差し出口の報酬
 閉じた覚えのないブラインドが閉ざされていることに気付いて、リズボンのオフィスへ向かう足取りは急激に重たくなった。肩のほうは重たいを通り越して力が抜ける。落胆。  調達したばかりのコーヒーを持ち直し、直視したくない現実をおそるおそる目にするような心境でオフィスを覗き込む。なぜ自分のオフィスでこそこそしなければならない、と苦々しい理不尽を噛み締めながら、案の定カウチに寝そべるコンサルタントの姿を確認してリズボンは辟易した。何なのだ。  溜め息を吐いてオフィスに入る。  眼差しに物理的な威力が備わっていればたぶん八つ裂きにしている。  叩き起こしてもよかったがそのまま不毛な応酬に流れ込んで余計なストレスになりかねないのでやめた。というか面倒くさい。無視して定位置のデスクで一息つくという手もあるが、この男をこのまま好きにさせておくというのもまた癪に障る。  短い時間であれこれ考えた結果、リズボンは結局本来の予定通りカウチにもたれて休憩をとることにした。彼の昼寝など知ったことか、と腰を下ろす。 「ぐえ」  蛙がつぶれた。 「……リズボン?」 「何」  おはよう、とようやくコーヒーに口をつける。ジェーンの腹はさすがに座り心地が悪かったが贅沢は言っていられない。何より彼のしかめ面を見ていくらか胸がすいた。 「そこ、カウチじゃなくて僕」 「知ってる」 「……疲れてる?」 「ええとても」  コーヒーを溢さぬよう気をつけながらクッションを取り上げる。ジェーンはかわりに両手を頭の後ろに組み、この状況下でまだリラックスしているようだった。どういう神経をしている。 「君って小柄だけどそのわりに重いね。筋肉?」 「そうね、今の発言を後悔させるくらいわけないけど撤回する?」 「そうさせてもらう」  と、首を少し起こした彼がちょいちょいと指を倒す仕草をしたのでリズボンは露骨に怪訝な顔をした。好意的とは言えぬリアクションに文句を言うでもなく、ジェーンは飄々とした顔で手を貸してとのたまう。 「なんなの」 「いいから。ほら、左手でいいよ」  何が、と突っかかりながら結局左手を差し出していた。知らず溜め息がこぼれてコーヒーに逃げる。彼はありがとうと言ってリズボンの左手を取ると、指の腹で手首を軽く押さえて脈を測り始めた。何だと言うのだ。 「……ああ、なんだ、正常」  言い方が癪に障った。  リズボンはゆっくりとコーヒーをローテーブルに置き、そこからまたゆっくりとジェーンの手を取って手首を解放させた。一連の動作を興味深げに見守るタレ目を無視して一息にひねり上げる。ジェーンの悲鳴。 「いたたたたたたちょっと待って何だって言うんだ」 「それこっちの台詞」 「脈が正常だって言っただけじゃないか」 「喧嘩売ってるわけ?」 「なんで!」  ほんとに痛いほんとに痛いと大袈裟にわめくのでリズボンは仕方なく彼の手を離してやった。改まってコーヒーを手にするリズボンに、ジェーンは手をひらひらさせながら横暴だと文句を垂れる。リズボンの機嫌が機嫌なら鼻っ面に拳が決まっていたところだ。 「結局何だったの? それなりの理由がなかったら引っぱたく」 「引っぱたくって普通平手だよね。君の手ぐうだよ」  鼻をへし折る、と言い直すとジェーンが両手を広げた。白々しい降参のポーズである。 「いや、滅多にない接触だから緊張してたらかわいいなって」 「接触? 私があなたに座ってることを言ってる?」 「なんかほんとにイライラしてる」  その原因が自分にあることに少しくらい気付いてくれてもいい。リズボンは息をついて立ち上がった。あれ、と不思議そうな顔をするジェーンに起きてと促す。 「見ての通り疲れてるの。まだ仕事あるし。あなたじゃなくてカウチに座ってコーヒー飲みたい」 「ああ、はいはい。それは失礼」  あっさり立ち上がったジェーンが、そのままリズボンからコーヒーを取り上げてローテーブルに置いた。今度は何、と睨もうとしたがその前に体を引き寄せられる。文句を言う間もなく彼の腕に包み込まれていた。  ぱちりと瞬いた視界は彼の肩口を映すばかりである。それと胡散臭い金髪の毛先。彼のハグは突拍子のないことが多い。 「……な、んなの」 「ハグ」  背中を叩くジェーンは飄々としている。一方されるがままのリズボンは眉間に皺を刻む。 「ハグでストレスが解消されるって知ってる?」  気付いた時には体が動いていた。  つまり、彼の足を思いきり踏むために、足が。 「痛っ!」 「――たしかに」 「違う、リズボン、そういうことじゃない」  いたたと踏まれた足を押さえるジェーンはさすがに情けない顔をしていた。同情する気はないが強く踏みすぎたかもしれない。 「あなたといるとすごく苛つくけどたまにすっきりする」 「光栄だけど僕のこと喋るサンドバッグか何かだと思ってない?」 「パトリックと語感が似てる」 「似てないし超つまらないよ」  お粗末さま、とよろよろした足取りでジェーンがドアに向かう。そのまま出ていくかと思いきやブラインド開けようかと往生際悪く居座ろうとするので、リズボンはカウチに腰を下ろしながらしっしっと追い払うジェスチャをした。しつこい。  ジェーンはようやくオフィスのドアを開けた。 「じゃあご機嫌よう」 「はいはい、またね」  すっかりぬるくなったコーヒーに手を伸ばす。  閉じたドアの向こう、ブラインドの隙間からちらと振り返るジェーンの姿が見えて、リズボンは溜め息まじりに少しだけ笑った。
(2015/06/06)

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