サイレントシーカー
 所用で東京校を訪れると聞いていた歌姫の姿が見当たらず、歌姫まだ来てないんですかと夜蛾に訊いてみると何の話だ、と切り返された。  寄越された情報が間違っているのかと思ったが違った。だれのことだ、と問われて五条はさすがに耳を疑う。 「え、いや、新手のボケです? ぜんっぜん面白くない」 「それはこっちの台詞だ、悪ふざけも大概にしないと生徒たちにも煙たがられるぞ」 「にもって何? いやそれはいいんですけど、歌姫は」 「だから何なんだ」  何って、と五条はまるきり状況が読めない。この五条悟が処理できない事態もそうなかろう。目の前の強面は本気で不審がっている様子で、何って、というところからまったく思考が進まない。 「何って人間ですけど。庵歌姫。京都校の。まじでぼけました? やばいでしょ、あっちの学長ならともかく」 「その手の発言もいい加減控えろ。あいにく知らない名前だが」 「いやいやそんなわけ」  ないでしょ、と五条は夜蛾の表情を窺う。先から少しも変わらず怪訝そうな強面である。なんとなく首が傾いてるあたり彼なりの愛嬌なのだろうが、こうなると怪訝を通り越して物騒だ。 「——まじ?」 「伊地知に聞いてみたらどうだ、人事関係ならアイツのほうが詳しいだろ」 「人事っつーか」  軽い気持ちで歌姫に絡むつもりが思いがけない方向へと話が転がり始めた。ヒントを得ようにも夜蛾との会話はおそらく堂々巡りで、お前と違って忙しいんだという主張もあり別を当たることにする。彼の言うとおり伊地知でいいか、と五条はなんだか釈然としない。 ***  途中で二年生三人組と行き合った。五条はまず先に伊地知みかけた、と無難なほうを問う。 「おかか」 「見てねえ。硝子さんとこじゃね?」 「最近また胃の調子が悪いって言ってたしなあ」  パンダの言葉に三人が揃って五条を見た。なにか言いたげな視線である。別に自分のせいだという証拠もない。 「どうせ大した用もないんだろ? そんなんで絡みにいってたらいよいよ胃潰瘍させるぞ」 「僕のせいって決めつけないでくれる? いや用あるから、めっちゃ緊急だから」 「高菜?」 「うさんくさいよな」  先から偏見および扱いがひどい。 「まじだって。ていうか歌姫見た?」 「あ?」 「かにかま」 「待ってそんなおにぎりあるの?」  聞いたことないんですけど、とパンダを見やる。パンダはパンダで、聞いたことないんですけど、とまるきり同じ台詞を五条に見舞った。 「比喩か? 誰だ?」 「えー、もー、まじで何なの」 「新しい遊びか? 伊地知さんは暇じゃないと思うぜ」 「僕だけ暇人みたいな言い方やめてもらえる?」 「こんぶ」 「いやしょっぱいのは僕も同じなんだけど」  なんとなくリーチがかかってしまった。夜蛾の冗談だけならともかく三人分の該当なしがここで加算される。合計四人。庵歌姫が存在しない。 「なんか面倒な予感がする」 「なんでもいいけどよそに迷惑かけんなよ」 「そういうレベルじゃねーって。ていうかなんなの? おかあさん?」 「気色わっる」  真希がこれみよがしに舌を出す。はしたないぞ、とパンダが諌めて母親かよ、と同じ流れが形成されていた。平和なものである。  ひとまずこの事態を持ちかける相手となると結局硝子か伊地知だ。深く詮索しないまま三人と別れて、そういえばかにかまのおにぎり聞きそびれたな、と五条は頬を掻く。 ***  手元に積まれた書類仕事よりもよほど難しい顔をして、何のことですか、と伊地知がビンゴを完成させた。 「ですよねー」 「心理テストか何かですか? 女子高生?」 「今日び女子高生もやんねえよ。固有名詞なんだけど。庵歌姫。