シュガーレスコール
 撒かれたことにも気づかぬ男がソニアを探している。  祝宴は賑やかだ。二連覇を遂げたチャンピオンはどうやら自分ひとり真ん中で祭り上げられることが不服のようで、しきりにフェアリージムリーダーを引きずり込んでは替え玉にしている。周囲も心得ているものでビートはそのたび他のジムリーダーたちに揉みくちゃにされている。  ホテル・ロンド・ロゼのバンケットホール。  豪奢な内装も洒落たカタカナも形無しの騒ぎのなか、一歩引いてそれを眺めるダンデの目はひとつの視線を追う。  バトルタワーのスタッフである。持参した本に著者本人からサインを入れてもらい、それからしばらくソニアと談笑していた。現在の彼は離れたところで同僚と話し込んでいる。話し込んでいながら時折視線を巡らせていて、ダンデはそれが面白くない。というかずっと面白くない。  彼女との会話を長引かせていた下心が面白くない。社交辞令で笑っていた彼女も面白くない。ついでに着飾った彼女の背中も面白くなくて、ダンデは普段以上におおらかに笑っている。逆にこわい、とはキバナの言葉である。ホップには飲みすぎたかと心配された。  数分ほど前からソニアは姿を消している。  ルリナやユウリがいる輪にも戻らぬあたり彼女が何を避けているのかは明白だ、自覚のない幸せな男は懲りずに場内に視線を走らせていて、ダンデはやれやれと笑顔をやめた。  ふいに男の視線がダンデとかち合う。  消したばかりの笑顔を取り繕うこともせず、ダンデはついと目を細めた。  牽制。  ぎしりとスタッフか凍てつく。 「――こら、そこのでかいの、むやみに威嚇しない」  壁のほうから今度はダンデが牽制された。  上質そうなカーテンの脇に洒落たアローラナッシーがそびえたっている。誇張されているのか等身大なのか、あるいは室内に収めるべく縮小された上でこのサイズか、少なくともホールに違和感なく馴染むという役割だけはきっちりこなしたナッシーのオブジェの影で、ソニアがグラスを傾けていた。  あざやかな髪をアップにして白い首筋も肩口も惜しげもなく晒している。細身のドレスを纏った体が普段よりもずっと華奢に見えて、横に並ぶアローラナッシーがいっそう不釣合いで、ダンデは可笑しい。 「むやみにはしてないぞ」 「威嚇のほう否定しなよ」  ダンデは苦笑して、牽制だ、と両手を広げる。  ソニアは不可解そうに眉を顰めた。同じではないかと聡明な瞳が訴えていて、ダンデは結局自分の子供じみた独占欲を説明しなければならない。 「たとえばソニアに近寄る相手を片端から睨んでたら威嚇になるだろうな、だが今は下心ありきで近寄るどころか言い寄ろうとした男を睨んだだけだ。牽制だ」 「わたしの知る限りそういうのは屁理屈って言う。ていうか睨んでる自覚あったんだ」 「防御を下げた」 「もしかして酔ってる?」  まったくの素面である。飲んでいないことを主張した上でホップにも同じことを訊かれた、と言うと、ソニアはああ、という顔をした。ずっと笑ってたもんね、と可笑しそうに目を細める。 「めちゃくちゃ機嫌いいかめちゃくちゃ機嫌悪いかどっちかだと思ってたけど、えーと、上機嫌?」 「オレはいつだって機嫌いいぞ」 「うそだってバレバレだけど言い直す?」 「このオブジェかっこいいな」 「その逸らし方はイマイチ」  すごいけど、とソニアがオブジェを見上げた。  さらと揺れて、丁寧に巻かれた彼女の後れ毛がグラスを掠める。ダンデはソニアの視線を追わずに、すごいよな、と笑った。むきだしの白い喉を見つめる。グラスのふちに触れそうな髪を掬って、驚いたように振り向くソニアに目線でグラスを示して、追うように視線を落とした彼女のうなじを見つめる。無防備な首筋、鎖骨のライン、薄い肩をえがく曲線もその色合いも、どこか危うい。  これを劣情と知っている。  ダンデは彼女の肩口につと指を滑らせた。 「おっと、なに、セクハラ?」 「うーむ」 「悩むかあ」  クラスに入りそうだった髪を払って、おさわり禁止、とソニアが笑った。  ダンデはゆっくりと瞬きをする。白い肌。無骨な指先。禁止と言われたので触れるか触れないか、くすぐるような距離をとって彼女の首筋をたどる。  ひく、とソニアが肩を震わせた。 「――ダンデくん?」 「似合うな」 「あ、ありがと」 「背中開きすぎじゃないか?」 「え? ああ、それで不機嫌、あ、待ってくすぐった」  身を竦ませるソニアに覆いかぶさるように距離をつめて、あるいは野暮な視線をさえぎるように立ちふさがって、ダンデはこの至近距離にあってなお可笑しそうにしているソニアを見下ろす。彼女は余裕。いささか分が悪い。 「……オレは心が狭いかな」 「うーん、悪い気はしないけど。あのダンデくんがやきもち」 「オレもびっくりしたぞ。変に笑いすぎて頬が痛い」 「笑っとくあたりダンデくんなんだよなあ。いやー、さすがのソニア博士って感じ? さっきだってわたしの本――」  グラスを取り落とす心配があった。  ダンデは彼女の手の上からグラスをおさえて、放っておくとそのまま元凶たる男の話を続けかねない彼女の唇を塞いだ。擦れるグロスの感触。んく、と遮られた声が喉のほうで潰れて消える。  顔を離すとソニアに睨まれた。  不機嫌が二割と戸惑いが三割、羞恥が六割あたりの計算の合わぬ表情である。 「……節度とかさあ」 「だれも見てない。ナッシーのおかげだ」 「そういう問題じゃないしムードがない。ていうかナッシーの肩持ちすぎ」 「ナッシーに失礼じゃないか?」 「ナッシーの肩持ちすぎ」  指を向けるソニアの首筋はほのかに赤い。ムードか、とダンデは神妙に頷いて、彼女の手中で存在を忘れられそうになっているグラスを引き取った。 「あ、ちょっと」 「あまり酔われても困る、オレの相手だってしてもらわないとな」 「今してるじゃん」 「ムードに配慮して出直すよ」  下心、と彼女が指摘した。下心以外の何があると言うのだ。否定するか誤魔化すかあるいはあけすけに頷くか、返すべきレスポンスを端から放棄して、ダンデは何も言わずにからりと笑った。言外の肯定。ソニアは決まり悪そうに顔を顰める。言外の承諾。 「……グロスついてるよ」 「おお」  ダンデにハンカチを押し付けて、ルリナに絡んでくる、とソニアがその場を離れていく。  耳がまだ赤い。あれはあれで牽制になるかな、とダンデは溜飲を下げつつ手の甲で口元を拭った。目を細めるようにして、けれどやはりあの背中はいただけないな、と中身の残ったグラスを煽る。
(2020/01/10)

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