甘やかしすぎた(現パロ)
目が死んでいる。
キーボードからマウス、文献から資料へとせわしなく行き来する手元の限りでは一見捗っているようにも見えるが、ディスプレイを見つめる目元があまりに剣呑でアニはその表現を躊躇った。捗っているというより勢い余ってハイになっている様子である。おそらくだが軽率に手を出したエナジードリンクが悪い。
こういう場合の彼の取り扱いについてはアニは基本的に触れぬようにしている。数時間は好きにさせておく。スマートフォンの時計を見て時間を計算し、二時間などとうに超えていることと彼の様子からしてこのまま灰になりかねないことを予感して流石に声を掛けることにした。
「アルミン」
どんくさそうに見えて意外と器用な指先がキーボードを滑る。うん、とひどい生返事が返ってきてアニは眉をひそめた。どこかで我に返るかと少し待ってみたが振り向く様子はない。アニは舌打ちを我慢してもう一度、アルミン、と彼を呼んだ。
「なに、待って、あとで」
まるきりパソコンと喋っている絵面である。あ、と思ったときにはアルミンの頭を張っていた。
「痛ッ! ちょっとアニ!」
「なに」
「何、えっ、いや、それ僕の台詞じゃ」
頭を押さえて振り返る彼の瞳にようやく自分が映ったことに満足して、アニはふいと彼の言い分を無視してキッチンへ向かう。殴られるだけ殴られた形のアルミンがええ、と戸惑いの声を零し、それをさらに無視してアニはコーヒーはと訊いた。ありがとう、と腑に落ちない様子で律儀に応じるのでアニはマグをふたつ用意してケトルに水を注ぐ。
「根詰めすぎなんじゃないの、余計効率悪そう」
「そうかな」
「言っておくけどあんたの物差しは当てにならないから」
ひどい、と文句をつけるが説得力など無いに等しい。一度本気でぶっ倒れたほうが早いのだろうとアニは常々思っているが、いつも最後には気になって休めと口を挟んでしまう。あまりに癪なのでそれを心配と呼んでやるつもりは今のところない。
「少しくらい休みなよ」
「心配してくれるアニを見たくてつい」
「今考えたでしょ。してないし」
「ええ、してよ」
うんと伸びをしたアルミンが腰を上げ、ひとしきり関節を鳴らしてからキッチンへ入ってきた。怖いから首を鳴らすなと何度も言っているが彼はこれがいちばんすっきりするのだと言って聞かない。一度落ちたらいい。
「せめて労ってほしいな」
「砂糖多め」
「そうじゃなくて」
ついと髪を引かれて首を巡らせる。屈託のない笑顔ではあるが間近で見るとやはり目元があやしい。マグに一杯ずつインスタントコーヒーを落としながら、何、とアニは目を細めた。
「相手してくれる?」
「休めって言ったんだけど」
「休むよ、休む」
すこしだけと甘えてくるのでアニは仕方なく顔を寄せる。たかだか皮膚の接触ひとつで何の気休めになるのだろう。かさついた唇が調子づく気配がしたのでさっさと切り上げて、少しだけと彼の言質をひけらかす。何か言いかけたアルミンをさえぎる形でケトルが音を立てた。
「ほらもう、どいて」
「つめたい」
「さっさと休んでさっさと終わらせて」
そしたらいくらでも相手する、口を滑らせたと自覚した時には遅かった。ほんとに、と鳥肌が立つほどきれいに微笑んだアルミンがアニから離れてそそくさとマグに沸いた湯を注ぐ。余計なことを口走った。徹夜近いから覚悟してねととんでもない台詞をさらりと吐いて、何でもないようにミルクはと訊くのでアニはたまらず彼の足を踏みつけた。
アルアニで「たまには休みなよ」とかどうでしょう。
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事後