少しもピンと来ないっていうならちょっと一発引っぱたかせて」 「ぜったいに嫌です」  パワハラですよね、と伊地知の反応はいまいち緊張感に欠ける。 「つまり私が知らないのはおかしいと」 「そう。オマエは絶対知ってる」 「催眠療法?」 「だからー」  五条は項垂れた。治療必要なの、と伊地知の胃を案じる。むしろ集団催眠か何かで一人抹消されているのではないか。それにしたって東京校で歌姫の存在が消える意味がわからない。誰の得にもならない。 「うーん、冥さんにも聞いてみよ」 「ほどほどにしてくださいよ、誰も彼もが暇とは限らないので」 「僕そんな暇人のレッテル貼られてるわけ?」  伊地知が沈黙で返す。言葉よりもよほど雄弁な肯定であった。この件終わったらビンタな、と人差し指を突きつけたところで背後の扉ががらりと開かれた。  硝子である。 「また伊地知いびりか? 余裕なさそうだな」 「そう見える?」 「それはいびってるように見えるかって意味か? 余裕ないほうか?」  どっちも、と肩越しに応じるとどっちもだ、と軽やかに返された。振り向いた先で硝子は普段と変わらず涼しそうな顔をしている。この同僚まで彼女の存在をなくしていたら嫌だな、と五条は二人が仲良く並んだ光景を思い返しながら、なんとなく二の足を踏んでいた。 「……硝子さあ」 「顔こっわ」 「私情挟んだ人間ってこういう顔になんだよ」 「へえ。私情なんだ」 「私情も私情。つーかさっきまではなんか面倒なこと起きてんなとかしょうがねえな何とかしてやるかって感じだったんだけどさ、余裕ないとか言われちゃ」  伊地知が首を傾げている。硝子が欠伸を噛み殺しながら、くどい、と切って捨てた。認めづらい感情なのだ。大目に見てくれたっていい。 「僕が誰かを心配してるとか言ったら引く?」 「相手による」 「あっそ」  僕は引いてる、と五条は他人事のように肩を竦める。  ふうんと無頓着に応じた硝子は結局事務室に足を踏み入れることはなく、的確なパスで伊地知の手元に胃薬を放り投げて踵を返した。ふうんとは何だ。というかそもそも大事なことを聞いていない。呼び止めようとする五条を振り返って、こないのか、と硝子は脈絡をすっ飛ばして問うた。 「誰が? 僕?」 「他に誰がいる。やること終わったから呼びにきた」 「……あー」 「何、今さらピンときたとか? だから余裕ないって言ったんだよ」  とどめを刺すだけ刺して硝子はさっさと歩いて行ってしまう。  五条は伊地知を振り返って、苦虫を数十匹ほどまとめて噛みつぶしたような顔をしている彼にビンタな、と今いちど指を突きつけた。事務室をあとに長い足で努めてゆっくり同僚の背を追い、彼女もまた緩い足取りで進むものだから五条はもどかしくてならない。 ***  寒々しい検死室の片隅にその姿はあった。  趣味の悪い冗談だ、とさしもの五条も顔を顰める。来訪どころか存在ごとなかったことにされた庵歌姫は何事もなかったかのように存在していて、しかしそれは検死台の上で、という悪趣味なゴールであった。まるで物言わぬ同胞たちのよう無機質な台に寝そべったまま、歌姫は姿を見せた五条に視線のひとつも寄越さない。 「何、とうとうしんだ?」 「誰がしぬか」  短く返された声も言葉もその間合いも間違いなく歌姫のそれだ。進歩も進展もなく五条に絡まれた歌姫のそれで、そのはずで、あーあ、と五条は天井を仰いだ。心配して損したと言ってしまえたらどれほど楽だっただろう。 「硝子は?」 「学長のとこ」 「裏切りやがったな」 「そう? 甘やかしてるの間違いでしょ」  しんと冷えた空間に味気のない応酬が行き交う。歌姫は依然として五条を見ない。