カラフル・ワールド
 爽やかな晴天の下、爽やかな笑顔を振り撒く男が女性たちに囲まれている。  ナギの心中だけが爽やかとはほど遠い。不愉快だと感じる自分がさらに愉快でなく、気付くとナギはくるりと踵を返していた。雲のような翼を収めたチルタリスが、不思議そうに首をかしげながら後をついてくる。 「どこかで時間をつぶそう、チルタリス。取り込み中のようだから」  愛鳥はもの言いたげである。ナギは黙ってチルタリスの頭を撫でてその背に跨がった。  ルネには書類を届けにきただけだった。そういう連絡も一応してある。だから空けておけと。  先のカイオーガとグラードンの一件でいわゆる元鞘に収まったナギとミクリは、公表したつもりもないのに一部では公認となっていた。その一部に協会あたりも含まれているわけで、ミクリへの業務連絡や書類がやたらとナギに回ってくる。たしかにルネは海に囲まれているしナギは鳥使いだしどうせ会うのだし、効率的といえばそうなのだが、なんとなく腑に落ちない。  断れない自分も自分か。  ナギは嘆息して、ルネジムから少し離れた場所にある小さな草むらにチルタリスを降下させた。 「お疲れ、チルタリス」  チルタリスから降りると、ナギはその柔らかい羽を優しく撫でて長時間の飛行を労った。チルタリスは歌うように鳴いて羽を震わせる。  火口の中ゆえ緑が目立たないルネはナギからすれば殺風景ともいえるが、自然の中で自然と共存する街という意味ではヒワマキと変わらない。ナギはこの街が好きだった。この土地に住まう人々に敬意も払っている。  人々、という単語に先ほどの光景を思い出して、ナギは顔をしかめた。  華やかな女性に囲まれたルネのジムリーダー。と、ハートマークを模した彼の相棒。 「チルタリス、少し借りるよ」  木陰で文字通り羽を休めているチルタリスの綿雲を枕に、ナギは草むらに身を横たえた。  遠くに波の音が聞こえる。加えて木と風のたわむれる音と、チルタリスの温もりとでナギはやがてまどろんできた。目を閉じながら、いっそ帰ってしまえれば楽なのにと内心で息を吐く。会いに行くたびに業務連絡を引っ提げていたりだとか、逆に書類を渡したいから会いたいだとか、公私混同もいいところで多少うんざりしていた。同時にミクリを疲れさせてしまうのではないかと不安でもあった。彼が普段はべらせているような女なら、間違いなく逢瀬に書類などついてこない。  鬱屈してきた。いっそジムに書類だけ置いて帰ってしまおうか。  睡魔と戦いながらそれについて本気で検討していると、不意にチルタリスが小さく鳴いた。警戒のそれではないから敵ではない。むしろ好意すら含む鳴き声に、誰かが訪れたのだということとそれが誰なのかということも察してしまえて苦虫を噛む。  瞼越しに感じていた陽光が途切れた。ナギは仕方なく目を開く。 「やあ。ずいぶん気持ちよさそうだね」 「ミクリ……」  案の定真上から覗き込むミクリの顔があった。身を起こすのが億劫で、ナギはその体勢のまま目をすがめる。 「気づいていたのか」 「一瞬見えたからね。そもそもルネでチルタリスは目立つ」 「この場所も?」 「きみ、ここ好きだろう」  そうかばれていたのか、ならば次は別の場所を探そうと決めて、ナギはようやく半身を起こした。気を利かせたのか単に居づらいのか、チルタリスは大きく伸びをすると離れた木陰で眠る体勢をとる。入れかわりにミクリがナギの隣に腰を下ろした。 「理事から預かった書類だ。あとはこれが、テッセンさんからの私信」 「ああ、ありがとう」 「いや」  ナギはファイルごとそれらを手渡すと、無意識のうちにふうと息をついていた。こんな気分なら今日は早めに帰ったほうがいいかもしれない。  しかしミクリは、そんなナギの思いを知ってか知らずか心配そうに顔を覗き込んでくる。 「どうした? 疲れているのか?」 「いや、なんでもないよ」 「きみのなんでもないは当てにならないからね」  呆れたように目を細め、そのくせ瞳の色は優しい。伸びた手がナギの頬に添えられ、気恥かしさと苛立ちとでナギはふいと視線を逸らした。