優しいおと
もとより体の頑丈な陸奥は体調不良に鈍い。多少の不調であれば寝不足か朝飯を抜いた所為かその辺の理由で片付ける。少し早めに寝れば済むだろうと雑に片付けて、実際、おおむねの事案はそれで済んでいた。
したがって陸奥が体調不良という名目で自ら休むことは滅多にない。咳や頭痛といった自覚しやすい症状が先に出て休むか、顔色に出るところまでいって仕事を取り上げられるかのどちらかだ。今回は後者である。
眠りの入口あたりで陸奥はまどろんでいた。このまま眠るか、眠らないか、ぼんやり考えていた矢先に突然布団が冷えた。外の空気を取り込んだことで陸奥の頭は覚醒してしまい、重たい瞼を仕方なく持ち上げる。
「……ああ、起こしてもうたか」
坂本だった。
「こンのアホモジャがあああああ!!!」
「アッハッハ、そう騒ぎな陸奥ぅ! 安静にしちょれ」
「じゃかあしい! 貴様どの面下げて」
しかも平気で人の布団に侵入してくるあたり意味がわからない。本来なら体調不良などぶん投げて銃口を向けているところだが、あいにく陸奥の性格を熟知している坂本に抱き込まれていてかなわなかった。
「ついさっき帰艦したぜよ。陸奥が倒れたち聞いて様子ば見にきたがじゃ」
「倒れちょらん。ちくと調子悪ぅて横になっとるだけじゃ。ちゅうか勝手に入ってくるな」
部屋にも布団にも。
そもそも陸奥のこの状況を坂本に告げたのは誰だ。というか誰も止めなかったのかこいつを。考えれば考えるほど陸奥の頭痛は悪化の一途を辿る。
「すまんかった」
「どれについての謝罪じゃ」
「長く艦ば空けたことやが」
「おんしゃまず不法侵入について謝れ」
聞いているのか聞いていないのか、坂本は擦り寄るように陸奥の頭に顔をうずめる。陸奥の鼻先は必然的に坂本の肩口に触れ、ああそういえば一ヶ月ぶりかと彼の不在の期間を思い出させた。声を聞くのもこの腕にくるまれるのも、どうりで懐かしくなるはずだ。
「……で、貴様はどこで何しちょったんじゃ」
「おー。ちっくと厄介な案件があってのう。快援隊ちゅう規模でいくと危のうて」
「ほやき一人で臨んだちゅうことかえ。わしに一言もくれずになァ」
「そう怒りなー。おまんじゃちわかっちゅうろう。知るか知らんかで生死ば分けることもある」
どうせ海賊絡みだろうと陸奥はあたりをつける。彼はそれ以上話さないだろうし陸奥もこれ以上詮索するつもりはない。この男が口にしたのは坂本がしくじった時の話だ。快援隊が危ない。陸奥が危ない。そしてそこまでのところに、陸奥は連れていってもらえない。
「勝算はあったんじゃろな。ただの無鉄砲やったらぶち抜くぜよ」
「あっちょーたあっちょーた。現にこうして帰ってきたやいか」
「信用ならん」
「まっこと強情じゃのー」
ぎゅうときつくなる腕のほうがよっぽど強情である。陸奥は抵抗を諦めて、窮屈な抱擁の中で落ち着ける体勢を探した。
「悪かったのう。わしの穴埋めと、わしの捜索とで寝ず食わずやったち聞いたぜよ。そりゃあ調子も悪ぅなるじゃろーて」
「どの口が言いよる。おんしが一言残してさえおったら仕事が一つ減ったんじゃ」
「すまんかった。心配かけた」
唐突に腹が立った。陸奥の心配も不安もすべて承知した上で陸奥を置いていき、あっさり帰ってきた挙げ句いとも簡単に陸奥の緊張の糸を緩めてしまうのだ。いっそのこと皺になれ、と陸奥は坂本の服を握り締めた。
「……一ヶ月も音沙汰なけりゃあ死んだち思うぞね」
「そう悲観せんでもえいがじゃ」
「おんしにゃわからん」
眠らなかったのではない。眠れなかったのだ。浅い眠りの中で夢を見た。彼のいない宇宙に取り残される孤独を夢に見た。
「置いていきなや、坂本」
「うん」
どこにも行かんと言って坂本が額に口付ける。どうせ口先だけの慰めだとわかっていても、それでも陸奥はほだされてしまう。いつものことだ。
「けんど、陸奥、わしゃいつだっておまんを置いてったつもりはないぜよ」
「嘘付け」
「本気じゃ。おまんは立ち止まらんじゃろ。場所が違かろーとわしらァ同じ方向に舵とって進んどる」
「屁理屈やいか」
「事実じゃき」
それに、と勝手な理屈を続けながら坂本の指先が陸奥の髪をいじる。その手つきだけはいつも繊細で、雑なだけの性格と足して割れないものか、と陸奥は無駄を承知で思案する。
「わしゃ何があってもここに帰ってくる」
「ほう。言質とったぜよ、坂本」
「おーおー。欲しけりゃいくらでもくれてやるろ」
上機嫌に笑った坂本が体勢を変えた。仰向けに転がした陸奥に覆いかぶさり、真正面から陸奥を見下ろす。なんなが、と文句を言うと坂本は色眼鏡を外した。微笑んでいる。
「戻ってくるき、陸奥、おまんのもとへ」
「……ああ」
「わしを信じや」
もう一度うんと頷くと坂本の顔が近づいた。そろそろ重たくなってきた瞼を伏せて唇を合わせる。一ヶ月ぶりの口付けはこの男らしからぬ静かな接触だった。
「おやすみのちゅうじゃ。寝んしゃい、陸奥」
そのままごろりと横になった坂本に抱き寄せられ、陸奥は返事もしないで目を閉じた。身を任せた相手が坂本なのか睡魔なのかももはやよくわからない。ただ幾重もの疲労と安堵で、先の口付けと同じほど久しぶりに深く眠れそうだった。
(2012/04/10)
坂陸奥=不法侵入という謎のイメージがありました。今もあります。