後始末を終えたアルミンがベッドに倒れ込んできて、あついと呻いてエアコンの設定を一度下げた。アニは背を向けて掛け布を握りこむ。薄い布ごと抱きしめられてひどく窮屈で、暑いなら離れたらいいと嘆息する。
「おなかすかない?」
「眠い」
「えー」
冷たいと笑う声はずいぶん機嫌がよさそうだ。結構なことである。
身じろぐとアルミンの腕が少し緩んで、不自由な体勢の中でアニはもぞもぞと寝返りを打った。体の向きを変えたところで彼の腕が流れるように背に回る。引き寄せられて近まった顔をじっと見つめると、どうかしたの、とアルミンは何食わぬ顔で首を傾けた。腹が立つ。
「今日なんだったの」
「うん?」
空とぼけるつもりか。何の話、と訊き返す彼にアニは露骨に眉を顰めて、心当たりがないならいいと再び背を向けようとした。シーツが波打つ。うそうそと笑ったアルミンが阻むようにアニの肩を押さえた。
「ごめん、無理させた?」
「別に。意外だっただけ、あんたいつもがっつかない癖に」
「そうかな、わりとがっついてるけど」
「やめて」
そういうのいい、と仕方なく彼に寄り添う形で頭を落ち着ける。落ちてきた髪が鬱陶しくて緩く首を振ると、伸びてきた彼の手が甘ったるい所作で髪を払ってくれた。指先が耳を掠めてくすぐったい。先までの知らぬ男のような顔はどこへいったか、いつも通りの穏やかな顔で何でもないよとアニの髪を弄る。
「何だろう、ちょっとむしゃくしゃしてたというか」
「あんたが?」
「僕も一応人間やってるからね、男だし」
そうは言ってもおおよそ彼に似つかわしくない感情である。むしゃくしゃ、とその言葉を口の中に転がして、すでに見えもしない彼の奥底の感情に思いを馳せる。時折策士で少しばかり下種な一面を垣間見せる人種ではあるけれど、それでも基本的には他人に対して穏便な男である。その彼が苛立つだなんて、加えてそれを人にぶつけることなどあるものか。
「……私のせいだったりする?」
「あー」
うろと視線を泳がせたアルミンが、すぐさま表情を取り繕ってそんなことないよと言った。下手くそ。
「それ嘘にしか聞こえないけど自覚ある? わざと?」
「気にしないでって意味」
「気になるよ」
「アニのせいじゃない、本当」
僕の問題、と眉尻を下げて困ったような顔をする。自嘲に近い笑い方である。あまり掘り下げてほしい話ではない様子だったけれど、アニは意に介さずアルミンの目を見つめた。しばらく視線だけの攻防があり、やがて折れたアルミンが居心地悪そうに目をそらして、本当に大したことじゃない、と歯切れ悪く弁明する。妬いてただけ、と。
「……あんたが?」
「いやだから僕も人間やっててね」
男だし、と先の台詞をなぞる。アニは急に馬鹿らしくなってああそうと目を瞑った。
「あんたがあんなに体力あるなんて知らなかった」
「見くびってるなあ」
「あとそういうの先に言って」
「実は嬉しい?」
「うるさい、寝る」
くすくす笑われて先刻の殊勝な表情すら策の内だったのではないかと勘繰るアニである。彼に関しては少し格好がつかないくらいが深く考えずに済むので丁度いい。厄介な男はおやすみと囁いてアニの髪を丁寧にくしけずり、やさしい指先が癪だけれど心地よくて、アニは振り払う気も起きぬふりをして目を閉じた。
はすみのアルアニで「なんか今日おかしいよ」とかどうでしょう。
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煽り上手の
常人のそれよりも数倍よく出来た彼の脳味噌はどうやら間断なく働いていないと気が済まないようで、あるいは思考を休ませぬ悪癖か、この点に関しては彼自身も最低限の難点として自覚はしているらしい。けれどそうならそうで少しくらい改善してくれてもいい、とアニはいまいち釈然としない。
