優しがりの胸の内
 上が休まないとスタッフも休めないのだと真っ当かつ無慈悲な主張のもとバトルタワーを追い返され、突如休みを押し付けられた形のダンデは急に手持ち無沙汰になった。  キバナなら捕まるだろうか。スマホロトムを呼び出すと通知が残っていることに気付いて、開くと一件の不在着信があった。  ソニアである。  かけ直してみたが今度はソニアが出ない。  どうせ暇なのだ、直に会ったほうが早い。リザードンを頼りに研究所を訪ねると、出迎えたのは件の幼馴染ではなく弟だった。 「アニキじゃん」 「おう」  ぐるりと室内を見渡す。  彼女の姿はない。 「ソニアならポケモンセンターだぞ、ちょうどおれも様子見に行こうと思ってたんだ」 「様子? 何かあったのか」 「あれ、聞いたんじゃないのか? まあユウリが付き添ってるから大丈夫だと思うけど」 「ユウリもいるのか? 待てホップ、何があったんだ」  なかなか核心にたどり着かぬ会話に焦れて、詳細を促すダンデにホップがわずかな躊躇を見せた。ソニアへの配慮であろう、どこから話せば、と口籠るホップを今いちど催促しかけたとき、ダンデの背後で再び扉が開いた。 「ただいま、あ、ダンデさん」  ユウリが顔を覗かせる。こんにちは、とダンデへの挨拶もそこそこに少女はホップに視線をやって、追い返されちゃった、と苦笑する。当事者が増えていっそう事態が読めなくなるダンデである。焦れる感情が柄にもなく顔に出ていたか、ホップが意を決したようにダンデを見上げた。 「アニキ、ソニアな、バトルして負けたんだ」 「……ん?」 「バトルだよ、ポケモンバトル。おれ初めて見た、でも」  バトル。ソニアが。ポケモンバトルで負けた。ああそれでポケモンセンターに、とようやくひとつ脈絡を見つけて、それでもちぐはぐなキーワードばかりでダンデの脳内ではいまだに話が噛み合わない。バトル。あのソニアが。 「ソニアが、自分からか?」 「うん、ユウリも手を焼いてるファンがいてさ、そいつらが突っかかってきて、ソニアに着火した」 「着火」 「その、ダンデさんを——笑われて」  ユウリが、ユウリのせいではないというのに、もどかしげに目を伏せる。  ここでようやくすべてが繋がった。世話焼きで、すこぶる頭がよくて理知的なソニアだ。彼女がその奥深くに人にも負けぬ情熱と正義感を隠し持っていることはダンデもよく知っている。たしかに、というか残念ながらというか、売られた喧嘩を真っ向から買いかねない性分ではある。  ふつりとダンデの奥底に怒りが芽生えた。自分が笑われたことではない。そんなことはどうだっていい。 「ソニアさん、まだポケモンセンターにいます。大丈夫って笑ってたけど、大丈夫じゃない」  彼女のやさしくまっすぐな心が踏みにじられた。  ダンデは拳を強く握りしめる。 「アニキに連絡しようとしたら止められたんだ、飛んで来かねないって。迷子回収しにいく余裕はないってさ」 「そこは冷静なのか」 「あれ、わたしてっきりホップがこっそり連絡したんだと」 「え? おれはユウリが電話したのかなって」  スマホロトムを思い返す。たった一件の着信。折り返しに応じなかった彼女。  すぐにでもポケモンセンターに向かいたかった。けれどダンデは、大丈夫だとユウリに告げた彼女の意地と優しさを無下にもできず、眼前で気を揉むふたりの子どもににかりと笑ってみせる。 「サンキューな、ふたりとも、ソニアなら大丈夫だ」 「ダンデさん、わたし」 「ユウリも気に病むことないぜ、ファンはファンでキミはキミだ。ユウリのせいじゃない」  謝ったら怒られるぞ、と忠告すると、おれもそう思う、とホップが軽やかに便乗した。