マージン・オブ・エラー
 なにもかも消化しきれぬままクルーに追いたてられ、撃たれた足を処置してもらってホランドはようやく部屋に戻った。  部屋の主人を感知したドアが音を立てて開く。やれやれ、とようやく一息つけるかと思いきや先客がいた。  タルホがシーツに埋もれている。  いつの間に、と不機嫌に顔を顰めて、ホランドは片足を引きずるようにしてソファに腰かける。不機嫌に、とはつまり彼女の扱いに困ってどんな表情をとるべきかわからず、ひとまずつくり慣れた不機嫌の表情を選んだだけである。彼女はおそらく起きているのだろうが、何も言わない。  ベッドに突っ伏すタルホをちらと横目に見ながら、ホランドのほうも到底何か言う気になどなれず、妙に居心地の悪い沈黙だけがその場に横たわる。  のけぞるようにして背もたれに体重を預けた。  目を閉じなくともまだ光景が蘇る。感触が蘇る。  チャールズの体に弾を撃ち込んだ感触。引き攣る肉体の感触。血溜りと最期の表情。彼に別れを告げるレイの言葉、レイの声、レイの瞳。  爆音も血しぶきも、飛び散る肉片ですら、ホランドにとっては見慣れたものだった。それなのに凄絶な愛憎に当てられて、レントンはおろかタルホの視界を庇うことさえできなかった。思考も、感情も、なにもかも奪われたかのように停止して。  医務室までのこともほとんど覚えていない。  ふらつくようにして立ち上がった彼女が、けれど確かな足取りでレントンの元へ向かう後ろ姿を眺めながら、女って強いな、と腑抜けていた記憶がせいぜいである。  ホランドはゆるりと手のひらを掲げた。  とうに血に染まった手のひら、その指の隙間に見える、微動だにしない女の姿。  重たい腰を、重たい気分ごとようやく持ち上げた。 「タルホ」  寝てんじゃないだろうな、と薄い肩に触れる。触れて初めて、その肩が縮こまるように強ばっていることに気が付いた。  シーツに埋もれた頭がもぞりと動いて、なに、とくぐもった声がかろうじて返ってくる。ホランドは剥き出しの肩から手を引いて、緩慢な動作でベッドに腰掛けた。 「大丈夫か?」 「……」 「なワケねぇよな……」  もぞもぞとシーツごとさらに縮こまる彼女の頭に、少し躊躇してから、我ながら不器用な手つきでどうにか触れる。  細い髪が指先を滑る。彼女はだんまり。  こんな慰め方は苦手なんだ、ヘタクソなんだと、ホランドは誰にするでもない言い訳を内心で呟めいて、取り繕いようのない沈黙をやり過ごす。ヒルダなら、ハップなら、マシューならどうするだろう。いや、マシューは当てにならないか。  ホランドは思考を諦める。  誰が、だなんて本当は意味がない。他ならぬ自分が、彼女をどうにかしてやりたいのだ。 「……無理して何か喋れとは言わねえが」  さら、と艶やかな髪を、目一杯の優しさでくしけずる。 「邪魔だろうがなんだろうが、俺はここを離れんぞ」  エゴとでも何とでも言えばいい。不器用と笑いたければ笑え。  ホランドは指先を髪に絡めたまま、ついとシーツの塊から視線を外す。言葉どころか感情すら返してこない彼女の姿に、本当に不甲斐ないけれど途方に暮れていた。泣くなり、怒るなり、当たるなり、何かぶつけてくれたらいいのに、と自分を棚に上げる。 「——足は」  けれど、ようやく彼女がこぼした言葉は、ホランドにとってはおおよそ見当違いのものだった。 「足は、大丈夫なの」  言葉の意味を理解するまでに少しかかった。  タルホの言葉が、チャールズに撃たれた自身の足を指しているとわかった途端、ホランドの頭にかっと血が上った。お前な、と華奢な肩を掴む。 「おれの心配なんかどうでもいい。お前が——」  しかし、タルホが緩慢な所作で顔を向けた瞬間、ことばも苛立ちもすべて立ち消えてしまった。  揺らめく瞳に映る感情はあまりに薄い。これが本当に、自分を差し置いてホランドを案ずる色であれば、いくらでも怒ってやれたのに。 「……お前も、首、見てもらったほうがいいんじゃないのか」 「いいの」 「いいのって……」 「いいの。こんな傷」  何か言いかけて、けれど何を言えばいいのかわからず、ホランドは口を閉ざした。  肩を掴んでいた手で今度は細い首筋に触れる。白い肌に浮いた赤い傷跡を、触れるか触れないかの距離で、おそるおそる指先でたどる。 「……痛むか?」  タルホは首を横に振った。  頼りなげな双眸がようやく感情を滲ませる。泣きそうな彼女をあやすように、ホランドは緩い動作でくちづけた。 「……痛くないわ。こんなの。違うの、ホランド」 「ああ」 「アンタが心配だった。あの子たちを守れるかも不安だった。レイは、どうして——」  わからない、わかりたくないとタルホがようやく感情を口にする。  日頃見せる苛烈さはどこにもなかった。ぶつけるにしては脆く、たどたどしくて、拙い。けれどそうしてでもホランドに縋る彼女を、どうにか包んでやりたかった。受け止めてやりたかった。たとえば、そう、いつも彼女がそうしてくれるように。 「元SOFだからって何よ。ばっかじゃないの……!」 「タルホ」 「あたしだって、ぐちゃぐちゃになった死体くらいいくらでも見てきたわよ。これでも元軍人よ。なのに」  心許ない眦から、ようやく涙が溢れた。 「ばっかじゃないの……」  目元を覆う手をつかんで、そのまま指を絡めて、かわりに眦に唇を寄せる。  喋るごとに不器用な口では、涙を拭ってやることがせいぜいだった。 「……あんたも、いざとなったら、あたしの死体を吹き飛ばすのかしらね」 「……縁起でもねえこと言うな」  冗談でもそんな話をするな、とホランドの声がかすかに揺れる。細い刃物傷に唇をつけながら、今さらになってひやりと心臓が冷えた。  これが彼女の喉笛を掻っ切るものでなくて本当によかった。あの爆発だって、ホランドが一歩遅ければ間違いなくタルホは巻き込まれていただろう。  彼女の細い首筋に顔を埋めて、ホランドはここにきてようやく、抱き締めてやるということを思い出した。 「……無事でよかった」 「……あんたもね」  まだ少し涙声のタルホが、それでもかろうじて笑った気配がして、ホランドはさらに強く抱き締めた。  本当ならこんなことをしている場合ではない。今にレイが突っ込んできてもおかしくないのだ。きっともう手段など選ばぬであろう彼女を相手に、自分たちはまだ、エウレカやレントンや子どもたちを守ってやらねばならない。  ただ、それを、タルホだってわかっているはずだった。  あと少しだけ、とホランドは誰にともなく言い訳をする。度を越して甘やかせば最悪引っ叩かれる。あんたこそしっかりしなさいと心地よい声が飛んでくるまで、ほんのわずかでも彼女の体温のそばにいたかった。
(2013/07/14)
27話後と書いてピンとくる人がどれだけいるんだという話ですがチャールズの件と書くのもなという。このあたりのエピソードはホラタルおいしいわビームス夫妻しんどいわでだいたい情緒不安定です。

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