その瞳は自分にだけ向けられるものではない。 「ナギ?」 「おまえこそ疲れないか?」 「どうして」  ナギは言葉を探して、やがてゆるりと首を振った。何を言ってもはぐらかされるような気がする。 「……ミクリは優しいからな」 「そうかな。きみは私を買いかぶっていると思うよ」  だいたい話が読めた、とミクリは可笑しそうにしている。変に勘のいいところも相変わらずだ。ナギは一方的にばつが悪くて、彼から逃れるように再び草の上に身を横たえた。そのまま背を向ける。 「私はきみに会えるならそれで満足だけど」 「ほら、そういうところが優しいと言っているんだ」 「ナギ?」  その言葉は嬉しい。同時にそれを他の女に吐いている様も容易に想像できてしまう。ナギはミクリの優しさが好きだが、一周回って嫌いでもある。 「……やめよう、この話」 「どうしたんだい、引っ掛かるじゃないか」 「なんでもない」 「出たな、なんでもない」  ミクリは勝手にくすくす笑っている。ナギがどんなに背を伸ばしてもやはり彼のほうが大人で、油断すると意地も見栄も捨てて甘えてしまいそうになる。そうして彼の重荷になってしまいそうで怖かった。 「……用も済んだことだし、もう少しチルタリスを休ませたら帰るよ。おまえは、取り巻きを待たせているんだろう」  だからさっさと戻れ。ナギは言外にそう告げた。  まったく可愛くない。彼を取り巻く女性たちと違って強さを求められることには誇りを持っているが、たまに嫌になる時がある。彼女たちのような屈託のない愛らしさが羨ましく思える時がある。そうしてまた自分にうんざりして、だからミクリが女をはべらせているところを見るのが嫌いだった。こんな醜い嫉妬など。  振り切るように目を閉じた時、瞼越しに影が降りた。驚いて目を開くとすぐそこの地面にミクリが手をついている。 「何を拗ねているんだい、ナギ」 「拗ねてなど」  思わず声の方向へ顔を向けたものの、予想以上にミクリの顔が近くてナギは言葉を呑んだ。覆い被さられている体勢に気付いて思わず頬が熱くなる。 「やきもちかい? 可愛いな」 「違う!」  何か言ってやろうと息を吸い込み、思い止まってナギはそれを溜め息に変えた。どうせ何と返してもからかわれるかあしらわれるかのどちらかだ。  ミクリの手が頬を撫でる。それに誘われて、逸らしていた視線をしぶしぶ彼に戻した。 「私が本心から優しくありたいと思うのはきみだけだよ。きみだってわかっているだろう? ほかの女の子たちのは上っ面」 「……おまえは本当にろくでもないな」 「お互いさまだからね。あの子たちもどうせ本心じゃない」  それはどうだろう、という言葉を、ナギはかろうじて飲み込んだ。おそらく本当にミクリが好きで取り巻いている子もいるのだろうが、それこそナギの介入するところではない。 「だからナギが妬く必要なんてどこにもないよ」 「それは理屈だろう? あいにく、私はそこまでできた人間ではない」  そのとき突然唇を塞がれて、ナギは何事かと固まった。一瞬の出来事だった。  すぐに離れたミクリは、言葉をなくすナギに、腹が立つほど爽やかに笑ってみせる。 「書類がついてこようと、どっちがついでだろうど、私はナギに会いたい。不安なら女の子たちとも距離を取ろう。それくらいの想いを、きみはわかっているかい?」  毒気を抜かれてしまって、ナギは怒る気にもなれなかった。わかっているかと聞かれればわかっていると答えるほかなく、何せ先の事件でそれを痛いほど思い知らされたのだ。あれは本当に心臓に悪かった。  ナギは仕方なくミクリの手に自分のそれを重ねる。惚れた弱味というのか、やはりほだされてしまった。 「……わかってるよ。だから私はおまえに会いにくるんだ」  こういう時に浮かべる、少しだけ苦味を含んだようなミクリの笑い方が好きだった。広く配給されている笑顔よりもずっと鮮やかに見える。自分の頬まで緩んでいることに気付いて、ナギはやってられないと目を閉じた。
(2012/03/29)

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