やぶれかぶれに花
 血の匂いがすると言って、月詠の機嫌は悪かった。  万事屋という雑多な仕事柄というか、おそらく引きが悪いことも一因なのだろうが、気づくと他人のいざこざに巻き込まれて大怪我を負うという外れ籤この上ない展開が少なくない。もとを辿れば彼女との腐れ縁なんて最初の件から血みどろだったし、共に戦う中、深手にふらつくという情けない姿だって見せている。  だから、別に、今さらという話なのだ。  血の匂いだなんて。 「あーもーワケわかんねーよアイツ」  ひのやに出向いてそっぽを向かれ、さすがに理不尽だと銀時は見回りに出る月詠の後をついてしつこく絡んでいた。大抵は途中で根負けした月詠がうるさいと切れて、そのままなあなあに距離感を取り戻すというのが常であったが、今回どういうわけか月詠の不機嫌が根深い。  一方的にまとわりつくまま吉原をぐるりと回ってしまい、ひのやに戻ってくるなり月詠はふいと部屋に向かってしまった。いくらなんでもあの態度はないだろう、とさしもの銀時も憮然とする。 「そうねえ。血の匂いなんてものはあたしにはわからないからねえ」 「いやそういう話じゃないんだけど、日輪さん」  団子をかじって茶をすすり、あーあと銀時は足を組む。 「別によー、俺ツンデレ嫌いじゃねーけど、だけどなあ、もうちっと愛想ってもんがな、可愛くねーんだよなこういうとこ」 「あらそう? 可愛いじゃないか」 「そりゃアンタは保護者目線だからそうだろうがな」  ぱくりと最後の団子を一口でいき、もくもくと咀嚼していると何やら意味深な視線が突き刺さる。おそるおそる目を向けると、日輪はいつも通りに隙のない微笑みをたたえていた。  かわいいじゃない、と吉原一の花魁が繰り返す。銀時はせっかくの団子を苦い面持ちで飲み込んだ。 ***  無造作に襖を開けると、月詠は部屋の奥、窓辺で煙管をふかしていた。夜更けでは色香を纏う紫煙もまだ明るいこの時間では不思議とただ煙たいだけで、銀時はむっと鼻に皺を寄せる。  月詠は銀時を一瞥しただけで何も言わない。勝手に入るなという文句もなく、銀時は遠慮なく部屋に踏み入った。 「何か用か」 「そりゃねーだろ」  後ろ手に襖を閉めてどっかり胡座をかく。月詠の部屋で二人きり、それにしては互いの空気も距離感もどこかよそよそしい。 「そんなに気にくわねェかよ」 「何の話じゃ」 「いやお前、俺のこと徹底的にシカトこいてくれてたじゃん。何あれ新手の愛情表現?」 「……別に、気にくわぬわけじゃありんせん」  かん、と灰を捨てた煙管を盆に置いて、立ち上がった月詠がゆるやかに畳を踏む。たいして広くもない部屋、彼女はあっという間に距離を詰め、じっと彼女の動きを眺めていた銀時の前に静かに座り込んだ。 「また怪我をしたのか」 「……あ?」  先までのそれと、かすかに声の色が変わる。  畳に手をつき、月詠は凪いだ双眸で銀時を覗き込む。そこに潜む感情がいまいち掴めない。銀時はどう返したものか考えを巡らせるが、女心など知りようもない、結局沈黙が訪れた。月詠はそれを別の意味に捉えてしまったらしい。長い睫毛がふと影を落とす。  伏せられた瞳に、しまった、と銀時は苦虫を噛み潰した。言葉のある肯定と言葉のない肯定では意味合いが変わる。 「ぬしはいつも、わっちの知りようもない世界で戦って、わっちの知らぬところで怪我をして——どうせまた血だらけになっていたのじゃろ」 「……嫌かよ」 「そうではない。血なまぐさいのはわっちも同じじゃ。だが、わっちが血を被った時、ぬしはわっちの血なまぐさい部分にも踏み込んでくる。何かあったかと聞くじゃろう」 「まーそりゃ、銀さん吉原の救世主だし」  本当のところはただの月詠の身に対する過保護である。とはいえこちらもなかなか素直になれぬ性分、銀時はわざとおどけた口振りではぐらかす。  それを真に受けたか、わかっていて流したか、おそらく後者であろうが、そうじゃろ、と月詠は息を吐くように笑った。 「不毛だと、思っての」  ぐっと身を押し付けられ、銀時はなし崩し的に月詠の肢体を受け止めた。華奢ではあるが柔らかいからだは抱きしめるたびにしなやかな猫を思わせる。  首元に額を擦りつける月詠の顔を上向かせ、銀時はにやりと彼女を見下ろした。 「……で? ご機嫌ナナメな太夫は何をご所望なワケ?」  月詠は形のいい唇を不機嫌に歪める。 「ぬしのその匂い、かき消してくれる」  吐き捨てた月詠が、伸び上がって口に噛みついた。おォ恐、とあわやのところで押し倒されるところだった体勢を支え、荒々しい口付けを受け止めながら日輪の言葉を反芻させる。  ああこれはたしかに可愛い。不器用で粗暴で毒々しくて、脳髄が焼け付くほど可愛くてたまらない。  さすがは吉原一の花魁、と銀時は舌を巻く。見得を切って啖呵を切ってそのくせ下手な口付けに銀時はいよいよ限界で、細い腰を乱暴に抱き寄せるともどかしい唇をかっ喰らった。
(2013/02/01)

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