砂糖ひとつぶのまどろみ
紙の擦れるかすかな音で目を覚ました。
いっとき自分がどこにいるのかわからず、ミクリはぼんやりと天井を見上げていた。たしか、目を通さなければならない書類が溜まっていて、ここは自宅のソファの上で、いつの間にか寝てしまったらしい。今は何時だろう、と身じろいだところでブランケットがかけられていることに気づいた。横になったまま首を巡らせると、すぐそこに見慣れた後ろ頭がある。
「ナギ」
呼ばれた彼女が緩慢に振り返った。眩しそうな顔をしているミクリに少し笑って、手にしていた本をテーブルに置く。
「起きたか」
ソファに寄りかかっていた彼女は、その体勢のまま身をよじってミクリの額に手を伸ばした。温度の低いてのひらがじかに触れる。
「人を呼んでおいて昼寝とはいい身分だ。勝手に入らせてもらったぞ」
「ああ、それは構わないが……鍵かかってなかったか?」
「この子が開けてくれた」
ちゃっかり彼女の膝に収まっていたらしいラブカスが顔を覗かせた。おまえの手持ちはよくできていると笑いながら、ナギは指先でポケモンをくすぐる。
「きみ、いつの間にエリザベスと仲良くなったんだい」
「いつというか。私のチルタリスだっておまえになついてるだろう」
言われてみればそうか、とミクリは納得してしまう。それにしても、愛のシンボルを形取ったエリザベスと彼女が寄り添っている光景はなんとも微笑ましい。
「起こしてくれたらよかったのに」
「よく眠っていたから。ああ、これ、借りた」
テーブルに置かれた本を示されて、ミクリはうんと生返事をする。寝起きの頭が彼女の脈絡に付いていかない。まとわりつく眠気を振り払うように身を起こし、斜めに見上げてくるナギに微笑みかけた。
「紅茶でも淹れようか。コーヒーかな?」
「いや、私がやる。今のおまえだとコーヒーだな。キッチン借りるよ」
「ナギ?」
「もう少しぼんやりしてていいぞ」
笑いを噛み殺すように言われて、ミクリはつい引き下がってしまった。いつになく穏やかな空気を纏う彼女になんだか調子が出ない。
そういえば書類は、と視線を巡らせると、テーブルの上できちんと散らかっていた。最後に読んだ文書の記憶がない。記憶がないということは書類を手にしたまま寝てしまったのだろう、ナギに抜き取られたのであろう見覚えのある書類が、テーブルの一番手前に鎮座していた。
ミクリはそこで、テーブルの上が散らかったままなのではなく、いじらないでおいてくれたのだと思い至って口許を綻ばせた。理由もなくこの惨状を放置するようなナギではない。
そうとなれば早く片付けなければ。書類を手にすべく身を乗り出したところで、ずいと眼前にカップが差し出された。
「私はぼんやりしていろと言ったはずだが」
「ああ、ありがとう」
「見たところ根を詰めすぎだな。普段私に無理をするなと言うのは誰だったか」
「わかったわかった」
ミクリは笑いながら両手を広げた。たしかにこれではいつもと立場が逆転しているだけだ。書類は諦めて、ミクリはおとなしく彼女の手からカップを受け取った。
「用件は訊かないのかい?」
「どうせ仕事の話だろう?」
ナギは隣に座りながら軽やかにあしらう。たしかに仕事の話で呼んだのは間違いないが、甘やかな期待をしないあたり彼女らしいというか、逆にどうだ、とミクリは複雑な気分になる。
まあそうだねと曖昧に返すと、それなら聞かないと突っぱねられた。
「ナギ?」
「一時間だけでいいから仕事のことを忘れろ。見ているこっちが疲れる」
「それをきみが言うのか」
「お互いさまだろう」
平然としているナギに苦笑して、ミクリはわかったよと観念した。彼女が心配してくれていることに気づけぬほど野暮ではない。
「きみは人への優しさと自分への優しさのバランスがおかしい」
「お互いさまだ」
ナギは悪びれる風もなく笑った。
「私の心配はおまえがしてくれるんだろう?」
とても論理的とは言えぬ言い分だが、彼女の機嫌は良さそうなのでまあいいかとなってしまうミクリである。自分も大概甘い。きみの心配ならいつもしてるけどと言うと私はそこまでじゃない、とすげなく返され、ミクリは笑いながらコーヒーに口をつけた。
(2012/05/01)