逆転現象
いつからだったか。
飽きるほど聞かされて飽きるほどあしらった台詞を聞かなくなって随分久しい。いつからなど思い出せるほど彼女の戯言をまともに取り合った覚えはないけれど、少なくともその手の冗談が減ったのは昔馴染みという関係性が名前を変えてからだ。ふとその期間を数えて相澤は眉を顰めた。思い出す限りにやかましい彼女の軽口まで蘇る。
「福門」
「んー?」
隣でスマートフォンをいじる福門がくあと欠伸をして、なに、と視線を寄越さぬまま先を促した。どうせまたくだらない記事を読んでいるに違いない。相澤はスマートフォンをくいと引き倒して、視線をすべらせた彼女の瞳をかちりと捕らえる。
「結婚するか」
彼女の常套句であった。
今思うとどこか倒錯的で、非常に癪だけれど少し懐かしくもある。福門はきょとんと目を瞬かせた。散々この台詞に振り回された過去を思うといくらか胸のすいた相澤である。
「しない」
けれど彼女はにべもない。
この期に及んでどういう冗談だ。
「あ?」
「うわ顔怖っ」
露骨に顔を顰めた相澤を見て福門はけらけら笑っている。
得意の冗談かあるいは本音か、屈託なく笑う彼女を見るといまいち判断が難しい。表層の感情がわかりやすいだけ深層が捉えづらいと知ったのは付き合うようになってからだ。
「いやだっておまえ家庭持って落ち着くタイプじゃないじゃん、仕事と結婚するタイプじゃん。ていうか急にどうしたわけ、合理性求めすぎて逆に脈絡飛んでない?」
「おまえよくそんな奴と付き合ってたな」
「昔から男の趣味悪いんだよな」
本人を前によく言えたものである。相澤は眉間を押さえた。
「福門」
「つーか正直そういう話より別れ話のほうが先だと思ってたよ、仕事だの何だの理由なんていくらでもあるだろ」
「おい」
「でもおまえって変なとこ律儀だしなー。もしかして気遣ってる? 別れる? てか片っ端から私の冗談ぶん投げてたおまえがその台詞言うってウケるな」
「うけねえよ」
ぺらぺらと止まらぬ彼女の言葉を遮って、少し黙れと相澤は唸る。おかしい。自分は結婚というワードを口にしたはずだ。なぜ真逆の話になっている。
「勝手に別れ話にするな、というか」
おまえが始めたんだろ、と相澤は彼女の頬を掬い上げる。
「泣いてんじゃねえ」
逃げ場をなくした福門がしぶしぶ目を合わせた。口振りと裏腹に心許ない目元はそれでもかろうじて涙を堰き止めていて、うっすら濡れた瞳が明かりを映して一層澄んで見える。泣くかよと往生際悪く笑おうとする福門に、相澤は同じだと突きつけてその唇を塞いだ。
「結婚すんだろ」
「……する」
ぼろと眦から涙がこぼれた。頬から相澤の手に伝うそれをそのままにして、似合わねえなと福門が笑い出す。本気かよ、と尚も不合理な応酬を続けようとするので相澤は深く息を吐いた。彼女にしては下手な台詞だ。わかりきったことを、と毒づいて彼女を引き寄せる。
はすみの相ジョへのお題は
・赤の他人
▼君の口癖
・コスチュームプレイ
・抱き締めて離さないで
です。好きなお題で創作してみましょう
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笑えない
冷たい風が頬を刺す。こびりついた返り血を拭って、拭ったそばから頬にぬめる感触が伝って、どうやら返り血ではなく福門自身の血だったらしい。そういえば頭を強く打った。どうりで立ち上がれないはずだ。
騒ぎの声がやけに遠くに聞こえる。悲鳴。ざわめき。敵はどうなっただろう。
もたれかかった瓦礫はずいぶんと冷たい。事態は思ったより深刻のようで、この量は死ぬな、と他人事のように自身の出血を案じる。けれど声を上げる気力もないのだからどうしようもない。
ジョーク、と彼の荒い声が脳裏に蘇る。
手を伸ばされたが巻き込んでしまうようで取らなかった。怒られそうだ。あしらうか煙に巻くか、冗談のふたつみっつ用意しておかねば、と霞んだ頭で考える。というか彼は無事だろうか。
「――ジョーク!」
幻聴かと思った。本物だ。
くんと体が瓦礫から引き剥がされて、だるい瞼を持ち上げるとぼやけた視界に相澤が映る。顔がこわい。
「おい、勝手に死んでんじゃねえ」
「あー……その顔まずいな」
「まずいのはおまえだろ」
動かすぞと彼の手が後頭部を支え、もたれかかる先が冷たい瓦礫からぬくい体温に変わる。寒い、と呟くと相澤が強張った。
「笑えん」
「笑えよ」
支える腕に心置きなく目を閉じて、笑えと言っているのに彼はいやに深刻な声で名前を呼ぶ。冷えた手のひらを握りしめられて、まるで本当に死にそうに扱うものだから福門のほうが笑えてきた。まだ笑える自分に少し安心して、冗談だよ、とようやく口にした。
はすみの相ジョのお話は