無機質な室内にはたとえば壁際だとか床の影だとか、そういうところに悔恨や呵責や寂寥といった死に面した感情が燻っていて、彼女はそんな天井をじいとただ眺めている。なにか、あるいは誰かの、感情の残滓を探るかのように。 「まあ硝子に限った話じゃないけど。ていうかそうやって瞑想してる間に自分の存在消えてたの知ってる?」 「は? 存在?」 「意味わかんないでしょ、僕もまじで意味わかんなかったから。久々にちょっとまあまあそれなりに焦ったね」  検死台の生体を覗き込む。天井との間に割り込んだ五条をようやく一瞥して、歌姫はなんなの、と剣呑な目元で訴えた。 「流行りの転生系かと思った」 「会話してくれない」  歌姫が鼻白む。絡むな、とその声は露骨に五条を拒んでいて、五条は他人事のように笑った。 「いやあ、歌姫がこっち来るって聞いてたから学長に聞いたわけ、歌姫見たかって。そしたら何だそれはとか言われて。下手な冗談かと思って二年に聞いてみたらなんとビックリ同じ反応、伊地知に至っては催眠療法の扱い」 「……なんでそんな大事になってんの?」 「それ僕の台詞じゃね?」  今回ばかりは巻き込まれた体の五条である。身から出た錆、とは硝子の台詞だが、当人からの仕打ちならまだしも当人の預かり知らぬところで当人以外の面々にそれをされるいわれはない。  結局のところこの事態に歌姫自身は一枚も噛んでいない。心当たりのない彼女は怪訝そうに眉を顰めて、なんで、と五条を見上げた。 「たしかに硝子には口止めしたわよ、ここにいること五条に言うなって。でもそれだけだし、そもそも硝子にだけだし」 「そう、で、親愛なる歌姫センパイのために硝子は考えたわけ。言うなも何も歌姫が東京校来てることは知れてるし、来てる上でいないとなれば五条悟が探し回ってここにくるのは時間の問題だし、じゃあもういっそなかったことにしちゃえと」 「あの子の脈絡って私たまについてけないんだけど」 「大丈夫、僕も」  なかったことにしちゃえ、が歌姫の上京をなかったことにしちゃえではなく歌姫ごとなかったことにしちゃえとなるあたり彼女も大概ぶっ飛んでいる。あるいは五条への遠回しかつ大雑把な意趣返しも兼ねているのだろうが、ともあれ硝子はその足でまず夜蛾に話を持ち込んだ。 「学長は学長でそっちの状況知ってるし、このタイミングで僕に絡ませるのは忍びないとかで学長も伊地知も硝子に乗ったって。ちなみに冥さんまで買収済み。いくら積んだか聞いたらはした金だったよ、僕の扱い雑すぎない?」 「自業自得でしょ。ていうか生徒にまで根回ししてたわけ?」 「いやそっちは別件」  別件というか接触事故に近い。硝子に言わせれば誰も彼も考えることは同じだった、とのことである。 「二年は真希で一年には各々そっちの生徒から連絡あったんだってさ、口止めというか協力要請? でさっきのと以下同文みたいな」 「は」 「いやあ、いっときはどうなるかと思ったけど交流会も無駄じゃなかったわけだ、この僕に対して結託してくるとはね」  歌姫は虚をつかれたように目を瞬かせて、なにそれ、と呟いた。なにもない天井を眺めていた時とはまるで違う、その双眸にようやく彼女らしい情動が映る。  だから言ったじゃん、と五条は息を吐くように笑った。 「みんな歌姫のこと甘やかしすぎ」  持ち前の強情を誰もが案じていたのだろう。  直情径行を地で行く歌姫が感情を理屈で殺す時は大抵重症だ。おまけにこの同胞はそれと決め込むと頑なで、放っておくとその傷を他人どころか自分の目にも触れぬよう仕舞い込んでしまう。肩書きや立場も相まってどうせ上手く折り合いをつけられずにいるのだろう、と五条でさえ思い至るほどのことだ、近くで見ていたはずの教え子たち、彼女を気にかけていた硝子や夜蛾、癖の強弱はあれど各々思うところはあったに違いない。  