語るに落ちる
 一駅歩こうと言い出したのは福門のほうで、不合理極まりない提案を一蹴されるかと思いきや彼は溜息ひとつ吐いただけで線路沿いに歩き出した。  言いながらICカードを取り出していた手前さすがに拍子抜けした福門である。なんだよ珍しいな、と夜更けの暗がりに揺れる彼の背中を追う。 「おまえなら電車代より移動時間とるかと思った」 「別に電車代ケチったわけじゃない」 「酔ってる?」 「おまえのほうが飲んでただろ」  いやそうだけど、と福門は口を尖らせる。たしかに夜風が頬に心地良い。酔い醒ましにはうってつけだけれどそこまで酔ってはおらず、それをわかっているはずの彼が徒歩に落ち着いた理由も汲みきれなくて釈然としない。 「電車だと駅から少し戻るだろ、おまえ」 「え? あー、うん、たしかに」 「だったら歩いたほうが合理的だ」 「うわ、紳士じゃん」 「うるさい」  無愛想な横顔を見上げる。暗がりではっきりとは見えないが、思っていたよりもずっと濃く彼の目元に疲労が滲んでいるようでさすがに申し訳なくなった。きっと福門を送った先で電車に乗り直すのだろう。けれど今さら、悪いともありがとうとも言いづらくて福門は言葉を飲み込む。 「なんか久しぶりだよな、会うのも飲むのも」 「試験前後は仕方ないだろ、俺もおまえも立て込んでる」 「まあなー、最後に会ったのいつだっけ? 二週間経った? いや三週間くらいか」 「一ヶ月」  さらりと正された答えに福門は思わず瞬いた。そんなに経ったか、という驚きもさることながら、彼が正確に記憶していたことのほうが意外である。三週間も一ヶ月も大差ない。もしかして、と福門は彼の正面に回り込む。 「もしかして、寂しかった?」  一度足を止めた相澤は、そんな余裕あるかとまったくの正論を吐いて再び歩き出した。だよなあと福門も彼に並ぶ。多忙にかまけて気がついたら一ヶ月経っていた、福門のほうもおおむね同じ事情である。 「かわいい彼女の笑顔がみたかったとかさー、冗談が聞きたかったとかさあ」 「聞きたがるのは普通声だ」 「おっ、声聞きたかった?」 「先週酔って電話してきただろ、おまえ」  たしかにそうだ。週末だった。最初こそ切るぞとげんなりしていたわりに、彼にしては長いこと相手をしてくれたようにも思う。話の内容は忘れたけれど。  スピーカーにする、と通話を続ける声が端末越しの耳朶に優しかった。思えばその時になってようやく、しばらく会っていないな、と思い至ったのだ。 「寂しくて寂しくておまえの声が聞きたかったんだよ」 「説得力ってものを拾ってこい」 「あれ? なかった?」 「なかったな」  取りつく島もない。汲めよと笑った拍子に軽くよろけて、ちゃんと歩けと相澤に腕を引き戻された。必要以上の接触はない。まあ今さら手なんて繋がないよな、とポケットに戻ってゆく彼の手を見送る。  酔いが醒めてきたのか通り抜ける夜風がすこし肌寒い。フェンス越しの線路を電車が走り抜け、煽られる髪を押さえながら踏切の音を遠くに聞く。駅の間隔は短く、次の駅はすぐで福門の部屋もすぐだ。 「さむくない?」 「さむくない」  眠い、と言うのでだろうなと福門は笑った。  中身のない会話もすでに尽きた。今さら沈黙を気まずく思う距離でもないけれど、少し勿体ないような気もして話題を探してみたが見当たらない。思えば飲みながら散々話したのだ。ちらと相澤を見上げたが彼の表情も相変わらずで、まあいいか、と黙って夜道を歩く。  沈黙の下で彼は一体何を思っているのだろう。  一ヶ月という間隔のせいか。読めぬ彼の表情がどこかよそよそしいようで、沈黙を茶化すことも気が引けた。  そのくせ読めぬ男はわざわざ部屋の前まで送りにきた。  鍵を開けながら相澤を振り返り、終電間に合うのと一応訊いておく。 「大丈夫じゃなかったらここまで送ってない」 「うわ冷てえ」 「ちゃんと戸締りしろよ」 「酔ってないって」  ていうか醒めたよ、と笑うと彼は目元を少し和らげて、おやすみと言った。電話越しに聞いたそれよりもずっと耳に心地良い声、和らいで尚物騒な瞳はそれでもやわらかい。久々に間近にしたそれらしい表情である。すこし名残惜しくもあって、けれど先の沈黙も手伝ってからかいづらくて、おやすみ、と福門はおとなしく彼と同じ言葉を返した。返したはずだった。  気が付くと踵を返した相澤の腕を掴んでいた。 「——あ」  れ、と声を取りこぼす。振り向いた彼と目が合う。数秒の沈黙、先までのそれとはまるで異なる空気に、さすがにいたたまれなくなって福門はへらりと笑う。 「な……ん、ちゃって?」 「何がだ」  彼の双眸が剣呑に細められる。一瞬のことだった。  離した腕を逆に絡め取られ、え、と思っているうちに否応なく部屋に引きずり込まれた。がちゃと施錠の音、咄嗟に電気を探ろうとしたがそれより先に体重をかけられて壁にぶつかる。背中がいたい。 「は」 「おまえが引き留めたんだろ」  暗くて目が利かない。彼の声も吐息も思った以上に近くて、思わず身を竦めた福門の混乱も何もかもを無視してくちびるを塞がれた。反論する暇さえなかった。  静寂する部屋に衣擦れともつれあう音ばかりが響く。不安定な体を支えるどころか力任せに押さえつけられて、逃げる隙すら与えず彼は貪欲に唇を食らった。寝不足と疲労とで何かしら飛んでいるに違いない。おののく福門を完全に無視して、渇いた唇は顎を伝ってそのまま首筋を辿ってゆく。 「えっ、待っ、イレ」 「イレイザー?」 「あいざ、わ——イヤ待てって、う……わ、ここ玄関……!」  ざっくりとした身の危険にあやうく個性を発動させるところだった。すんでのところで留まったのは彼と目が合ったためで、獰猛に歪んだその双眸がぞわと福門の肌を粟立たせる。ヒーローらしからぬ瞳が制止の声を呆気なく無下にする。  それが何だと。彼が眼下でわらった。 「寂しいならそう言え」  息が詰まる。その台詞そのまま返してやりたい。  人の理由にかこつけて自身のそれを晒そうとしないなどとんだ理不尽だ。そっちこそ、と福門はやぶれかぶれに彼の頭を引き寄せて、足元の邪魔な靴を蹴飛ばした。
(2018/08/19)
別に終電じゃないのに終電ネタとして褒められた作品でした。って書きながら思ったんですけどこれどう考えても相澤せんせ終電逃してますね。終電ネタじゃねえか。

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