ですよね、とユウリも神妙に頷く。 「でもソニアさん、なんで」  なんであんなにつらそうだったんだろう。  ユウリが呟いて、ホップが何も返せなくて、ダンデは何も言わなかった。  スマホロトムを見やる。  折り返しの着信はなかった。 ***  待合室の端、ひとけのない一画にソニアはいた。  ソファの上で膝を抱えている。たったひとつのモンスターボールを握り締めてうずくまり、いつもであれば傍にいるはずのワンパチの姿も、今はなかった。 「ソニア」  白衣はところどころ汚れている。ダンデの声にぎゅうと身を固くして、ソニアは待って、とダンデを牽制した。 「三分——二分待って。平気だから、研究所にも戻る」 「ソニア」 「ごめん、連絡するつもりなかったの、ロトムがね、勝手に」  ダンデは彼女の隣に腰を下ろす。いいんだ、と応じるとよくない、とソニアも譲らない。彼女のポケットからロトムが不機嫌な声を上げる。  ダンデは苦笑した。 「ヘイ、ロトム」 「あ」  はっとして顔を上げたソニアの手をかいくぐって、彼女のポケットから飛び出したスマホロトムがふわりとダンデの眼前に踊り出る。 「連絡サンキューな、助かったよ。オマエの主人は変なとこで意地っ張りでな」 「ちょっとダンデくん! 悪口! 聞こえてる!」 「なかなか頼ってくれないから苦労するよな」  わかるよ、と労って、そのままダンデは彼女に視線を向けた。まんまと視線をかち合わせたソニアがぐうと詰まる。彼女の目元に泣いた形跡がないことに安心して、ワンパチは、とダンデは単刀直入に訊いた。 「……ボールの中」 「ユウリとホップから話は聞いた。バトルなんて何年ぶりだ?」 「わかんないよ」  強情な瞳がついと逸らされる。 「ダンデくん何しにきたの? 慰めにきたの? 残念でした、わたし別に負けて落ち込んでるんじゃないんだもん。ああ、そっか、バトルの発端も聞いたんでしょ、安心してよ、ダンデくんのせいじゃない」 「違うだろ、ソニア」 「なにが!」 「落ち込んでる? オレには傷ついてるように見えるぞ」  はく、と言葉を見失ったソニアが口を引き結んだ。  彼女の瞳が心許なく揺れる。さまよう視線が手中のモンスターボールに落とされて、いまだ不機嫌に浮遊するロトムを辿り、最後にダンデに向けられた。  見覚えのある瞳だった。  感情が手に負えず途方に暮れている。  ダンデはソニアの手にそっと自分のそれを重ねた。 「慰めにきたんじゃない、心配だからきたんだ。傍にいたいだけだ」  強張った指先がゆっくりと力をなくしていく。  噛んで含めるように聞かせて、ダンデはソニアに笑いかけた。 「がんばったな」  ソニアは泣かなかった。  きれいな翡翠の瞳にたくさんの感情が滲んでいる。苛立ちともどかしさ、自責の念と葛藤と、それから、罪悪感。ダンデがその意味に辿り着くより先に彼女は目を伏せてしまって、違うの、とぽつりと零した。 「ダンデくんが笑われたからとか、そんなかっこいい話じゃないの。だからダンデくんのせいじゃない、本当」 「そうか」 「我慢できなくてさ、ダンデくんを、こう、落ち目だとか過去の人だとか、そうやってユウリを応援してるのがなんか自分を見てるみたいで」 「自分? ソニアは違うだろ」 「わかってる、わたしはあんなのとは違う。でもね、絶対王者であるダンデくんへの、トレーナーとしての羨望とか嫉妬とかさ、そういうのって歪むとああなるんだよ。ダンデくんが負けたことに安心して、自分も安心するの」  わかんないよね、とソニアが息を吐くように笑う。静かに耳を傾けながらダンデは少しもどかしくもあった。