歌姫は黙然と五条を見つめ返している。返すべき言葉が見つけられずにいるのだろう。  筆頭は僕だけど、とうそぶくと歌姫は何か言いかけて、けれど文句すら形にできなくて、その事実に今さら傷ついたような顔をした。揺らいだ瞳がにわかに寂寥を孕む。その眼差しで、なにかを、だれかを、追っていた。 「……与幸吉、の」  たどたどしく紡がれたひとつの名が、冷えた検死室にこぼれ落ちる。 「検死結果と、調査報告書を」  届けにきた。  彼女の声は不自然なほどに平坦だった。  そんなところだろうと思っていた。歌姫が東京校に来るほどの用向きとなるとタイミングからしてそれくらいしか思い当たらず、周囲の過保護もあって検死室に着く頃には確信へと変わっていた。内通をはたらき敵と接触して落命した教え子の調査と後処理。このご時世にアナログかつ人の手で、というあたりに彼の行為への緊張感が表れていて、すなわちその重みがそのまま歌姫の肩にのし掛かる。 「義務も責任もわかってる、私のやることは反省でも後悔でも泣くことでもなくて与幸吉の謀反行為を展開すること。彼の本当の目的を汲むのも情状酌量を訴えるのも私じゃない」 「ふうん? 歌姫らしくなくね?」 「人には立場ってもんがあるのよ、アンタにはわかんないでしょうけど」  だから顔を合わせたくなかったと、歌姫は自嘲した。 「教え子の検死報告なんて初めて手にしたわ。目も通した。なんか他人事みたいだった」 「硝子は心配してたけど。報告書がぐしゃぐしゃになってたほうがまだ安心できたって」 「変な子」  笑うようにつぶやいて、歌姫はゆらりと身を起こした。力ない身のこなしだった。ほつれた髪が肩から流れて、俯く歌姫の表情を覆い隠してしまう。 「大人なんて損ばっかり。ほんと消えちゃえばよかった」 「それ皮肉? 言っとくけど全然笑えないから」 「ねえ、アンタはどうしたわけ」  脈絡を無視して歌姫が問う。揺れるまいと感情を抑え込んだ声は残念ながら少し、掠れていた。 「虎杖悠仁が死んだとき、どうやって」  どうやって。  無力な感情が行き場をなくしていた。続かぬ言葉の先をおそらく彼女自身が押し殺している。どうやって割り切った。どうやって処理した。その答えを他ならぬ歌姫が歌姫自身に許していない。  五条は嘆息して、俯く彼女の正面に回り込んだ。歌姫は顔を上げぬまま、見んな、と大した効力を持たぬ声で五条を牽制する。 「切れたよ」 「なに」 「ブチ切れた。そんで伊地知に当たった」 「アンタってほんと……」 「だってそういうものでしょ」  膝を折る。下から覗き込むと歌姫はほつれた髪の合間からうろと五条を見やって、なにが、と目で問うた。 「人が死ぬってそういうものなんじゃないの」  割り切れるかよ、と五条は笑って吐き捨てた。  だってそのために感情があるのだろう。  やりきれぬ現実にだれかが怒れるように。  遣る瀬ない現実にだれかが泣けるように。  察するに歌姫はまだ一度も泣いていない。  彼女が平素どんな姿勢で教え子たちと向き合っているかなど知りようもないが、京都校の生徒たちを見ていればわかる。ときに手厳しくときに感情的に、そうやってまっすぐ教え子たちを見ていたに違いない。心配も愛情も信頼もおおよそ必要とされるものはすべて注いで。それでどうして冷静でいられると思っているのだろう。割り切らなければと自身に課した責任感か、あるいは先だって彼女が述べた立場の話か。実にくだらない。 「僕だって熱くなったのによわーい歌姫が冷静に処理しきれるわけないじゃん。大人ぶっちゃってらしくないったら。