つまるところ時と場所を考えろという話である。けしかけてきたのは彼のほうだというのに、触れさせた唇がどうにも漫然としていてこちらの気まで散る。
「アルミン」
「うん?」
華奢なつくりに見えて彼の首や肩は案外硬い。両腕を絡めて引き寄せる、普段であればその動作に誘われて唇かあるいは首筋に擦り寄ってくるくせに、アルミンは見当違いに髪を払ってアニの頬に口づける。そうじゃない。
「何考えてんの」
「うーん」
「聞いてる?」
「うん」
聞いてないな、とアニは早々に結論づけた。上の空で聞いてるよと答える役立たずな唇を塞いで、口付けに応じようとする彼の動きを無視して唇の端に歯を添える。いくつかキスのルールを破った。目を薄く開いたまま、彼の意志を無視して少し強引に、角度のせいで鼻先を軽くぶつけて。
思い切り噛みついた。
「いッ」
アルミンがくぐもった声を上げる。ざまをみろ。頭を引こうとする彼をがっちりホールドして、逃げる唇を追ってアニは執拗に彼の唇を食む。
「いたたたた待ってアニ噛んでる噛んでる」
「起きたかい」
「起きてるよ、何どうしたのお腹すいた?」
なんで今、とアルミンが寝ぼけたことを言う。空腹で相手の唇を食らう馬鹿がどこにいる。脳髄の繊細な糸がぷつんと音を立てたのを聞いて、アニは憎たらしいほど鈍感の様相を呈する彼の首に顔を寄せた。
「そうだね」
動揺したらしい、唾を嚥下する喉がこくりと動く。
「アニ?」
「お腹がすいた」
噛み付いた喉から彼の声がじかに伝わる。うわ、と引き攣った声、そのあとにくぐもった笑い声。余裕ぶった響きが気に入らず、思わず強く歯を立てると彼の手がアニの頬を掬い上げた。今度こそ熱を宿した眼差しが面白いようで面白くない。食うか食われるかどちらかにしてほしい、飲み込んだ文句の代わりにアニは今いちど彼の唇に噛み付いた。
はすみのアルアニへのお題は
・兄弟
▼唇に噛み付く
・キスをしながら
・会えない間に思いは募って
です。好きなお題で創作してみましょう
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酒ネタ
いいにおいがする。
眠りの底から浮上した意識がまず鼻腔からの情報をとらえ、どこかよそよそしい、それでいて甘やかな香りに思考が引き寄せられる。いったい何のにおいだろう。薄く目を開いたアルミンの視界がぼんやりと揺れて、眼前のなにかを視認するより先に、ぐわんと意識ごと揺れた。
「う」
頭が痛い。
がんがんと響く鈍痛にアルミンは枕に沈んだ。うう、と情けない声を枕にくぐもらせ、忌々しい頭痛の原因を思い出すべく記憶を辿る。体中に伸し掛かる倦怠感、胃から喉を這いずる不快感、二日酔いだな、と記憶よりも経験則が先回りした矢先、もぞとシーツが揺れてアルミンの意識を引き戻した。そういえば部屋にあるはずのないにおいがした。
首を捩らせて隣を見る。
近く、一般的なパーソナルスペースを軽々超えたという意味でのすぐ近くに、じいとアルミンを見据えるブルーの瞳があった。
「おはよう」
「――えっ、あ、おは、いや、え!?」
ひどい挨拶もあったものである。
動揺も混乱もすべて見透かすような彼女の視線に耐えかねて、慌てて身を起こしたはいいがその反動で脳が揺れた。吐きそうだ。かろうじて自分と彼女が衣服を身に纏っていることだけを確認して、アルミンは再びベッドに沈む。
「……あの、アニ、これはどういう」
「覚えてない?」
「おぼえ、て」
ない。絞り出した声に仄かな絶望が漂う。本気で思い出せない。頭が痛い。
「へえ? ひとつも?」
「それすごく傷つく……」