「冷たい風が頬を刺す」で始まり「やっと言えた」で終わります。
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ツッコミもいけそう
皿に乗っていた箸がカウンターに転がって、落ちたぞと隣を見やると思ったよりも間近に相澤が迫っていた。
驚いて身を引かせる。ジョッキに肘をぶつけて危うく引っ繰り返すところだった。店内の喧騒が一瞬遠ざかるかのような感覚、すんでのところで彼との接触を回避した福門は、なに、とさすがに声を強張らせる。
「なんだよ、酔った?」
「酔った」
「まじか」
初めて見た、と彼の顔をまじまじ見つめる。滅多に感情の見えぬ双眸にも表情にもそれらしい変化は見られず、何をもって酔ったと判断すればいいのか福門にはわからない。
「で、なに、酔った勢いで手出そうとしてる?」
「おまえいい大人だろ」
「その台詞そのまま返すよ」
若気の至りで済む歳でもあるまい。ガキみたいな酔い方すんな、と福門は笑いながら泡の減ったビールに手を伸ばした。飲みすぎだの何だの難癖をつけてくるのはいつも彼のほうだと言うのに。
「おい」
無造作に頭を掴まれて振り向かされる。酔ったと言うがその声は普段と変わらず平坦で、新手のジョークではと勘繰る一方で彼の性格上その可能性がきわめて低いことも知っている。そもそもこの男が冗談を口にするなどそれこそ酔っているに違いない、と混乱をきたす福門は福門でそれなりに酔っていた。
「あー、と、水もらう?」
「そこまで酔ってねえよ」
「いや自分で言ったんじゃん」
なるほどたしかに脈絡の壊滅ぶりは酔っ払いのそれである。
頭を押さえる力は存外強く、福門はそろりとジョッキをテーブルに逃がしながらここまでの記憶を辿る。そんなに飲んでいただろうか、あるいは弱くなったか。空きっ腹のアルコールも大概たちが悪い。
「福門」
と、おもむろに引き寄せる方向に力が働いて、まじか、と福門は慌てて相澤の顔面を押し返した。
「いやいやちょっと待っておまえそれ笑えないって」
「邪魔だ」
「酔ってる? あれ? 酔ってるな!?」
「酔ってるっつってんだろ」
居直る酔っ払いがどこにいる。
邪魔だという福門の両手を引き剥がして、相澤は細めた瞳に物々しい眼光をともして福門を射抜く。触れた彼の手はいやに熱く、それどころか自分の手まで熱く思えて、どうかアルコールのせいであってくれと福門は願った。
「おまえ鈍いな」
「うわむかつく」
「なあ、福門」
ガキじゃないんだ。
突きつけた真理にわかるだろと駄目押しまで重ねられて、わからないと突っ返せるほど福門も鈍くはない。彼の言っていることも言いたいこともおそらくとうの昔にわかっていた。わからないふりをしていただけだ。
迫る剣呑な双眸、それを真正面から向けられて、こいつもしかして、と思ったときには唇が触れていた。
「……酔ってる?」
「酔ってる」
嘘をつけ。
彼の表情、顔色、眼光に酒の量、どれを取っても酔っ払いとは程遠い。何よりの問題は彼の思惑でも酒でもなく熱を持ち続ける自身の頬である。酒のせいにできたはずの逃げ道もあっさり取り上げられ、たちの悪い男への文句も多すぎて役に立たない。なくした距離を惜しむ余裕すらなく、福門はどうにか、酒臭い、とだけ毒づいた。
はすみの相ジョへのお題は『もう黙っていることに疲れてしまったんだ』です。
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セフレ的な
暗い室内に彼女のスマートフォンのランプが点滅する。
取って、とベッドに沈んだまま手を伸ばす福門に、相澤は息を吐いて端末を手渡した。ついでに自身のスマートフォンを取って時間を確認する。ホテルに入って一時間半ほど。通知を確認したらしい彼女が、雨雲近づいてるって、といらぬ情報を告げてスマートフォンを放った。
「そういえば夜降るって言ってたもんなー、傘持ってる?」
「持ってない」
「天気予報見ろよ」
「見たよ」
見た上で傘を持たずに出たのだ。雨が降る頃には自室にいる自分を想定していたし、私も持ってないけど、と笑う彼女だって同じに違いない。たまたま会って飲んだ、それだけが互いの予定外である。
「前のときも雨降んなかった? 先月だっけ」
「覚えてない」
「つれねえな」
なけなしの記憶を手繰ってみたが雨など降っていなかったような気がして、相澤ははっきりと思い出す前に記憶を探す作業をやめた。果たして彼女は本当に覚えているのだろうか。嘘か冗談か適当な戯言か。考えるだけ無駄であることはもちろん相澤もわかっている。
「――おまえ」
「なに」
「おまえ、嘘はついたことあるか」
