Solace
陸奥の細い指が背中をなぞる。肩を、腕を、そこに刻まれたいつかの傷跡を。
珍しいことではない。陸奥はよくそうやってこれは何の傷かと坂本に問う。坂本が経験した戦場を陸奥は知らず、彼女はたぶん、彼女なりの歯痒さを持て余しているのだろう。たとえば戦を知らぬ後ろめたさだとか。たとえば共有できぬさびしさだとか。
「これは火傷かや」
「おー、そうじゃそうじゃ。火箭が燃え広がってのう、さすがにあんときゃ死んだち思うたぜよ」
「この肩のは」
「ヅラば庇ったやつかの。名誉の傷じゃ」
「脇腹のこれはなんじゃ」
「死体にけつまづいてひっくり返ってもうてなァ、うっかりざっくり」
馬鹿か、と陸奥の溜め息が素肌をくすぐる。背中の傷はほかより少なく、やがて彼女の指は手持ち無沙汰そうにただ肌を滑るだけとなった。男の肌など触っても面白いものではなかろうに。
「こそばゆいちやー、陸奥ぅ」
「背中は少ないのう。つまらん」
「そりゃそうじゃ、武士道ちゅーもんがあるき」
「ほう。とするとこれはもう武士道なんぞ捨てたちゅうことかえ」
背中のかさぶたを陸奥が指でなぞった。他の傷と比べて明らかに新しいものである。
おやと坂本は目を瞬かせた。お前が言うかと。
「何ば言うちゅう」
「なんじゃ」
「そりゃあこないだの傷じゃ。陸奥がつけたもんじゃきー」
途端に陸奥が不自然に黙した。
「いく時にガリっとやりおったんじゃ、記憶にないかえ」
「…………」
「ほうかー。まあ最後のほうぐずぐずだったしのう、陸奥」
陸奥の手が離れていく。怒らせたかと肩越しに振り向くと、陸奥の頭がとんと背中に触れた。肌をくすぐる髪の感触。傷をなぞるように、彼女の唇が触れる。
「陸奥?」
「……おんしと戦いたかった」
「おう、どういた、センチメンタルか。おまんらしくない」
坂本はくるりと体を反転させて、難しそうな顔をしている陸奥の顔を覗き込んだ。坂本の冷やかしに機嫌を損ねるでもなく、そっぽを向くでもなく、なにやら思い詰めた瞳で坂本のそれを見つめ返す。どうやら本当にセンチメンタルらしい。
「わしがおったら傷も火傷も負わせんかった」
「えらい口説き文句じゃなあ」
「今じゃあ傷つけるだけのおんしの背中も守ってやれたがじゃ」
坂本は苦く笑う。こんな小さな体で何を言うのか。
「ほいたらわしゃ死んでもおまんを置いてくろー」
「どういて」
「こんなキレーな肌に傷なんぞつけるわけにゃいかん」
指先で首元をなぞると陸奥は居心地悪そうに身じろいだ。感じるかとからかうとこそばゆいと睨まれる。さっきまで似たようなことをしていたくせに。
「貴様の目は節穴かや。傷だらけじゃ」
「知っとう。おまんの大義のために負うた傷じゃ。わしんことば守るための傷じゃなかろーて」
意味がわからないと眉をひそめる陸奥の前髪を払って、坂本はその額に唇を寄せた。生え際の傷は商談相手の天人に不意をつかれた坂本を庇ってできたものだ。
「おまんはわしじゃのーてわしの大義を守っちょるぞね。そりゃあおんしの大義でもあるろ。やき、この傷はキレーじゃ」
「意味がわからん」
「戦の傷なんぞおなごはつけんでえいがじゃ」
坂本を守らせるためではない。戦火に晒すためでもない。宇宙を飛び回り、だだっ広い世界の中で同じものを見ていたい、となりにいてほしい、それだけのために背中を預けたのだ。
「貴様の言うことがわしにゃ理解できん。腹ァ立つのう」
「わからんでえい。わしなりの愛の話じゃ」
「ほー」
陸奥は不満げである。あしらわれたと思っているのかもしれない。理解できぬのならそれでいい、と坂本は彼女の健全な思考を思う。
ふんと鼻を鳴らした陸奥が手を伸ばして、坂本の心臓よりやや下にある傷に触れた。
「どうせわしの愛もおんしにゃあ理解できんがじゃろ」
「おお、ほんに今日はセンチメンタルじゃ」
「笑うかえ」
「いんや」
坂本はぐいと体勢を変えて陸奥に覆い被さった。なんなが、と目を細める陸奥に笑い返す。
「がっつり煽られたき。もっかいじゃあ」
「背中の傷が増えても知らんぜよ」
「男の勲章ちや」
「言うちょれ」
阿呆かと毒を吐く唇を塞いだ。その手が背中に回されたのでたぶん満更でもないのだろう。互いに理解できぬ愛をわかりやすいそれで誤魔化すあたり、馬鹿な自分たちらしくて坂本は笑った。
(2012/03/30)