からから - 1
 気が付くと視線の先を探している。  彼のそういう姿を見たとき、覚えがある、と木々は直感した。自分が何を求めているのかわからぬまま、けれど探して、そこでようやくだれを求めているのか思い知る。その瞬間の口に広がるような苦味はうんざりするほどよく知っていた。 「木々嬢ってー」  小さな資料室である。  黙々と書棚に向き合う木々の背後には、デスクに地図を広げるオビの背中があるはずだった。何だか久しぶりに声を聞いた気がする。思えば長いこと作業に勤しんでいるが、彼にしては、そういえば今日は静かだ。  木々はわずかな違和感に一瞬手を止めた。二人きりのこの空間、どう考えても自分に声をかけているのだろうが、彼の声は独り言のようにも聞こえて捉えどころがない。 「……何」  木々は極力何も含まない声で聞き返した。止まっていた手を再び書棚に伸ばす。自分でも気付けぬ動揺を気取られそうで落ち着かない。 「旦那とどうなんです」  かと思えば馬鹿馬鹿しい。 「どうって」 「あー、まあ、できてるとか、そういうの」 「あると思って聞いてないでしょ、あんた」  あしらってリストに目を落とす。背中越しにかすかな吐息が聞こえて、表情など到底見えやしないが、どうやら笑ったらしい。 「そうですね、聞き方が悪かったです」 「何が」 「旦那との、その関係性? どうなんです?」  木々は今度こそ手を止めた。何の気まぐれかは知らないが、挑発されていることくらいはわかる。しかも相当悪質な一手である。  のらくらした声に核心をひそめて突きつけて、答えを期待するでもなくただ木々の反応を窺っている。木々がどう表情を崩すか、どう動揺するか、そういう窺い方である。この男はここまで悪趣味だっただろうか、と木々はしらける。 「何の話」 「いやあ。このままでいいのかなって。木々嬢」 「いいも何も、どうにもならないんじゃない」 「一方通行だから?」  さしもの木々も顔を顰めた。  何だと言うのだ一体。 「どう答えてほしいわけ、あんたは、私に」 「いやいや」  どうというほどじゃ、という軽い返事に含みを感じて、木々は振り返った。オビはじいと木々を見ている。見慣れた猫目になにやら不穏な色を称え、不安定に煌めく彼のそれと、まっすぐにかち合う。 「だって、しんどくないですか、それ」 「……」  オビの口元はやはり笑っていた。笑うように歪んでいた。  冗談にも揶揄にも聞こえるがおそらく冗談でも揶揄でもない。彼の追い込み方はどう言い繕っても挑発という名のそれで、木々は彼に対して初めて不快感を覚えた。別に、と撥ね付けて書棚に向き直る。 「あーあー、クールなんだから木々嬢ってば」 「しつこい」  がた、と物音がして、背後の気配が動いた。  翳った視界に振り返るとすでにオビが間近に迫っている。咄嗟に身を引かせたがすぐさま書棚にぶつかり、そこにオビが遠慮なく覆い被さってきた。押し退ける暇もない。細められた瞳は腹立たしいほど涼やかに笑っている。 「どうです、ここは、旦那なんかやめて俺とか」 「本気で言ってるわけ」  木々は乾いた視線でオビを見上げた。 「しんどいのはあんたのほうなんじゃないの」  核心をつき返す。  途端に彼の表情が、歪んだ口許が、引き攣る形でかたまった。 「……バレてました?」 「なんとなくね」 「なんだ、じゃあ話は早い」  居直ったか捨て鉢になったかあるいはすでに割りきっていたか、どうせ後者だろうが少しもこたえる様子のないオビがぐっと顔を寄せてきた。近い。けれど退くのもやはり癪で、木々は静かにオビを見据える。 「寂しい者同士、ここはひとつ」 「冗談」  木々は目を眇めた。彼の眼差しを探る。正面から迫る彼の、軽いようで深い瞳は結局どこを見ているのか。 「私は代わりになんてならないよ」 「あんたにそんなもの求めちゃいませんて」 「へえ」  健気なことだと挑発する。オビの口元が歪んだ。この男だって代わりになるつもりなど到底ないくせに。  掠めるように唇が触れて、その距離のまま、オビがはかるように木々を見つめている。閉じてなんてやらなかった。拮抗する眼差しにやがて彼の瞳がじんわりと笑む。自嘲か。愉悦か。興味なんてないけれど。 「ほんと、捻くれてるんだから、木々嬢ってば」 「あんたに言われたくない」  違いないとうそぶくオビが、今いちど顔を寄せた。 「……旦那のキスはきっと優しいんでしょうね」  今度こそ唇を塞がれた。優しさの欠片もない荒々しいキス。悪趣味にもほどがある。  尚も目を閉じぬオビの真意が知れず、知りたくもないが木々の神経を逆撫でて、まるで彼のキスとは遠く無縁だと当て付けられているようだった。知りたくもない、と思う。所詮は寄るべのない行為、苛立つだけ馬鹿馬鹿しいことは明らかで、木々は振り切るように目を閉じた。
(2013/05/01)

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