傍にいたい、寄り添いたい、けれどやはり自分ではどうしたって理解できない葛藤がある。ホップならわかるのだろうか、とダンデは漠然と、弟に嫉妬した。 「ああいうやつらってどこで情報仕入れるんだろう、わたしが昔ダンデくんのライバルだったことまで知ってたよ。わたしが戦えないことも」 「ソニア」 「むっかついてさ。目にもの見せてやるって息巻いて、それで、ワンパチに無理させたの」  ホップに情けないところを見せた。ユウリにも心配をかけた。ソニアはボールを指先で撫でて、だめな大人だ、と自嘲した。 「三人まではよかったんだけどさあ、あと一人ってとこで」 「三人抜きか……」  充分である。  ダンデは幼馴染のしたたかさを改めて噛み締めた。 「……トレーナーやめたじゃん、わたし。だからワンパチも進化させなかった」 「ああ」 「なのにね、負けたとき、ワンパチを進化させてたらって」  ああ、とダンデは思い至る。  思い返すのは先刻見た彼女の瞳の色だ。葛藤が見えた。罪悪感があった。それらの持つ意味はこれだったのかと、ダンデはようやく得心がいった。 「わたし、ほんとうに、最低……」  ソニアは細い肩を頼りなく震わせて、手中のモンスターボールを握りしめた。  その手のひらにいつかの小さな手が重なる。  遠いむかし、深い森に迷い込んだ彼女の手を、いつも彼女に手を引かれるばかりのダンデが初めて取ったことがある。入り口まではよかったのだろう、奥深くに進めば進むほど霧は深くなり、棲まうポケモンも強くなり、おそらく彷徨うさなか奮闘したのはワンパチも同じだった。薄暗い森でようやくソニアを見つけたとき彼女は消耗したワンパチをモンスターボールに収めて、それを握りしめていた。きっと怖かっただろうに、きっと心細かっただろうに、彼女は小さな手で小さな相棒を守っていた。  思えばそのときも彼女は泣いていなかった。  彼女はずっと強くて優しいままだ。 「ホップがな、言ってたぞ」  研究所でのやりとりである。ポケモンセンターまで迷わぬようなぜかリザードンのほうに念を押した弟は、彼自身チャンピオンを目指してチャンピオンのライバルを自負する弟は、噛み締めるようにソニアのバトルを称えた。 (ソニア、強いんだな)  その隣でユウリも深く頷いていた。 (アニキ、ソニアまじで強かったぞ。ワンパチだけであんなバトル、おれ、勝てる気しない) (わたしもびっくりした、かっこよかった。ソニアさんとバトルしてみたかった)  純粋な後輩たちの言葉だ。彼らが嘘などつけぬことを知っているくせに、一連の様子を聞かされたソニアはうそ、と呟いた。嘘じゃないぞ、とダンデは笑う。 「オレの自慢のひとだ」  変わらず強く優しいままでいてくれること。そんな彼女のライバルであったこと。傍にいられることもいてくれることも、すべてダンデの誇りだ。  彼女に寄り添い続けるポケモンだって同じに違いない。ともに戦ったワンパチもそうだ、無茶な戦いを強いられたとも、戦って負った傷が彼女のせいだとも、きっと少したりとも思っていない。  うう、とロトムが不機嫌な声を上げる。モンスターボールが揺れて、驚いたソニアが手を離した拍子にワンパチが飛び出した。 「ワンパチ」  うんと伸びをしたワンパチがソニアに駆け寄って、褒めろ撫でろと目いっぱいに尻尾を振っている。 「ワンパチはソニアが頼ってくれたことが嬉しいんだ。自慢のひとが自分を頼りにしている、それ以上のことはない」 「わ、わたし、でも」 「進化させていたら、そう思うことの何が悪いんだ。進化させていたら、進化させてなかったら、あの技を覚えさせていたら……、その先に続く言葉はなんだ? 