飲んだことは覚えている。かつての友人たちと飲んで、飲み足りないという彼女を冗談半分で部屋に誘った。飲み直すという名目に乗ってきたアニ、図らずも連れ込む形となった自分、彼女の真意がわからずぐるぐる考え込んでいるうちに、そのまま、デッドラインを忘れた。
気がついたら朝で、隣に彼女がいて、記憶は綺麗に飛んでいる。
「やってない? やってないよね? あれ? やってないよね!?」
「やったやった」
「ほんと勘弁して」
笑えない。
アルミンは目を閉じて、ああ、と悲嘆と辟易をごっそり煮詰めたような溜息をシーツにうずめた。いやに生ぬるい吐息だった。
「ていうかどっちでもよくない? 覚えてないんでしょ」
「僕がよくない」
「記憶飛ぶほど酔ってて勃つもんなの」
「アーニー」
男の沽券に関わる。少しは配慮してほしい。
アルミンは重たい頭をどうにか起こして、こちらの動向を静かに見つめる海の底のような双眸を覗き込んだ。揺れぬ瞳。そこに映るのはおそろしく間抜けな男であろう。
「えっと、僕、一応、君には誠実でいたくて」
「誠実だったと思うけど、ぎりぎり」
「そう、ぎりぎり、だから正直次はわからない、というかいつ君に誠実じゃない真似をするかわからない」
「つまり?」
つまり、とアルミンは喉を鳴らす。
「先に誠意見せとくのはあり?」
「鼻につく言い方」
アルミンの頬を軽く叩いたアニが、もっとわかりやすい言い方ないのと難癖をつける。アルミンはその手を捕らえてようやく苦笑した。あるけど、と反駁する。前置きってものが、と理屈を並べると並べきる前に、なにが前置きだと鼻で笑った彼女がまるきり不実なキスをした。
はすみのアルアニへのお題は
・元恋人
・指を舐める
▼酔った勢いで
・プレゼントを頂戴
です。好きなお題で創作してみましょう
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もう一度(転生)
ふと視界をかすめたブロンド、小柄なシルエット、かすかに咳き込む気だるげな声に覚えがあって、アルミンは弾かれたように振り向いた。
は、と息を凝らす。まわりから音の消える感覚。行き場のない感情、大声で呼び止めたいほどの高揚と、それから、噎せ返るほどの絶望感。
ああ。彼女だ。
「アニ」
ぽつりと落ちたのは忌まわしい記憶に生きるひとつの名だった。ひとがたくさん死んだ。友人もたくさん死んだ。そんな中で地下に長く眠り続けた、そうしてアルミンが焦がれ続けた彼女だった。
「――アニ!」
彼女が振り返る確証すらない。呼び止めた真意だって、彼女をなじりたいのか再会を喜びたいのか、燻る感情の種類はあまりに多くて手に追えない。
ひたりとアニは足をとめた。緩慢に振り返る、その動作、躊躇、そこにアルミンはひとつの確信を抱く。彼女は、否、彼女も、覚えている。
「あ、の」
「……なにか」
じいと他人行儀な瞳がアルミンを見据える。歩み寄ろうともしない彼女の内側に燻る、おそらく似通った感情を思ってアルミンはゆっくり瞬きをした。逡巡、葛藤、それらは今思えばあまりに無益だ。
「――はじめまして、アニ」
今さらと人は笑うだろう。
けれど、そうだ、笑いたければ笑えばいい。アルミンはそれでも新しい世界を選ぶ。
「……はじめまして、アルミン」
静かに耳朶を震わせる、長く焦がれた声が胸を満たす。
つんと痛む鼻の奥をやり過ごして、アルミンはようやく彼女に向かって一歩踏み出した。出会い方も、わかり合うことも、もう一度やり直せたらと。嘘にもならぬ、それはきっといつかの願いだった。
アルアニを書きたいはすみさんは『嘘をついた』もしくは『窒息寸前』というお題で、500字小説を書いてみてください。
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