学長に硝子に生徒にまで心配かけといてあまつさえ消えればよかった? 勘弁してよほんと」 「五条」 「消えたのはメカ丸。死んだのは与幸吉。歌姫は生きてるから消える資格もそこにいる資格もない」  冷え切った検死台を指差す。そこに横たわるべきは物言わぬ亡骸で、同情も感傷も届きやしない亡骸で、間違っても彼女が望んでいい場所ではない。 「それともなに、そこにいたいわけ?」  歌姫の目元が弱々しく歪んだ。  きつく握り込まれた掌が惑うように緩む。五条は黙って両腕を伸ばした。ほどいた手のひらをたどたどしく伸ばして、歌姫は崩れ込むように五条の腕に収まる。 「……いたくない」 「知ってる」  身を預けきらぬ彼女を見かねてそのまま床に腰を落ち着けた。抱き留めた体は思いのほか冷えていて、触れた肩や背の薄さも相まってひどく心許ない。 「あーあ、こんな体冷やして。風邪ひかれたらたぶん怒られんの僕なんだけど」 「ひくか、この程度で」 「そう思うけどさあ、僕らももう若くないじゃん、メンタル弱ってると秒で体にこない? 伊地知だけ?」 「伊地知の胃潰瘍はアンタのせいでしょ」 「いやまだ穴開けてないから」  普段通りに振る舞う彼女の声はけれど確かに泣いていた。頑なに顔を肩口に押し付けたまま、間違っても引きはがされぬようにと五条の背を掻く。好奇心をはたらかせた五条が出し抜けに泣き顔を覗かぬとも限らないと危惧してのことだろう。まったく信用がない。 「今日硝子と飲むんでしょ」 「連れてかないわよ」 「硝子がこわいからべつにいいです」 「あっそ、アンタたちいつからそんなおもしろい力関係になったわけ」 「今日は分が悪いんだって。あー、どうせばらされるから先に言っとくけど」  検死台に奪われた体温が徐々に戻ってくる。おそらく五条の抱擁も一役かっているのだろうが、それでも内からじんわり息を吹き返す温もりはやはり人間のそれで、残念ながら生きている人間のそれで、彼女の消極的な自傷は無意味だったと知らしめる。 「硝子と生徒たちってとこに僕も付け足しといて」 「は?」 「僕も。めちゃくちゃ心配した」  数拍ほど間を空けて、嘘だろ、と彼女は鼻声で吐き捨てた。信じないなら別にいいけど、と五条は笑う。嘘を指摘するまでの数秒、その空白に彼女の本音を見出している。  華奢な体を抱きしめ直すと歌姫の身がわずかに強張った。泣かなかったんでしょ、と彼女の頭に頬を押し付ける。弱いくせにさ。五条の言葉に反駁の声が上がらなかったのは、きっと、その言葉が意図していた以上にいたわる形をしていたためであろう。 「がんばったじゃん」  ひくりと肩が揺れて、背に縋る指先に力が籠った。もう充分だろう。充分つよがっただろう。五条が差し出したのは、皮肉でもねぎらいでもない、強情をやめるきっかけだった。  限界だった。  歌姫は声を殺して泣いた。  声を上げることがどんどん下手になっていく。彼女の言うとおり大人というのは損で難儀で厄介な生き物なのだろう。時折聞こえる嗚咽がなにか痛ましく、五条はやりきれない感情を誤魔化すように天井を仰ぐ。  わかっていたことだ。  彼女に頼った時から、彼女を巻き込んだ時から、きっと彼女が傷つくことにもなるだろうと。  五条は自嘲する。消えたがった歌姫、検死台に横たわる歌姫、泣き顔を見せぬ歌姫、原因が自分ならすべて自分のものでいいだろう。ひどい理屈を盾に五条は独りよがりに彼女の傷を案じる。それくらいしか口実が見つからない。傍にいてやれる理由が見つからない。  ごめんというひとつの言葉を、五条は殺した。
(2021/04/08)

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