それはまるで道化師の
備え付けの充電コードを彼女に取られてバッテリーの残量が心許ない。
視線を巡らせるとヘッドボードから伸びたコードは今なお彼女のスマートフォンに接続されていて、その持ち主はベッドに沈んだまま惰性的に画面をスクロールしている。液晶のあかりが彼女の肩口までをぼんやり照らして、暗がりに浮きあがる剥き出しの肌が妙に寒々しい。見かねた相澤は無造作に掛けられたままのシーツを引き上げた。
「どーも」
「そこそこ充電したなら替われ」
「えー、しょうがねえな」
引き抜いた端子を相澤に寄越して、福門はもぞと背中を向けて再びスクロールの作業に戻っていく。彼女がスマートフォンばかりいじっていることも珍しい。何をそんなに、と相澤は端子をスマートフォンに差し込んで枕元に放った。
「おい」
「んー?」
「さっきから何見てんだ」
「なんだよ、構ってほしいのかよ」
かわいいやつだな、とその声は笑いを含み、けれど視線はやはり液晶に向けられたままで相澤は目を眇める。些細な違和感。彼女と目が合わない。真直ぐな眼差しで真直ぐに人をからかって、彼女が軽口を叩くときはいつだって目が合うはずだった。
いまいち煮え切らない。背を向けたことで結局覗いた肩に触れて、相澤は彼女の目線を捉えようとする。
「福門」
「うわ、これ読んだ? こいつら先月も名前聞いたよ、新興勢力って敵のほうで使っていいの?」
「それ今話すことか」
「最近物騒だよなあ」
おまえも気をつけろよ、と福門は一向に視線を寄越す気配がない。やはりどこかおかしい。彼女の手中からスマートフォンをさらってベッドに伏せて、おい、と相澤は今いちど彼女を呼ばう。
「何かあったのか」
微妙な間があった。何でもないと誤魔化せる、何かあると言及できる、どちらを取っても中途半端な空白である。
端末に執着を見せぬてのひらがぱたりとベッドに沈む。べつに、と彼女は、眼差しの行く先をなくしてなお相澤を見ようとしない。
「別にって顔してねえだろ」
「あー、こどもができた」
「おまえな」
笑えるか。相澤は唸った。
「なに、心配してくれんの? やっさしー」
「まともに心配もさせないでよく言う」
「ははは」
笑い声が空々しい。相澤はひとつ溜息をついて、触れていた肩を掴んで仰向けに引き倒した。白いシーツにあざやかな髪が散る。覆いかぶさったところで福門はかたくなに目を逸らしたままで、取り繕いきれていないくせに本心をさらけ出そうともしない彼女にさしもの相澤も焦れてくる。
「あのな、いい加減に」
「怪我」
けが。ぽつりと落ちた言葉は感情を伴わず、散々に人を煙に巻いた先の声よりもずっと平坦なものだった。まるで知らぬ人間を相手にしているようだ。怪我、とその言葉を舌に転がして、相澤は目を細める。
「怪我してたなら先に言え」
「違えよ、おまえの」
「俺?」
「また怪我してた」
深い双眸がようやく相澤を映す。ああ、と相澤は、相槌とも納得ともつかぬ曖昧な声を取りこぼして口をとざした。
はぐらかすつもりはない。彼女の眼差しに縋る色はなく、建前だけの安心を求めているわけではないことくらいはさすがにわかってやれる。わかってはいるけれど、その双眸に似つかう言葉が見つからなくて結局無言を返す形となった。聞き出してこの体たらくでは格好もつかない。
手に負えぬ沈黙を処理したのは彼女のほうだった。わざとらしくぶはと吹き出した福門は、真顔怖えよといつも通りの声で笑い出す。
「いやもうその顔でヒーローって。だいたい傷跡で男上がるにしたって見えないんじゃ意味なくない? ただでさえコスチューム暑苦しいってのに」
「福門」
「あー、でも顔にあるんだったな、しかもいい具合のところにいい具合に残ってるしこの際メディア露出増やしたら? 正直おまえ会見の印象しか——」
「えみ」
つらつらと紡がれる無駄口は流暢なくせにどこか苦しい。遮ると福門はすんなり口を閉ざして、何、と笑った。彼女はきっとこういう時にわらうことしか知らない。
「職業柄怪我なんていくらでもするだろ、今さら突っかかることか」
「へえ、洒落にならない怪我ばっかしてきたやつは言うことが違うね」
「洒落っておまえな」
思い当たる節を見つけて相澤はようやく彼女の思うところを理解した。洒落にならないと言われて思い出すのは彼女がベタ惚れと評するクラスを受け持ってから怒涛のように降り注ぐ事件たちで、その中で負った怪我を思うとたしかによく生きていたものだと我ながら感心する。骨も砕けた上に個性にかかわるひどい怪我まで負った。大怪我も掠り傷も数え切れぬほど重ねてきたけれど、果たしてその怪我がヒーローとしてのものか、教師としてのものか、おそらく答えはない。
「……怪我の大小なんて気にしてたらやってられんだろうが」
「ふうん、それってヒーローとしてのポリシー? それとも教師?」
「両方」
「言うと思った、いやあ格好いいねえ」
冷やかす福門の瞳に僅かな葛藤が見える。わかってはいる、けれどわかりたくない、そういう色合いである。彼女にしては珍しく聞き分けのない感情で、相澤はやれやれと息を吐いた。
「俺もおまえも同じだろ。たまたまこっちが笑えん大事に巻き込まれただけだ、何事もないならそれに越したことはない」
「引き悪いもんなー、おまえ」
昔から。その言葉から彼女の歯痒さが伝わるようだった。かつて現場でヒーローとして顔を合わせていた頃、あの時は厄介な敵を引いたところで駆けつけた彼女が手を貸してくれた。逆だってそうだ。手を貸せる、手を貸してもらえる、そういう距離に自分たちはいた。
そうだ。今は違う。同じ立場でも共有はできない。
すべて終わってから事情を知る、事情を知っても駆けつけてやれない、逆の立場を思うとたしかに彼女の不安も理解できた。
「引け目を感じる必要はねえよ、おまえが泣くことじゃない」
「泣いてないって」
彼女は心許ない眦を歪めて殊に明るい表情を作り上げる。節穴かよその個性で、彼女の口は減らない。減らず口が危うい感情とのバランスを取っているようでなにか痛ましい。
「おまえが死んだって泣いてやれないからな、私は」
「だろうな」
「勝手にしぬなよ」
「死なねえよ」
顔を寄せると福門はシーツを握りしめて、おそらく嘘つきという台詞を飲み込んだ。それが無力な言葉であることは互いによく知っていた。やりきれぬ手のひらを取って、なけなしの体温を分けるように握りしめる。泣かせないで済むと思えば多少の気休めになるだろうか。
「だから笑ってろ」
いずれにしたって欺瞞でしかない。
くちびるを擦り合わせる。目を閉ざした彼女のまなじりに滲む感情を見たけれど、すこし迷っただけで結局気づかぬふりをして、相澤はかさついた口づけに目を伏せた。
(2018/09/03)