ドローゲームに唾を吐く
 一体なにを間違えたというのだろう。  福門は記憶を辿ってその時その時の選択肢を指折り数える。部屋に上がったとき。味気のない部屋を笑ったとき。とりとめのない話をして、話を聞いて、安い缶ビールを煽った。つまみがほしいなと何気なく手にしたスマートフォン、見ぬふりをした時計、時間いいのか、と切り出した彼の声。  わからない。すべて無関係のようにも思えるしすべてが要因のようにも思える。  味気のない床に転がされて味気のない天井を見上げ、普段より幾分か不機嫌を嵩増しさせた相澤に組み敷かれ、それでも福門は答えが見つからない。 「なんだよ、私、何か間違えた?」  彼との距離、彼との時間、思えばそれらはひどく不安定なところにある。答えを出さぬまま、出さないことが正解だと思っていた。すきだと嘯く、煩いと突き放す、その距離にこそ自分たちの関係を見出した。 「おまえの持ってる正解が俺にとっての正解とは限らんだろ」 「なにそれ、結局私が間違ってるじゃん」 「そうか?」  白々しい。そうでないのならこの状況は何だ。かろうじて笑っていたはずの表情が引き攣って、そうだろ、と福門は奥歯を噛んだ。 「私の正解は今まで通りだよ」 「知ってる。おまえが帰らないだなんて抜かしたのも今までの関係を信じきってたせいだ」 「は……、うける、それっておまえは違うって言ってるみたい」  相澤は答えない。けれど福門は、だからこそ如実に語られる彼の正解がこわかった。  時間はいいのかと訊かれて、終電はすぐだったけれど、話し足りなくて別にいいだろと笑った。そこに他意などなかった。福門が信じていたのは、帰らないと口にしても、帰らぬまま彼と過ごしても、何ひとつ変わらぬはずの彼との関係だった。 「おまえはそう信じたかったんだろうけどな」  けれど、そうだ、彼も同じだなんて。   何を根拠に信じていられたのだろう。 「相澤、待って」 「そもそも俺とおまえでまともに意見が噛み合ったことなんてあったか? 長い付き合いだ、お互い考えることも多少わかるだろ」 「お願い、本当に、待って」  耳をふさいでしまいたかった。聞きたくなどなかった。けれど腕を抑える彼の力は強く、まっすぐに福門を見下ろす双眸が逃げることすら許さない。 「俺はおまえと今までのままじゃいられない」  突きつけられたその言葉が。今まで容赦なく向けられた台詞よりもずっと深く、福門の心を抉ってゆく。  気の置けない昔馴染みだった。腐れ縁を掲げた同胞だった。顔を合わせては嫌がられてそれを笑い飛ばす、友人という名の関係を信じて疑わず、だからこそ悪質とすら言われる冗談も気兼ねなく口に出来た。そう信じていたのに。 「じゃあ何、冗談だとでも言えばよかった? 帰ればよかった? でもそんなの」 「意識してるって言ってるようなもんだな」 「おまえそうやって淡々と追い込むのやめろよ、性格悪いな」 「今さらだろ」  相澤は息を吐いて頬にかかった髪をはらう。硬い指先が肌を掠める、些細な接触にすら福門の肩は震えた。 「福門」  低い声が福門を呼ばう。いつもと変わらぬ声、けれど抑揚のないそこに密やかな熱をともし、相澤は福門の頬に手を添えた。熱い手のひらだった。知りたくなかった。最悪だ、と福門は息を詰める。 「やめ」  首を捩らせて彼の手から、強い眼差しから逃げを打つ。顔を逸らしたまま、教えてよ、と福門は小さく訴えた。 「教えてよ、わたし——私、なにを間違えた? どうすればよかった? どうしたら」  友人のままでいられたのだろう。  好きだと嘯いて笑っていられる、彼との関係はどこか不確かで愉快で、だからこそ不変を信じていられた。そこに名前を付けるつもりなどなかった。恋情も、愛情も、だってそれらが持つ響きはあまりに脆い。 「別に何も間違ってないだろ、おまえ」 「言ってることもやってることも無茶苦茶なんだよ」 「そうか? 普通ならこうなって当たり前だ」 「嫌だよ、勘弁しろよ、そんな壊れやすそうな関係なんて」  いらない。  拒むばかりの福門に彼は深く息を吐いて、もういいだろと頬を押さえた。視線を引き戻される。かち合った瞳のどこにも冗談の色は見えなくて、それどころか牙を剥く熱の色すらちらついて、福門は無性に泣きたくなった。 「相澤」 「俺にしては待ったぞ。大体おまえが俺との関係に執着する理由はなんだ、怯える理由はなんだ、考えてみろ馬鹿」 「馬鹿とか言うな、馬鹿」  いずれにせよこの関係が終わることはわかっていた。どう転んだところでこれまでの距離は取り戻せない。そうしてこうなるいつかが訪れることだって、頭のどこかでわかってはいた。 「私は、おまえと飲む時間もくだらない話することも、それなりに大事だったんだよ」 「——なんだよ、答え出てるじゃねえか」 「は?」  どこがだ。  彼の脈絡にまるきりついていけぬ福門の声はいささか焦れていた。思えば長らく相澤のペースに引きずり込まれたままだ。彼は身勝手な感情と理屈を福門に押し付けて、頑なに守り続けてきた関係を一方的に取り上げようとする。  けれどよく考えれば自分だって同じだ。   身勝手な感情と理屈。一方的な関係を掲げて歩み寄ろうともしない福門に、相澤は考えてみろ、と噛んで含めるように言う。 「おまえに男ができたら? 俺に女ができたら? それこそ今までの関係は成立しないだろ。そういう可能性を少しでも考えたことがあったか?」 「——あ」 「ないだろ、それがそのまま答えなんだよ」  福門は絶句した。  たしかにそうだ、言われるまで考えもしなかった。突きつけられた前提条件は恐ろしいほど身勝手で、にも関わらず福門にとっては当たり前の事象でしかなかった。そうしてそれが答えだと言われて尚違うと否定できるほど、福門は馬鹿でも鈍感でもない。 「……え、いや、——まじ?」  強いていうなら間抜けに過ぎる。  これまでの問答は一体なんだったのだ。じわりと頬が熱を持ち、思わず顔ごと背けようとした福門の頬を、彼がやんわり押さえ込んだ。 「観念したか」 「ほんとおまえ、性格悪……」 「今さらだって言っただろ」  諦めろ、と今度こそ相澤が顔を寄せる。  拒む理由すら考えることが億劫で、福門は早々に匙を投げた。触れた唇は優しくはなかった。これまでの関係から生ずる躊躇も気恥ずかしさもすべて無視して、彼の口づけは燻る不安などすべて杞憂だと知らしめる。脆いなんて嘘だ。壊れやすいなんて嘘だ。胸を撫で下ろすにもあまりに複雑で、せめてこじれる前に言えよ、と福門は胸中で毒づいた。
(2019/01/15)

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