けれどわかっていながら問うことの意味は。彼女に求めた答えは。知ることで何が変わるかもわからぬまま、相澤は不毛な問いかけを口にする。
なにそれ、と福門が笑った。普段よりも幾分、乾いた笑い方に聞こえた。
「つくよ、当たり前じゃん、人間だし。そういうおまえこそあれでしょ、合理的キョギ?」
「俺のはどうでもいい」
「それずるくない?」
身じろいだ彼女の髪がシーツに擦れてかすかな音を立てる。ほつれた髪に手を伸ばしそうになって、けれどそれに見合う言い訳など持ち合わせていなくて、相澤は行き場のなくした手をゆるく握りしめた。
ずるいのはどちらだ。相澤は息を吐く。
「おまえこそ」
一体どういうつもりで。
燻る感情に答えなどないはずで、ないことにしてしまうことが暗黙の共有事項で、そこに触れることがどれほど不毛なことかもちろん知っている。彼女には彼女の境界線がある。自分にだってある。それを踏み越えることのリスクなど。
「……あー、ガチのトーンで核心ついてくんのやめろよ、あとで後悔すんのそっちじゃないの」
「核心になってる時点で駄目だろ」
「痛いとこつくなって」
緩慢に半身を起こした福門が、わかってるくせに、と相澤の顔を覗き込んで笑った。
「嘘も冗談も役に立つと思う?」
「場合によるな」
「本気? 愛してるって言ったら満足かよ」
とつと額が合わせられる。珍しい彼女からの接触。こぼれた髪がくすぐるように頬を掠めて、唇すら触れそうな距離でありながら彼女の双眸は遠い。
「……ろくでもないな、おまえ」
「お互いな」
たしかに、と相澤は目を伏せた。真偽を彼女に委ねて尚且つそれを言い訳にしようとした。ひとはそれを卑怯と呼ぶだろう。自分たちはそれを戯れと呼ぶほかない。けれどたしかにそれなら理由もいらない、と福門の頭を引き寄せる。
閉塞された世界。外に雨は降り出しただろうか。
あてにならぬ天気予報に思いを馳せて、相澤は彼女の唇を塞いだ。
はすみの相ジョへのお題は『愛してる、って言ったら満足?』です。
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爆死案件(R18)
個性のためかその使いすぎか、あるいはドライアイという気の毒な体質のためか、一見して剣呑な目元が唯一やわらぐときであるというのに目下彼の双眸は物騒だ。
何かしたか、と福門は熱にあてられてぼんやりした頭で考える。ただでさえ口数が少ないというのに今日に限ってその表情すら読みづらく、思えば行為に縺れ込んで以来まともに声を聞いていない。せいぜい耳朶をくすぐる彼の吐息くらいで、唯一の心当たりは挿れるぞと告げる一言である。滅多にない剣幕に気圧された福門の制止の声にすら応えない。一体何だと言うのだ。
いまひとつ釈然としない福門である。
「あ……い、ざわ」
無言の唇が首を這う。肩を押し返す手は意味を成さずに彼に絡め取られ、押さえつけたからだに相澤は容赦なく自身のそれを押し込んだ。粘液の絡む音、重たい快楽を捉える内壁、わけのわからぬ悲鳴がこぼれて文句ごと口を塞がれる。息苦しい。
「待、て……って、んぅ……ッ」
首をよじらせたところで執拗に唇を追われて結局苦しいだけだった。掴まれた手がじんと痺れて抵抗の力をなくしていく。あいざわ、口づけの合間に今いちど呼ばうと彼はようやく顔を離して、日頃の目つきを差し引いてもわかるほど剣呑に福門を睨んだ。やはり変だ。
「……不機嫌かよ」
「うるさい」
「うわ、喋った」
はあと息をついた相澤が、大人しくしていろと福門の腰を掴む。荒々しい手つきだった。ぐ、とさらに押し込まれたそれが思いがけず深くを抉り、福門は引き攣った声を上げて背をしならせる。
「ッぅ、あ……!」
「べつに、普通だ」
「う、そつけ……っやだ待っ、まてって深……ッ」
容赦なく奥を揺さぶられて脳髄が白む。シーツに縋り付いてそれでも逃れられぬ刺激にきつく目を閉ざし、声の届かぬ彼に慄いて本能的に身を引かせた。
「ッふ、あ、相澤」
「逃、げるな、福門」
「む、り……っ」
怖いと言ったら彼は信じるだろうか。自分は信じられない。
軽口のひとつでも飛ばしてろうかと思ったが、記憶していたよりもずっと力強い腕に抑え込まれてそれどころではなかった。がつがつと最奥を突き崩されて思考が霧散する。逃げたい。ふやけた声で嫌だと駄々をこねる福門の頬を抑えて、おい、と相澤が視線を絡めとる。
「えみ」
肌を這うような声が。飢えて危うい双眸が。思考も視線もからだも束の間に籠絡して逃さない。
息を呑んだ喉に相澤が噛み付いた。日頃涼しい顔で人をあしらうくせにその顔を一体どこへやったのだ。必死か、とかろうじて冷やかすと彼は放っとけと言って口をふさいだ。いっそ否定してほしかった。からかい甲斐のない、と福門は落胆して荒いくちづけに応じる。