自分たちならきっと勝てたという可能性だ。ソニアはこいつと勝てる可能性を信じただけだ」  ぐりぐり撫で回されて満悦のワンパチが、ヌワン、と一声応じた。 「それとロトムはバトルに出たかったんだぜ、きっと」 「へ?」 「ワンパチが戦えなくなって、負けたソニアに、まだ自分がいるって言いたかったんだ」  ソニアはまじまじとダンデを見つめて、そのままロトムに視線を移した。ほんとう、と問うてロトムに手を伸ばす。ロトムはなおも不服そうに声を上げながら、それでもくるりと浮遊してソニアの手に収まった。  ロトムは不機嫌だったのではない。拗ねていただけだ。 「……戦えないじゃん、ロトム」 「オレは気になるぞ、タイプどうなるんだろうな」 「そういう話じゃないって」 「よし、いつものソニアだ」 「そうかな。うーん、そうか……うん、よし!」  うじうじ終了、と勢いをつけて立ち上がったソニアの手元で、ロトムがようやく笑った。  ダンデも破顔する。やつれた白衣の裾ががひらりと舞って、その足元でワンパチが軽やかに跳ねた。ソニアはワンパチをひっくり返して最高だったよ格好よかったと相棒の腹を撫で回す。 「バトル、たのしかった?」  ヌワワ、と声だけでダンデにもわかる。彼女はきっといいトレーナーになったに違いない。それだけがひとつ惜しくもあって、そこでようやく、ダンデは彼女の罪悪感を理解できた気がした。  たしかにそうだ、これはエゴかもしれない。  けれどやはり彼女のバトルをもう一度見たかった。こっそり録画していないかあとでロトムに聞いてみよう、と立ち上がると、ソニアがダンデを振り返った。 「ダンデくんも、ありがとう」 「ああ、気にするな」 「あの」  言いさした彼女が逡巡を見せて、やがて意を決したようにダンデに向き治る。くいと指を曲げるので身を屈めて、キスでもしてくれるのか、と茶化そうとした矢先に彼女が伸び上がった。  頬にやわらかい感触。  彼女の唇が触れる。 「ダンデくんだってわたしの自慢だから」  くすぐるような声と吐息。ふわりと甘やかな香りが鼻腔を掠めて、ダンデは数秒ほど思考停止となった。  よーし言ったぞと晴れやかな彼女はさっさと踵を返してしまう。 「あ、それとダンデくん、あの着信」 「ん、ああ、ロトムのか」 「ロトムが勝手にってうそ。わたしが掛けたの」 「ん?」 「ちゃんと頼ってる」  から、と彼女が続けるときにはダンデは突撃の構えで、いち早く察したソニアが慌てて駆け出した。 「から余計な心配ってちょっと待ってなんで追いかけてくんの!?」 「センター内で走り回ったら怒られるぞ」 「聞いてる!? それわたしの台詞だし! ぎゃあ待って全力ってずるい」 「聞こえてる、今ソニアを抱きしめたくて仕方ないんだ!」 「大声だすな! ばか!」  結局走って研究所まで戻ることとなり、息切れする大人ふたりを後輩ふたりが生温かく出迎えた。  心配かけてごめん、とソニアは晴れやかだった。堰を切ったように強かった格好よかった惚れ直したなどと揉みくちゃに褒め倒すふたりをはいはいどうもありがとうといつもと変わらぬ温度でいなしている。主人のかわりにワンパチが得意げに鳴いている。  なるほど休みも馬鹿にできない。  のちにダンデは同じく前のめりのユウリと手を組んで、バトルタワーにて身の程も知らぬ哀れなトレーナーたちごと事態をきれいに片付けた。
(2019/12/11)
ソファとかなかったんですけどそれっぽいスペースあってもいいんじゃねみたいな感じでひとつ。

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