る指をたぐり寄せた。 「おんしがそう言うならきっとえらく馬鹿な真似をしたんじゃろう。悪かった」 「陸奥」 「改めよう。こがなこたァ二度とせん。誓うき、もう怖がるな。泣くな」  あの短刀は好きに始末しろと小さな手が坂本の手を包み込む。その温もりにまた泣きそうになって、坂本は身を寄せて華奢な肩口に顔を埋めた。  その体勢のまま、きっと自分は短刀を処分しないのだろうと坂本はぼんやり考える。あれこれ悩んで、結局捨てきれず、そこらへんの布にくるんで箪笥の奥にでも仕舞い込むのだ。それで何年か後に、何かの折りに発掘して懐かしいと陸奥に見せびらかす。陸奥はきっとばつの悪い顔をするだろう。坂本はそれを見て笑ってやる。そういう他愛ない彼女との未来を、坂本はこの宇宙の果てよりもずっと貪欲に望んでいるのだ。
(2012/05/06)
読み返して思ったのは首切って喋れんのか?というので、それに対する令和のわたし「夜兎だしいけるっしょ」
※快援隊編の前に書いたやつ
※でもじゃあもっさんこんな取り乱さなくね?
※二次創作だしいっか

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